富士通は、2010年3月6日に行われた取締役会において、前社長である野副州旦相談役を解任することを決定した。
一部報道において、2009年9月25日に同社代表取締役社長を辞任した野副州旦氏が、辞任取消を求める文書を富士通に送付したことが明らかになり、これを発端とした事態を受けて決議したものと見られる。
野副氏は、代理人の弁護士を通じて、2月26日付けで、富士通に対して、臨時取締役会の開催を要求する文書を送付し、その場で名誉回復の機会を設けることなどを要求。だが、これに対して、富士通では回答期限となる3月3日付けで代理人を通じて、開催を拒否する内容を通達した。
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2009年5月14日に開催された富士通フォーラムの基調講演でFUJITSU Wayについて説明する野副氏(関連記事はこちら) |
2009年7月23日の方針説明での野副氏(関連記事はこちら) |
富士通では、2009年2月ごろに、野副氏と長年にわたり親交の深い人物が代表取締役をつとめる企業が、野副氏が推進していたプロジェクトの一部に関与していた事実を掌握したとしており、「当該企業グループについては好ましくない風評があったため調査したところ、理念・行動規範であるFUJITSU Wayの観点からも、当社が取引などの関係を持つことはふさわしくないとの判断に至った」とした。
同社によると、取締役およひ監査役からの注意。これに対して、野副氏が認め、プロジェクトから同企業を外すことを明言したものの、「野副氏は、その後も当該企業との関係を継続していることが判明した」としている。
富士通の取締役および監査役は、取締役会メンバーの過半数の同意を得た上で、2009年9月25日に、野副氏の事情聴取と弁明の機会を設け、「野副氏と当該企業との関係が調査結果どおりであれば代表取締役社長を解職すること、または野副氏に辞任の意向があればこれを受け入れること」を前提に野副氏と面談を行った結果、野副氏は辞任を選択したという。
富士通では、「野副氏が何らかの違法行為や不正行為を行っていたというわけではなく、あくまで、野副氏がとってきた行動が、当社の代表取締役社長という立場から見てどうであったか、また、仮に当該企業の風評ないし評価が真実であった場合、当社にどのようなリスクを発生させるかという観点から、当社代表取締役社長という地位にある者はいかに対処すべきかという経営判断の問題である。この観点で、当社代表取締役社長は、万が一のリスクが重大であればあるほど、一片の疑いも持たれない行動を取るべきというのが当社の判断であり、野副氏もこれを十分に理解した結果、辞任したものと理解している」などとした。
2009年9月25日の会見で、野副氏の社長退任理由を病気治療のためと説明した間塚氏(関連記事はこちら) |
2009年9月25日に行われた野副氏の社長退任会見では、野副氏本人は出席せず、代表取締役会長の間塚道義氏が説明。「野副氏の病気の内容については、プライバシーの問題として明らかにできない」としたものの、「本日の取締役会の前に、直接本人から、辞任の申し出があった。私は、"治療に専念したいので社長の職務をまっとうできない"と理解した。具体的な病名については聞いていない。私が一時的に社長を兼務するのは、取締役会で決定したものであり、野副氏から指名があったものではない」などと語っていた。
だが、野副氏の代理人は「病気の事実はない」などとしている。
これに対して、富士通では、「野副氏が辞任した背景に触れるとすれば、当該企業の評価が取り沙汰され、当該企業に何らかの影響を及ぼさざるを得ないことなどの事情を総合的に勘案して、当時、野副氏自身が体調を崩していた事実もあったことから、野副氏本人合意の上、辞任理由を病気として発表した」とし、「発表時点ではすべての事情についてお伝えしなかったことについては、事情ご賢察の上ご理解いただきたく存じます」などとしている。
一方、野副氏の代理人は、富士通側がこの内容を公式リリースとして発表したことに対して、「本人に告知弁明の機会を与えていないこと、さらに、解任理由が不明である。また、取締役会メンバーの過半数の同意を得た上でとあるが、これは何の法的効力もない。富士通の代理人から"臨時取締役会の日程を短時間に調整できるものではない"との返答があったが、3月6日に取締役会を開催し、解任を決議したことは返事の内容が間違っていることになる」などと反論している。
2010年1月22日の新社長会見。間塚氏(左)と山本正巳新社長(関連記事はこちら) |