新しいキャリア、新しい場所…。新しいことにトライするには、苦難や苦労がつきものです。ただ、その先には希望があります。

本連載は、あなたの街の0123でおなじみの「アート引越センター」の提供でお送りする、新天地で活躍する人に密着した企画「NewLife - 新しい、スタート -」。

第18回目は、元タカラジェンヌの憧花ゆりのさんにお話をうかがいました。

  • 第18回目は、元タカラジェンヌの憧花ゆりのさん

Return
宝塚の地に舞い戻ってきた
元タカラジェンヌ

「私の喜びは、宝塚にありました」

歌い手の花形ともいわれるエトワールを務めるなど、19年にわたり宝塚歌劇団で娘役として活躍した憧花ゆりのさん。惜しまれながらも2018年11月に退団しましたが、今年、宝塚の地に舞い戻ってきました。

その肩書きは、なんとホテルの支配人。宝塚大劇場のすぐそばに移転オープンした「宝塚ホテル」の新支配人に就任したのです。

  • 2020年6月21日にリニューアルオープンした宝塚ホテル

再び結ばれた宝塚との縁。

決断の背景には、とことん自分と向き合おうとする憧花さんの覚悟がありました

Background
宝塚歌劇の魅力に惹かれ。
不合格を乗り越え、夢のタカラジェンヌに

「どうして男の人が口紅を塗っているんだろう」と、最初は不思議な気持ちで観ていました。

大の宝塚歌劇ファンの母親に連れられ、幼少期からに宝塚大劇場に通うことが日常だった憧花さん。何度も観劇を重ねるうち、その魅力に惹かれていったそうです。

見ていると自分の気持ちがワクワクして。舞台は、夢や希望を叶えてくれる場所。そんな世界観に胸を躍らせていました。

  • 幼少期の憧花さん

憧れが現実の目標に変わったのは、自然の流れだったのでしょう。

小学校のときにバレエを習い、中学校でピアノと歌の勉強を始めた憧花さんは、タカラジェンヌになる夢を掲げ、宝塚音楽学校入学を目指すことに。

でも初めての受験には落ちてしまいました。笑顔が上手く作れなかったんですよね(笑)

あなたのように笑えない子が合格することはない」。

通っていた専門の受験スクールの講師からは厳しい言葉を投げかけられたといいます。しかし憧花さんは、この言葉を前向きに捉えました。

笑えるようになれれば合格できるんじゃないかと。そう意識すると、講師の方々にも少しずつ褒めていただけるようになって、周囲に認めてもらえると自信が湧きました。

二度目の挑戦で、見事合格。「当時の私にとって、タカラジェンヌになることだけが夢だった」と振り返りますが、一度の挫折をはねのけたのは、夢を信じる想いの強さだったに違いありません。

1998年、憧花さんは念願の宝塚歌劇の世界に足を踏み入れたのです。

Values
舞台の喜びは一瞬。
エトワール・組長経験で気づいた自分の価値観

規律が厳格で有名な宝塚音楽学校ですが、厳しさすら、宝塚歌劇のファンであった憧花さんは楽しめていたのだとか。

2年間の学校生活を終え、2000年、ついに宝塚歌劇団に入団。初舞台までの1か月は、同期全員で披露するラインダンスを徹底的に稽古したそうです。

同期全員で同じ場面に出演したのは、後にも先にもそのとき限り。良い思い出です。

そして、印象に残っている経験がもうひとつ。

稽古や本番では、最下級生は自分の出番に備えつつも、上級生の小道具を準備するなど、段取りを考えてテキパキと動かなければなりません。とても大変でしたが、地道に一生懸命に取り組んでいると、名前を覚えてくださったり、信用していただいたりして、嬉しかったですね。

在籍した月組は「お芝居の月組」と呼ばれるほど、高い演技力を求められる組。そのような中で、自分の稽古以外のことまできちんと全うするのは並大抵の努力ではできません。

2013年に月組副組長、2016年には月組組長を務めるに至りますが、それは憧花さんが人知れず徳を積み重ねてきた証でしょう。

組長や副組長の仕事は「舞台に立つためのより良い環境を整えること」と教えられました。もともと私は頑固な性格で、意見を曲げないことが多かったのですが、組子の意見を聞き入れて対応してみると、物事が円滑に進むようになって。柔軟性が身に付いたと思います。

2015年には『1789-バスティーユの恋人たち-』でエトワールに抜擢された憧花さん。

長い宝塚歌劇の歴史においても、1曲をひとりで歌い切る人は、ほんの一握りです。たどり着くまで15年の歳月を要したため、達成感はあったものの、それでも「舞台の喜びは一瞬だった」と言います。

歌や芝居に納得できず、ずっと試行錯誤を続けていました。例えば60回ある公演のうち、自分のパフォーマンスに満足できるのは1回か2回くらい。私にとっては、ひとつの場面をみんなで協力して創り上げる喜びの方が大きかったです。

自分を認めてもらえたり、他人を受け入れたり、人と分かり合うたびに得られる充実感。価値観が明確になり出した時期に、ちょうど舞台にも踏ん切りがつき始めたそうです。

組長はいわゆるプレイングマネージャーのような立場なのですが、その在り方に自分なりに納得できるタイミングがきたので、退団を決意しました。組長は短くても4年ほど務めるものですが、私は異例の2年間。引き留めていただけましたが、意思は揺るぎませんでした。

こうして憧花さんは、19年のタカラジェンヌ人生にピリオドを打ったのです。

Belief
他人が想像する姿と、自分が望む理想は違う。
表舞台には立たずとも、ホテルから“宝塚愛”を伝えたい

タカラジェンヌと同じくらいの生きがいを感じたい。そう考えた憧花さんは、大好きな歌の道を選びました。

大阪芸術大学通信教育部の音楽学科への入学をはじめ、ロンドンやニューヨークなどを旅して、歌の上達に向けて発声法を学ぶ日々。音楽教室で生徒に歌を教えてもいましたが、ある日、心に違和感が芽生えたそうです

ポップスを教えていたのですが、私が得意なのはミュージカルです。今から別のジャンルで勝負するのは無理だろうという思いに至りました。

私には、やはり宝塚しかない――。

運命的なオファーは、そんな矢先に訪れました

「新たにオープンする宝塚ホテルの支配人にならないか?」と誘っていただいたんです。退団時に希望した歌の仕事ではありませんでしたが、これは受けなければならないと思いました。

宝塚大劇場のすぐそばに今年6月21日にオープンしたばかりの宝塚ホテルは、オフィシャルホテルとしてファンにとっては特別な場所。宝塚大劇場との一体感がさらに期待されています。

宝塚大劇場とホテルとの橋渡しが私に課せられた最も重要な役割です。衣裳や小道具を展示するギャラリーのプロデュースなどをしていますが、これまで受け継がれてきた「宝塚」のブランドイメージを守りつつ、ファンの皆さまのニーズにお応えできるホテルにしていきます

「拍手喝さいが忘れられず、表舞台に戻ってくるはず」。元タカラジェンヌはしばしばそう噂されるそうですが、人生の喜びは舞台の外にも必ずあると憧花さんは断言します。

「こうあるはずだ」「こうあってほしい」と他人が想像する姿と、自分が望む理想は違って当然です。迷ったときは自分と向き合い、納得できるかどうかが大切なのではないでしょうか

宿泊客をロビーで出迎え、スタッフに立ち居振る舞いを指導し、ときには会計に頭を悩ませ、タカラジェンヌ時代とは異なる毎日を送っていますが、言葉の端々から“宝塚愛”がにじみ出ていました。

宝塚歌劇には、ひとりの女の子が青春をかけて情熱を傾ける物語が詰まっています。ホテルを通して、その誠実さを世の中に伝えていきたいですね。

宝塚歌劇を愛する元タカラジェンヌとして、宝塚のために生きる。

表舞台には立たずとも、自分の人生に納得しているからこその憧花さんの表情は、幸せに満ちていました。

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Photo:photographer_eringi

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