「お手ごろ価格のスイス時計」と「シンプルな機械式ウォッチ」――。
それが今年2024年を象徴する、そして皆さんに注目してほしい時計業界のトレンドで、しかもオススメしたい時計のジャンルだ。来年2025年もこのトレンドは続くだろう。
なぜこのトレンドが生まれたのか? その背景には“高級時計市場の飽和と進化”という事実が。さらにその背景には、1980年代後半〜1990年代初頭にかけて起きた「腕時計の意味と価値」に関する大きなパラダイムシフト(常識の変革)がある。
腕時計をいま「時を知る道具」と考えている人はほとんどいない。自分のスタイル、いま、腕時計は着ける人、所有する人の「好みや趣味、個人のセンスを表現するファッションアイテム」になっている。これぞ、そのパラダイムシフトだ。
この歴史的な大変革のきっかけ。それは間違いなく携帯電話の登場だった。機械式時計ブームは実は、1994年の携帯電話の個人所有解禁と同時期に始まっている。このころからすでに、腕時計の機能と価値は「時を知る道具」から「自分を表現するファッションアイテム」へと変化を始めていたのだ。
当時、私は月刊モノ情報誌の「GoodsPress」(徳間書店刊)の編集部員で、時計の取材を始めたころ。ちょうど携帯電話の取材も同時に行っていた。国内の時計工場の取材をしながら、どのキャリアのどの携帯電話がオススメかという記事を何度も執筆、編集していた。
携帯電話をめぐるニュースで筆者にはひとつだけ、いつも違和感を覚えることがあった。話題になるたびに紹介される「これで腕時計が不要になって、売れなくなる」という予測だった。確かに携帯電話の時刻表示は時計よりも格段に正確だった。でも、機械式時計ブームも同時に起きていた。そのことを知っていたからだ。
そして腕時計をめぐる状況は、このメディアの予測とは真逆の方向に推移していく。携帯電話の個人所有解禁とほぼ同時期、1990年代半ばに始まった機械式時計ブームは、時計マニアから普通の人たちにじわじわと拡大。さらに高級時計ブームへと進化していく。
高級時計ブームの後押しをしたのは、腕時計の「天敵」扱いされていたスマートフォンやスマートウォッチだった。このふたつが進化して話題になるたびに、スイス時計の世界への総輸出額は右肩上がりにアップ。2000年から2015年では2倍以上に。その後、一時的にコロナ禍で落ち込んだものの、2023年の総輸出額は2000年の2.6倍と史上最高を記録している。つまり、高機能なパーソナルデジタルデバイスが普及するほど、人は腕時計を欲しがるようになったのだ。
もちろん腕時計は「時を知る道具」でありそのニーズは今もある。でも当時もいまも、人が“良い腕時計”を欲しがるいちばんの理由は、自分のスタイル、好みや趣味、個人のセンスを表現するファッションアイテムだからだ。
進化を続ける機械式時計
携帯電話やスマートフォン、スマートウォッチが登場したこの30年間のあいだ、時計ブランドは技術革新を怠っていたわけではない。こうしたデジタルデバイスを脅威だと捉えて、積極的に技術革新に取り組んだ。その結果、たとえば機械式時計の耐磁性(※)は、心臓部に磁化しないシリコン素材の部品を採用することで、強い磁気を放つスマートフォンの近くに置いてもほぼ問題ないレベルにまで高まった。
※機械式時計の耐磁性:機械式時計のムーブメントが磁力を帯びると、時計が進んだり遅れたり、針が止まったりと、動作に支障をきたす。
そしてコロナ禍による異例の金融緩和と消費シフト、つまり金融緩和による世界的な株価の高騰=富裕層の金余り現象。「贅沢旅行の代わり贅沢品を購入しよう」という富裕層の行動は、世界的な高級時計ブームへとつながった。これまで時計に興味のない人々が時計を購入してくれたことで、2021年以降、時計業界は異常な好景気が続いてきた。
だが、好景気にもどんなブームにも終わりはあるし、「負の遺産」は残る。2024年に入っても一部の時計ブランドは依然として絶好調。だが時計業界全体はこの「負の遺産」に苦しんでいる。“異常な製品価格の高騰”による販売不振だ。
日本の場合、これに円安という為替の影響がさらに上乗せされている。もはやスイスの高級時計はどれも、時計ブランド自身が「高過ぎる」と自嘲するくらい、普通の人々には手が届かない富裕層アイテムになってしまった。
誰にとっても魅力的で楽しめる腕時計へ
筆者が注目する2024年のふたつの時計トレンド、「お手ごろ価格のスイス時計」と「シンプルな機械式ウォッチ」は、“異常な製品価格の高騰”による販売不振とスマートウォッチの“成熟”というもうひとつの状況――。このふたつを踏まえて生まれた、時計業界からの消費者に対するラブコールだ。
昔ながらの時計、なかでも機械式時計という精密機械には、機能だけでは割り切れない、人を惹き付ける不思議な魅力がある。だから時計は着ける人のライフスタイル、所有する人の好みや趣味、個人のセンスを表現するファッションアイテムになることができた。だから消費者は、機能ではスマートウォッチにまったく敵わないのに価格の高い時計を購入してくれる。このことを、長く時計産業で働いている人々はよく理解している。
ただ、時計の価格はあまりに高くなり過ぎた。一方でスマートウォッチは成熟期を迎えて、機能が充実しているのにさらに手ごろで魅力的な価格になっている。このままではスイス時計は富裕層、それも現在の富裕層だけのものになって、普通の人からは見向きもされないものになってしまう。何とか価格を下げなければ。しかもスマートウォッチにはなの魅力が感じられるものにしなければ。
「お手ごろ価格のスイス時計」と「シンプルな機械式ウォッチ」という、2024年のふたつの時計トレンドは、時計産業に関わる人々のこうした危機感、想いから生まれた。2024年に登場した新作は、価格に関わらずどれも“価格を超えた価値”を備えている。またスマートウォッチにはない、機械式時計が持つ400年を超える長い歴史、その中で育まれた“人の温もり”が感じられるものに仕上がっている。
ここでご紹介するのは、そんな2024年のトレンドが反映された新作モデル。特にシンプルでクラシックな、流行りすたりのない、いつまでも愛用できるものを選んだ。これ以外にもオススメしたいものは多い。気になる時計ブランドやモデルが見つかったら、ぜひその時計ブランドの直営ブティックや取り扱いのある時計専門店を訪ねて、自分の心に刺さる1本を探してみては。
グランドセイコーの中でも1~2を争う傑作デザインに
手巻きの「味」にこだわった最新ムーブメントを搭載!
- グランドセイコー
- Heritage Collection 45GS復刻デザイン 限定モデル(Ref.SLGW005)
- 134万2,000円
- 世界限定1,200本
- 手巻き、SSケース、ケース径38.4mm、ケース厚10.4mm、3気圧防水
2024年春にスイスで開催された時計フェア「Watches and Wonders Geneva(ウォッチズ・アンド・ワンダーズ ジュネーブ)」で発表された新作モデル。そこで極上のぜんまいの「巻き心地」と優れた精度で時計愛好家から絶賛された最新の機械式手巻きムーブメント「Cal.9S4A」を、GSファンの中でも評価の高い「45GS」スタイルのケースに搭載。
クワイエット・ラグジュアリーを極めた
最高峰の時計師ブランドの新作・手巻きモデル
- パルミジャーニ・フルリエ
- トリック プティ・セコンド(Ref.PFC940-2010001-300181)
- 709万5,000円
- 手巻き、18KRGケース、ケース径40.6mm、ケース厚8.8mm、日常生活防水
時計史に輝く、古典時計の修復においてスイス時計界でもっとも尊敬される時計師のひとり、ミッシェル・パルミジャーニと、もっとも洗練されたウォッチ・ディレクターのグイド・テレーニ。ふたりのこだわりとセンスがひとつに凝縮された、クワイエット(控え目)ラグジュアリーの王道を行く1本。眺めれば眺めるほど新しい魅力が発見できる、2024年を象徴する文句なしの名作だ。
ネオ・クラシックの王道を行くスタイルが
スイス時計とは思えないお手ごろ価格で楽しめる
- レイモンド ウェイル
- ミレジム スモールセコンド(Raf.2930-ST-50011)
- 36万3,000円
- 自動巻き、SSケース&ブレスレット、ケース径39.5mm、ケース厚10.25mm、50m防水
“時計界のアカデミー賞”ともいわれるジュネーブ・ウォッチ・グランプリ(GPHG)にて、2023年に3,000スイスフラン以下の魅力的なモデルに贈られる「チャレンジウォッチ賞」を受賞。時計業界に「ネオ・クラシックブーム」を巻き起こした名作、待望のブレスレットモデル。価格を超えた風格に驚く人は多いはず。
スイスでもっとも愛されている老舗ブランド
人気のラグスポウォッチ、まさかの先端素材ケースモデル
- ティソ
- PRX パワーマティック 80 40mm カーボン(Ref.T137.907.97.201.00)
- 15万4,000円
- 自動巻き、フォージドカーボンケース、ケース径40mm、ケース厚11.2mm、100m防水
2010年以降、時計業界を席巻した「ラグジュアリー・スポーツ(ラグスポ)」ブームを受けて、身近な価格設定からスイス人にもっとも親しまれ、愛されている名門ティソが復刻した1970年代の名作「PRX」。ラグスポウォッチの中でも最高のコスパを誇るこのシリーズの最新作は、なんと超高価な先端素材であるフォージドカーボンをケースに採用しながら、誰でも手が届く驚きの価格を実現した。これは2024年の新作の中でも間違いなくコスパNo.1の傑作だ。
文・写真/渋谷ヤスヒト