「判断」を左右するのはアンカリング

早稲田大学IT戦略研究所所長、経営情報学会会長 根来龍之氏

短期間で急激に変転するITの動向を適時に紹介する「Prowise Business Forum(主催:日立システムアンドサービス)」が4月16日、東京・港区内で開催された。35回目となる今回の主題は「営業戦略向上による組織力強化~CRM(Customer Relationship Management)システム活用事例~」で、基調講演には、早稲田大学IT戦略研究所所長、経営情報学会会長 根来龍之氏が登壇、CRMの本質、その重要性、いかにして実際の事業や利益向上につなげるかなどについて解説した。

この講演で最も重要なキーワードは「アンカリング(anchoring)」だ。アンカー(anchor)とは「錨」のことで、アンカリングは本来は、海に錨を降ろすことだが、ここでは、情報が不十分な状況で、提供された情報、あるいは、自分でもっている情報を基準に判断を下すことを表している。船は錨を降ろすことにより、動ける範囲が限定されてしまう。情報をよりどころに判断/意思決定する場合も、限られた情報だけを基準にしてしまうと、その基準により、考えの範囲が限定されることになるため、これに似ている、船と碇の関係としてたとえている。

ドイツのロケット弾は避けられるのか?

人が日々、判断を下す場合、まず前提があり、根拠があって、判断に至る - という過程がある。根来氏は、第二次世界大戦時のある事例を挙げた。当時、ドイツ軍はロケット弾を用い、ロンドンを攻撃していた。その際、一時期、地図上でみると、市街の北東部への着弾が少なかった。そこで、判断として、場所を選んで逃げれば、被害が少なくなるのでは、との推論がなされた。ここで前提となったのは「ドイツ軍はロンドン市街地の特定地域を狙っている」「ドイツのロケット弾は、ある場所を特定して狙うことができる」「場所の分類は、直交座標でみるのが自然である」--といった事柄だった。

しかし、この根拠は、誤りに満ちていた。実際には、ドイツのロケット弾は発射された2万1,000発のうち、ロンドンに着弾したのは7,000発ほどで、ロンドンまで届くのがやっとであり、特定の場所を狙い撃ちすることなど、できるはずもなかった。また、地図上の着弾地点の偏りも分析の仕方で異なってくる。ロンドン市外の地図を直交座標でなく、「X」状の線で4つに分けると、着弾地点は4地域ともほぼ均等だった。つまり、ここから導き出せる判断は「どこに逃げても同じ」となる。

根来氏は「判断や意思決定には、必ず前提があるわけだが、それは妥当なものなのかどうかは実は明確ではない。普遍的に正しいというわけではない」と話す。このドイツのロケット弾の例が示すのは「どんな経験的事実でも、最も特異な部分を見つけて、そこだけに都合のよい統計的検定を施し、自由に数値上の差を作り出せる」ということだ。「データは重要ではあるが、データさえみればわかる、というのは必ずしも正しいとはいえない。その前提が何なのかを考えなければならない」(根来氏)からだ。この事例は、前提が誤りであれば「統計的検定をすれば正確」というのも間違いであることを物語っている。

「アンカリング」には、このような「論理」によるものだけでなく「心理」によるものもある。「論理とは別に、感情(心理的価値)が判断に影響する。感情が、根拠と主張をつなぐ役目をする」(根来氏)という。このような「心理アンカリング」としては、たとえば、「バーゲンセールなどで、初めから値引きした価格を表示して商品を販売するより、元の値段に線を引くなどして、値下げ前の価格を明示した上で、値引きした価格を表示するほうが、消費者はより安く感じる」「2%の現金割引より、ポイントカードへの2%のポイント付与の方が、消費者をひきつける」などの例があるという。

CRMは「思いこみ」を変えることが可能

さて、CRMとは何か。根来氏は「顧客情報の一元管理と共有を基礎にして、望ましい顧客関係を作り出し維持する活動」と定義している。営業担当部署だけではなく、企画、サービス、開発など、顧客に関わる部門すべてが対象となり、引き合い、受注、クレーム、要望といった、「顧客」を機軸にしたすべての情報を有機的に統合/管理し、継続的に顧客足度を向上させ、利益率の向上をもたらすものだ。

企業力向上の手法としては、SFAもあるが、SFA(Sales Force Automation)とは、営業部門を効率化/強化し、売上/利益の増大を実現するために、営業活動を情報技術で支援することであるといわれる。SFAの目的は、営業プロセスの合理化、消費者のニーズに着目、これを徹底的に優先した視点で、商品/サービスを開発する、いわゆる「マーケットイン」促進、社内情報ギャップの解消…などであると根来氏は指摘、SFAはCRMの一環と捉えている。

企業と顧客(または消費者)との関係を考えると、企業は商品やサービスを提供し、消費者はほしいものを求める。この両者がぴたりと合致すれば、商品やサービスが購入され、合致しなければ購入されない。このような合致はそう簡単なことではない。ここにもアンカリングが介在するからだ。

企業の視点では、論理アンカリングとしては、「消費者のニーズは、このようなものだ、との考えや、自社の製品は、競合のものよりここが優れている」(同)といったことになり心理アンカリングは「利益率など、企業ごとの経営目標へのこだわり」(同)があり、「行動を規制する」(同)こともある。

一方、消費者側にもアンカリングがある。論理アンカリングの例は「この商品の方が、自分には適している。こういう使い方が最も良い」などで、心理アンカリングは「いまのままで十分。新商品は不確実。価格が高すぎるように思う」などとなる。

CRMシステムは、顧客のニーズを的確に把握することに貢献できるとともに、それらの顧客情報を営業以外のさまざまな部署でも共有することが可能になるため、CRMをうまく活用すれば、企業はアンカリングを補正するツールとして利用できる。さらに、営業部門は、CRMを、消費者のアンカリングを変えることにも使える。

根来氏は「企業も、その営業要員も、そして消費者も、判断する場合には必ずアンカリングをもっており、それは100%正しいということはない。SFAや、それを部分とするCRMは、アンカリングを補正する役割をもっている」と述べ、常にアンカリングが存在することを意識することが重要で、CRMがそれを修正できる可能性があることを強調した。