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一見普通の白シャツが、ハイブランドでは10万円で販売される理由……あなたは説明できるだろうか? この連載では、ハイブランドと呼ばれるアパレルブランドが「ハイブランドたる所以」をわかりやすく解説していると話題の書籍『教養としてのハイブランド フツーの白シャツが10万円もする理由』(とあるショップのてんちょう 著/彩図社 刊)から一部を抜粋して紹介していく。

( Life )
1 教養としてのハイブランド

Diorって結局何がすごい? 有名になったきっかけは「○○の丈」を長くしたこと

NOV. 07, 2024 12:00 Updated DEC. 23, 2024 17:42
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一見普通の白シャツが、ハイブランドでは10万円で販売される理由……あなたは説明できますか? この連載では、ハイブランドと呼ばれるアパレルブランドが「ハイブランドたる所以」をわかりやすく解説していると話題の書籍『教養としてのハイブランド フツーの白シャツが10万円もする理由』(とあるショップのてんちょう 著/彩図社 刊)から一部を抜粋して紹介していきます。

  • 『教養としてのハイブランド フツーの白シャツが10万円もする理由』(2090円/彩図社)

第1回で取り上げるのは、第二次世界大戦後にファッション業界を席捲したデザイナー/ブランド「クリスチャン・ディオール」。最初のコレクション「ニュールック」が、のちに"伝説のコレクション"と評されるようになった理由とは?


長い戦争、そしてナチスドイツによる占領によって勢いを失っていたパリ・モードは、「テアトル・ドゥ・ラ・モード」といったイベント(戦後の物資不足を鑑み、人間の半分程の大きさの人形に服を着せて展示することで新しいモードを提案した)の力もあり、少しずつその影響力を取り戻していきました。

しかし実は、この時はまだ本当の意味での「新しいモード」は生まれていません。

当時のフランスではまだ衣料品の制限が続いており、女性たちの着る服は戦時中と変わらず「華やかさ」とは程遠いものだったのです。

そのような環境の中、突如現れたデザイナー/ブランドが、「クリスチャン・ディオール」でした。

  • クリスチャン・ディオール(1905-1957)

家庭環境や自身の病気、そして戦争……。様々な苦労を経験したディオールは、1942年より、ジバンシィやバルマンも在籍したルシアン・ルロンというデザイナーの下で働きはじめました。

そして1946年、ディオールは当時「繊維王」とも呼ばれていたマルセル・ブサックという資産家からの支援を受け、自身の会社を設立するに至ります。

翌年の1947年2月12日。この日は、ディオールが最初のコレクションを発表した日です。

ディオールが発表したコレクションのテーマは、「8ライン」「コロールライン(花冠)」と呼ばれ、細く絞ったウエスト、それに対して大きく布地をとったスカートが特徴的でした。後に「ニュールック」と評されることになる、伝説のコレクションです。

  • クリスチャン・ディオールによる「ニュールック」

ディオールが提案したモードの中で最も新しかった点は「スカートの長さを一気に長くしたこと」にあると言われています。

1920年頃のスカートは、まだミモレ丈(ふくらはぎの中間ぐらいまでが隠れる丈のこと)ほどありました。スカートの長さはそこから流行に合わせて上下するのですが、戦争が始まった1939年頃には膝丈になり、以降ずっとその長さが続いていました。

この流れにはトレンド的な側面はもちろん、当時の情勢も大きく絡んできます。膝丈の短いスカートは動きやすいですし、何より生地不足に陥りがちな戦中・戦後においても比較的簡単に製造できるとあって、世の中の主流となっていたのです。

そんな中登場したのが、ディオールのニュールックでした。

沢山の生地を贅沢に使用した彼の服は、「贅沢」という言葉が消えてしまっていた戦後のフランス、特に女性たちにとって、とても魅力的なものに映りました。

『教養としてのハイブランド フツーの白シャツが10万円もする理由』(2,090円/とあるショップのてんちょう 著/彩図社 刊)

ファッションが楽しくなる、やさしい服飾史の本! アパレル業界に身を置き、YouTubeにて情報発信も行う著者による初の著書で、ディオールやサンローランといった老舗メゾンから、SacaiやAURALEEといった最新ブランドまで幅広く解説している。


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※ 本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。予めご了承ください。