みなさんはジョン・クインシー・アダムズ(John Quincy Adams)という人物をご存知だろうか? 米国第6代大統領であり、米国の父として知られる建国の英雄だった第2代大統領ジョン・アダムズ(John Adams Jr.)の息子といえば多少はイメージが沸くだろう。その人物が「Twitterを始めた」と聞いたら驚くだろうか? 疑う人がいたら、ぜひこのアカウントまでアクセスしてみてほしい。
彼のつぶやきによれば、ちょうど200年前の8月4日、当時のロシアへの旅行を開始したところらしい。英語版Wikipediaで同氏の経歴を調べてみると、なるほど、1809年に第4代米国大統領のジェームズ・マディソン(James Madison)によって米国初のロシア大使に任命されている。その後3年間ロシアに滞在し続け、1812年のナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)によるロシア遠征と冬将軍に敗れたニュースを現地で知らされている。1814年に米国に召還されるまではロシア生活が続いていたようだ。
もうおわかりかもしれないが、これはアダムズ元大統領の200年前の軌跡がTwitterでつづられたものだ。同氏は12歳だった1779年から日記を書き始め、死の直前の1848年まで1万4,000ページ、本の巻数にして51冊もの膨大な資料を残している。この日記は今日においてもMassachusetts Historical Societyで大切に保管されており、いまなお誰もがその足跡を最新テクノロジーでたどることができるようになっている。Twitterアカウントでのつぶやきもその一環で、フォローすることで彼の日々の出来事を知ることができるという仕掛けだ。
アダムズ元大統領の生きた時代は、独立から建国を経て、ちょうど政治的な安定期の終焉が近付いていたころでもある。安定与党だった民主共和党(Democratic-Republican Party)の分裂に直面し、第7代大統領となるアンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)率いる民主党との激しい政争がクローズアップされがちなど、建国の父である父親のジョン・アダムズと比較するといささか影に隠れがちなその経歴だが、TwitterやWebを駆使して当時の様子をいまいちど振り返ってみるのも面白いだろう。