創立30周年の記念すべきOOWにて、初日から登場したエリソン氏

米Oracleが最新技術を紹介するOracle OpenWorld San Francisco 2007が11日に開幕した。初日の基調講演「Oracle Sunday Night Live」には、ローレンス・エリソンCEOが登壇、同社のここまでの歩みを振り返った。開催冒頭から、エリソン氏が講演に臨むのは異例のことであるという。今年は、1977年に同社が設立されてからちょうど30周年となる。データベース専業のベンダだった同社は、買収/合併を継続的に展開、この3年ほどに間に30数社を買収、今では企業がITを活用するためのソフトを網羅する企業へと様変わりしている。

データベースがかつて大型汎用機のためだけのもので、互換性/移植性に乏しかった時代にあって、エリソン氏はミニコンに対応させ、適用範囲を広げた。また、最初の商用RDBが当初は、CIA(Central Intelligence Agency:米国中央情報局)に納入されたことにも触れた。ミニコンで動くRDBについて、CIAは「これなら、飛行機や潜水艦にも載せられるかもしれない」と評価したという。「"Oracle"はもともとRDBの開発コード名だった。プロジェクト自体は、最終的にはうまくいかなかったが、そのかわりOracleの名を我々が使うことができるようになった」(エリソン氏)

同社は、データベースベンダとして、基幹製品「Oracle」の改良を重ね、この領域での高いシェアを獲得、支配的な位置を確保したが、5年前に方向を変換した。データベースは中核として、引き続き強化を続ける一方、その守備範囲は、ミドルウェア、一部のアプリケーションに留まらず、多岐にわたるようになった。シーベルシステムズ、JDエドワーズ、ハイペリオンなどを次々買収、買収・合併積極策を打ち出す前には4万人ほどだった従業員数は8万人に増加している。2005年には、5年で200億ドルの売り上げを目標としていたが、2007年5月期には、すでに180億ドルに達している。

キーノート中、盟友で同社共同創立者の故ロバート・マイナー氏の功績を称えるエリソン氏。開催初日の11日はマイナー氏の命日でもあった

現在、エリソン氏はCEOの地位にあり、社長にはチャールズ・フィリップス氏が就任している。エリソン氏は「人こそが最も重要だ」と強調したが、たしかに創業時から現在に至るまで、Oracleには数多くの人々の知恵や努力が結集されてきた。データベースで強力な陣地を築いても、守勢に回ることなく、常時「動いていく」ことをやめない。エリソン氏は「時速150マイルで突っ走ってきた。これまでの常に革新していく姿勢は今後も継続させ、変わらない」としている。

今年のOpenWorldは同社が規模を大きく拡大したことを受け、合計で1,625に上るセッションが開かれ、4万人が事前登録している。最近のIT産業界では、ソフトをパッケージという「箱」に閉じ込められたものとは考えずサービスと捉える発想が勢力を得ており、SOA(Service Oriented Architecture)、SaaS(Software as a Service)が、ITを活性化させる有力な手段として台頭している。今年のOpenWorldの目玉と位置づけられている、AIA(Oracle Application Integration Architecture)や、Oracle Fusion Middlewareの最新版は、このようなソフトの新たな潮流に対する、同社の回答のひとつとなるだろう。