8月1日、東京・新橋の航空会館にて「宇宙旅行シンポジウム」が日本ロケット協会と日本航空協会の共催で開催された。本シンポジウムは2005年の第1回から2年ごとに開催され、今回で第3回となる。今回も来るべき宇宙旅行時代に向けて宇宙にかかわるさまざまな方面について講演が行われた。本記事ではシンポジウムの各セッションのうち、基調講演の様子についてお伝えしたい。
シンポジウム冒頭に日本ロケット協会会長の小野田淳次郎氏による開会挨拶と同協会理事の稲谷芳文氏による開催趣旨説明が行われた後、宇宙飛行士でジャーナリストの秋山豊寛氏による基調講演が行われた。秋山氏は1990年、当時在籍していたTBSの企画「TBS宇宙プロジェクト『日本人初!宇宙へ』」の中で「宇宙特派員」として日本人で初めて宇宙に行ったことでも有名だ。宇宙からの最初の生中継で発した第一声「これ、本番ですか?」は当時流行語にもなった。
「宇宙開発ビジョンと宇宙旅行」と題した基調講演で秋山氏は福島県で農業を営む自身の近況を語った後、今年、宇宙開発戦略本部から発表された日本の宇宙基本計画に苦言を呈した。その対象となったのは「二足歩行ロボットの月面歩行計画」だ。人間ではなく、二足歩行ロボットの月面歩行を目指すという計画は「正気の沙汰ではない」と言い切った。
日本人初の宇宙飛行士・秋山豊寛氏。国内の宇宙開発へのきびしい苦言がつづいた |
「自分たちが宇宙に興味を持ったのはなぜなのかということを、もう一度考え直してほしい」
そして、秋山氏は今の宇宙開発計画がさまざまな当事者や業界に対して慎重に気を使って作られたもののように感じるとし、「それではアンビシャス(意欲的)なものは出てこない」と語った。
「人間はどこからきて、どこにいくのか、それを確認したい - そうした好奇心の中に宇宙開発も含まれるだろう。それなのに、今できる範囲でしか思考しないのでは飛躍はないのではないか」
また、同氏はこうした現状に対比させて1960年代の宇宙を取り巻く状況に言及した。その中心となるのはもちろん今年で40周年を向かえたアポロ計画による月面着陸だ。秋山氏は当時の衝撃を「なにか心にグサッとくるような、うわーという感じがあった」と表現した。そうした、いわば生きていることの手応えや生き甲斐を根本的なところで支えるのが宇宙開発なのではないかと語る。
もちろん、そうした取り組みは一朝一夕でできるものではない。秋山氏の宇宙飛行を同様だ。TBSで宇宙プロジェクトに関わっていたスタッフは1980年代のハレー彗星観測などを通じ、時間をかけてソ連(当時)とのルートを造ってきた。そうした経緯の積み重ねの中で宇宙行きの話があったのだという。
「ひょうたんから駒ではなく、準備過程が必要です。1960年代当時、(人類初の宇宙飛行をしたソ連の)ガガーリンにショックを受けた米国は強い意志を持って、プロジェクトに関わる人々の想いや生き甲斐を蓄積し、大きなピラミッドに組み立てていきました。情熱の蓄積が必要なんです。同様に今の日本も、たとえば"いつまでに有人宇宙飛行を実現する"というような目標から組み立てていかないと、若い人たちの心を突き動かすことはできないんじゃないか。今できる範囲でなにかをやるということでは永遠に夢でしかない」