東京大学(東大)大学院工学系研究科の田中雅明教授らの研究チームは、六方晶MnAs強磁性微粒子を含む単電子スピントランジスタ構造を作製、金属ナノ微粒子において10μsのスピン緩和時間の観測に成功したことを明らかにした。英国科学誌「Nature Nanotechnology」の2010年7月4日オンライン版に掲載された。

金属のナノ微粒子において、量子サイズ効果によるエネルギーの離散化が生じるため、スピン緩和が強く抑えられることが予測されている。そのため、金属ナノ微粒子においては、バルクや薄膜よりもはるかに長いスピン緩和時間が期待できる。粒子サイズが数nmの時、量子サイズ効果によって伝導電子のエネルギー準位が離散化されている。そのため、スピンフリップ散乱が起こる確率がバルクや薄膜よりも減るため、長いスピン緩和時間が得られる。スピン緩和時間が長いということは、電子のスピン状態が長い時間にわたって保たれることを意味するものであり、このため長いスピン時間を得ることは、電子のスピン状態を利用したデバイスへの応用上、重要な意味を持つという。

しかし、強磁性金属微粒子のスピン緩和時間の測定は容易ではなく、半導体の場合は、数100nmのサイズでも量子効果が現れるが、金属の場合ではサイズが10nm以下でなければ、量子効果は顕著に現れないという課題があり、近年報告されているCo微粒子のスピン緩和時間と比べ2桁(約100倍)、バルク金属と比べると7桁(約1000万倍)長いスピン緩和時間を達成したこととなる。

半導体の量子ドットの場合、光のポンプ・プローブ法などの確立したスピン緩和時間の測定技術があるが、金属においては、光による手法が使えない。2004年には東北大学の研究グループが、強磁性金属のCo微粒子(直径~2.5nm)においてスピン依存伝導特性の測定を行い、スピン緩和時間が150nsと見積もったが、同研究で用いられた構造では酸化物の絶縁体を使用していたため、微粒子の界面などの問題があり、それより長いスピン緩和時間が得られていなかった。

今回の田中教授を中心とした研究チームでは、分子線エピタキシー法およびナノ加工技術により、単結晶MnAs ソース電極(5nm)/GaAs(5nm)/GaAs:MnAs微粒子(5nm)/MnAsドレイン電極(5nm)からなる単電子スピントランジスタ(Single electron spin transistor:SEST)構造を作製。ゼロ磁場と10kGの磁場を印加した際の抵抗の変化率(トンネル磁気抵抗比:TMR比)のソース・ドレイン電圧依存性を見ると、TMR比が振動しているのが分かる。これは、クーロン・ブロッケード効果およびスピン蓄積現象によるもので、このTMR振動と理論計算と比較した結果、スピン緩和時間が10μsかそれ以上であることが判明した。

a)は単電子スピントランジスタの断面構造。ここで、GaAs:MnAsとはGaAs格子中に直径5nm程度の六方晶MnAsナノ微粒子が埋め込まれた構造を指す。b)は走査型電子顕微鏡により上から観測したデバイス構造。ソース・ドレインのギャップが25nmで、粒子間隔とほぼ同じであるため、ギャップに1個のMnAs微粒子が形成されていることが期待できる。実際に単電子伝導の測定ではクーロン階段のステップが注入した電子数の線形関数であるため、1個のMnAs微粒子を介する伝導であることがCの挿入図において確認された。c)はクーロン・ブロッケード効果によるトンネル磁気抵抗比(TMR比)の振動現象。挿入図はクーロン階段の注入電子数依存性。d)はスピン蓄積を考慮したモデルによるTMR振動の計算結果。挿入図は振動幅のスピン緩和時間依存性。実験結果と理論計算のフィッテティングにより、MnAs微粒子中のスピン緩和時間が10μs であると見積もられる

今回、このような長いスピン緩和時間を達成できたのは、単結晶の微粒子と半導体的なトンネル障壁の使用および微粒子表面酸化や不純物汚染がない良質な界面、MnAs自体のスピン軌道相互作用が弱いこと、などによると考えられるという。

今回の研究は、1980年代に理論的に予測された金属微粒子の量子サイズ効果によるスピン緩和の抑制(スピン緩和時間の増大、すなわち電子のスピン状態が長い時間にわたって保たれること)を実験的に明らかにし、ナノスケール材料の優位性を示した成果となる。

スピン緩和時間が10μsかそれ以上であることはこれまでの成果と比べると相当な長さであり、ここで明らかにされた長いスピン緩和時間は、MnAs強磁性微粒子中の電子のスピン状態が長い時間にわたって保たれることを意味しており、超高密度スピンメモリや単電子スピントランジスタ、再構成可能な論理回路など、スピンを利用した新しいデバイスへの応用へ道を開くことへの期待につながると研究チームは説明する。

また、半導体のプロセスの微細化限界が見えてきた現在、電子の電荷のみならずスピンを利用した新しい原理デバイスが、次世代の主役になると期待される用になってきているが、今回の成果は、そうしたスピントロニクスデバイスの実現に向けた重要なステップとなると見られる。