「SAPジャパンに10年以上在籍しているが、この会社が大きく変わろうとしていることをこれほど肌で実感するのは、正直、はじめてかもしれない」 - SAPジャパン バイスプレジデント ビジネスユーザー&プラットフォーム事業本部長の福田譲氏は、4月1日、同社で開催されたプレスセミナーの冒頭でこう切り出した。今年2月のCEO交代に伴い、新体制が敷かれてから2カ月近く経つが、社内の変化と同時に、景気が回復基調を迎えつつあるなど、同社を取り巻くビジネス環境もまた大きく変わりつつある。内外とも迎えた大きな変革のとき - 全世界の全社員がそんな緊張感に包まれている状態なのだろう。
SAPはもともと、自社内での技術開発にこだわる"ものづくり"の会社だ。ライバルのOracleが積極的な買収で他社の技術を取り込んでいる戦略とは大きく異なる。近年、BusinessObjectsの買収および自社製品への技術統合という大きなチャレンジはあったものの、自社内でのイノベーションを推進するという基本理念に変わりはない。そして、そのイノベーションを支えるのがSAP Global Research & Development、全世界に約1万5,000人の研究員を抱える世界最大級の研究開発組織だ。
変革の最中にある同社は今後、どんな方向性で製品/サービスを市場に提供していくつもりなのか。「SAPは今後、これまでのSAPでは考えられないような製品/サービスを数多く発表していく予定。その根底にあるモメンタムを正しく理解していただきたい」 - 以下、SAPの東京ラボに在籍する馬場渉氏が「SAPの研究開発戦略/最新動向について」と題したプレスセミナーで解説してくれた内容の一部を紹介したい。
SAPジャパンは単なる販社ではない - 東京ラボの役割
「SAPジャパンは、もう単なる販社ではない。今、我々は日本からの独自提案を求められている」 - SAPジャパンとしての独自性、言い換えれば日本市場にコミットしたソリューションの提案をしていかなければならないと馬場氏は言う。同氏が籍を置く東京ラボは、正確には"Co-Innovation Lab Tokyo"、米国パロアルトにつづく、同社にとっては2拠点目となる"共同研究開発所(COIL)"である。通常の開発センター、あるいはリサーチセンターと異なり、パートナーや大学、あるいはユーザ企業など外部の組織と一緒に、それぞれが技術やノウハウをもちよって新しいアイデアを詰めていくというスタイルを採っている。「アプリケーションとは、利用してくれる現場から求められてはじめて成立するもの。日本の現場から出た声を集約し、独自のソリューションにつなげ、それを今度はグローバルに反映させていきたい」(馬場氏)とする。具体的には、地震など自然災害の多い日本の事情を考慮したディザスタリカバリ関連のソリューション開発などの実績がある。
研究開発中のソリューション
ここでは、同社のR&Dが現在取り組んでいるプロジェクトの中から、いくつか興味深いものを紹介しよう。
Gravity … Google Waveとの協業
SAPとGoogleという組み合わせを意外に感じる向きも多いかもしれないが、これはSAP Business Process ManagementにコラボレーションツールのGoogle Waveをガジェットとして取り込んだもの。「プロセスの変更やマーケティングの変更などは、現場の担当者たちがリアルタイムで自然な会話を行いながら変更を反映させていくほうが、的確なディシジョンを迅速に行える」(馬場氏)という考えのもと、日常のコミュニケーションとバックエンドアプリケーションを強固に結びつけ、ビジネスの効率化を図る工夫が随所に見られる(以下はYouTubeにアップされているデモ(英語))。
StreamWork
これはすでに3月30日にプロダクトアウトした製品だが、Google Waveに似た機能をもつクラウドベースのコラボレーションツール。Google Waveに比べ、よりビジネスに特化している点がポイント。とくにチーム内の生産性を高め、迅速な意思決定を行うことを主眼としている。ユーザはMS Officeなど複数のアプリケーションを立ち上げることなく、StreamWork内で作業を完結できる。基本機能の「BASIC EDITION」は無料で利用できるほか、BASIC EDITIONを機能強化した「PROFESSIONAL EDITION」も月額9ドルと導入しやすい価格設定も特徴。(SAP SteamWorkの詳細はこちら)
南アフリカへの支援
SAPは南アフリカ共和国のプレトリアにリサーチセンターを置いているが、そこでは住民の生活向上を図るための参加型共同事業「リビング・ラボ」が行われている。新興国の"Emerging Economy"およびそこで使われるICTの"Simplicity"の研究開発として、農村の事業者支援や地域医療などのプロジェクトを実施するが、「先進国では考えられないような状況の国には、やはり考えられないようなアプリケーションが必要」(馬場氏)という。
たとえば現在、現地でサポートしているプロジェクトに、日常雑貨を販売する小さなショップを携帯電話を使って業務支援するというものがある。そこで使用されている携帯電話は、日本では10年くらい前に使われていた、テキストを5、6行しか表示できないようなタイプの製品。当然、入力できる情報量も限られる。そのわずかなスペースにどんな情報を入力/表示すべきなのか。また、道路や公共交通網など先進国では当たり前のインフラが整備されていない地域では、GIS情報を表示するUIはどうあるべきか。番地もストリート名もない場所にどうやって商品をデリバリーするのか - こうした条件を考慮しながら、これまでの発想では思いつかない(radical new thinking)アプリケーションや基幹業務の回し方を考え、現地の経済に貢献することが求められている。
AR(Augumented Reality)への対応
最近はプロモーションに使われることも多いAR(拡張現実)技術だが、SAPでもこれに関する研究および実証を数多く行っている。説明の中で興味深かったのは、ダイムラーとの実験プロジェクトであるウェアラブルコンピュータ「SiWear」だ。ドイツのマンハイムにあるダイムラーの工場では、エンジンを組み立てるのに必要な部品を作業員がピックアップする - 実はこのプロセスは重要であるにもかかわらずミスが発生しやすい部分でもある。車種ごとに必要なパーツも異なり、しかもその数も多いエンジンは、選ぶ部品を1つ間違うだけで組み立て作業に大きな支障を来す。部品名が書かれたメモを作業員に渡すだけでは、どうしてもヒューマンエラーが起きてしまう。
そこでSAPが開発したのがバックパックとヘッドセットを組み合わせたSiWearだ。作業員がSiWearを付けて部品が並んでいる棚に行くと、どの位置にある部品をいくつピックアップすればよいかが視覚的にわかる。正しくピックアップすれば、チェックマークが付くしくみだ。BIから読み込んだデータをリアルに表示することができ、ミスが起こりにくくなったとして、ダイムラー側からの評価も高い。SAPは「BIを使って、ARと現実世界をもっと近づける取り組みを進めていきたい」(馬場氏)としており、デバイスの小型化や製造業以外での実証実験なども検討中だ。
ダイムラーの工場でのSiWear実証実験のYouTube画像から。SiWearを付けて棚に行くと、ピックアップすべき部品の場所とその個数が表示される。データが入っている機材はバックパックの中に入っている |
変革のメッセージは本物か - これからの製品リリースに期待
経営体制が一新したSAPでは、「Instant Value to People Everywhere」をテーマに、「シンプルでユーザの使い勝手が良い製品/サービスをあらゆるデバイス上で、最小のTCOでスピーディに」リリースしていくことを全従業員に徹底させているという。そして、「利用者に直接歩みよる技術」でもって社会を効率化し、貢献していきたいとする。「たとえばAppleのiTunesの裏側ではSAPが動いている。これはすでに世界で3億人がSAPを利用していることにつながる。こういった形でユーザを増やし、2014年までには世界で10億人が何らかの形でSAPの技術を利用していることを目標にしたい」と馬場氏はまとめた。「気がつけば誰もがSAPユーザ」- そんな状態を目指しているかのようだ。
SAPはもちろん、企業アプリケーションベンダである。コンシューマユーザにはあまり縁のない会社とのイメージが強い。だが、最近はSME(中堅/中小)企業へのソリューション拡充など、「大企業のための高額&大規模ソリューション」というイメージからの脱却を強く図ろうとしているようだ。研究開発途上の製品情報をこういった形でメディアに提供するというのも、そのひとつのあらわれだろう。今回紹介された技術が比較的身近であるせいか、個人的には今までよりもやわらかいブランドイメージの発信を意識しているように感じた。同社の変革の意思表明が本物かどうか、これから発表される製品がそれを証明することになる。