新しいキャリア、新しい場所…。新しいことにトライするには、苦難や苦労がつきものです。ただ、その先には希望があります。

本連載は、あなたの街の0123でおなじみの「アート引越センター」の提供でお送りする、新天地で活躍する人に密着した企画「NewLife - 新しい、スタート -」。

第17回目は、書道家・現代アーティストの武田双雲さんにお話をうかがいました。
  • 第17回目は元NTT社員で、現在は書道家・現代アーティストの武田双雲さん


Challenge
武田双雲、45歳。
人生最大のチャレンジを迎える

「この歳になって人生最大のチャレンジを迎えていることにゾクゾクしています」

書道家の領域を超え、幅広い活動を続ける武田双雲さん。

NHK大河ドラマ「天地人」をはじめ数多くの題字・ロゴを手がける傍ら、「ポジティブの教科書(主婦の友社)」など50冊を超える著書も出版。

その積み上げてきたキャリアと実績は誰もが知るところでしょう。

  • 武田さんが手がけた実績の一例

そんな彼が、今ではアートの創作にも力を注ぎ、「人生最大のチャレンジ」を始めようとしています。

その原点には人を楽しませるエンターテイナーでありたいという強い想いがありました。


Background
否定され続けた10代~20代……。
筆で書いた名前が感動を呼び、衝撃を受ける

底抜けに明るい子どもでしたね。人見知りもしないし。

ただ、ひたすら動き回っていて落ち着きはなかったです。今も変わらないんですけどね(笑)。

  • 幼少期の武田さん

幼少期から「太陽みたい」と言われるほど明るく、人を楽しませることが大好きだった武田さん。しかし、小学生までは「おもしろい子」で通用していたものの、中学生になった頃から徐々に居場所を無くしていったそうです

「空気を読まず、変わったことをしてる子」みたいな感じで、周りから疎まれるようになってしまって。

授業や部活でも楽しくなってすぐに遊んでしまうので、「ふざけるな」、「真面目にやれ」と怒られることが多かったです。

持ち前の明るさがマイナスに働いてしまう――。学校生活に馴染めず、周囲の感覚についていけないという思いが募っていきました。

大人になってわかったんですけど、いわゆるADHD(注意欠陥/多動性障害)なんですよね。

世間的なこれは良くてこれは悪いみたいな仕分けが良くわからないから、怒られる理由もわからない。全てが不思議だったんです。

誰とも調和できず、ひとりでモヤモヤする日々。そんなときに興味を持ったのが宇宙物理学でした。

原子の動きとか宇宙の始まりとかを勉強することが、明るさを否定された自分にとっての逃げ場になっていて。次第にのめり込んでいき理系の大学に進学することになりました。

都内の理系大学に進学すると、中学や高校に比べて自由度が増したキャンパスライフを満喫できたそうです。そして卒業間近、ある発言が友人を驚かせます。

友だちに「就活どうしてんの?」って聞かれたんですけど、就活という言葉自体が初耳で、その必要性も理解できなかったんです。

「ヤバい!」と大騒ぎする友だちが研究室に連れて行ってくれて、そこで教授に推薦してもらったのがNTTでした。

なんとか面接をクリアし、就職を決めた武田さんが配属されたのは営業部。しかしここでも、中学高校時代と同様に、周囲とのギャップに苦しむことになります。

営業成績は良かったんですが、社内では浮いた存在でしたね。相手を喜ばせたい、お客さんを幸せにしたいという一心で、商談の場に競合企業を呼んで他社のサービスを勧めたりもしていたので。

空気が読めなくて「いらんことするな」とよく怒られていました(笑)。

  • 会社員時代の武田さん

「いらんことするな」「空気を読め」と言われるもその理由がわからない。怒られ続けて自信を無くしていたときに、ふと手に取ったのが習字の筆でした。

母が習字の先生で3歳から書道の教えを受けていたのですが、久しぶりに習字セットを出して書いてみたらすごくハマってしまって。

それで少しでも仕事を楽しくしようと上司に渡すメモを筆で書くようにしたんです。

「メモを筆で書いてる奴がいる」。そんな噂が社内に広まり、ある女性から名前を書いてほしいと声をかけられます。

この出来事が武田さんの運命を変えました。

僕の書いた名前を見て、泣いて喜んでくれたんです。

「自分の名前が嫌いだったけど好きになれた」、「この名前を付けてくれた親とも仲良くなれるかも」と言ってくれて。

僕も嬉しくてボロボロ泣きました。

その直後、武田さんは驚きの行動にでます。なんとその場で退職を決意。女性の名前を書いたその筆で辞表を書き、即座に提出したのです。

ずっと社会に怒られて自信を失っていた僕にとって、自分の書いた書でこんなに感動してくれる人がいるんだってことは、本当に衝撃的だったんです

この感動をもっとたくさんの人に届けたいと瞬時に思いました。

100人に1人の割合だとしても、100万人いたら1万人を、1億人いたら100万人を喜ばせられる可能性がある。「今、辞めないと生きているうちに間に合わない」と武田さんは本気で思ったそうです。

会社には引き留められましたが、その意思は揺るぎませんでした。書道家の母のもとで修行に励み、半年後、書道家・武田双雲が誕生したのです。


Philosophy
定めた人生の軸は「楽」という字。
苦渋をなめたストリートを機に全国区へ

会社を辞めることを決めてから「書道教室を開きたい」と周囲に打ち明けていたものの、なかなか物件に巡り合えず。

墨で汚れる、子供がうるさくするとの理由でどこの不動産屋にも貸すのを渋られていました。

奇跡的なんですけど、会社でたまたま電話応対したお客さんに、良い物件を紹介してもらえたんです。

勢いで契約したものの、家賃は当時の手取分くらいで(笑)。教室を開いて早々に借金生活に突入しました。

  • 書道教室を始めた頃

まずは生徒を募集しようとチラシを配ってみるも、一向に反応は無し。このままではマズいと始めたのが、後の人生を左右することになるストリート書道でした。

あるサックス奏者が聴衆を泣かせているのを見たのがきっかけで。

自分もこんな風に人を感動させたいと思ったんです。

けれど、剥き出しの路上は残酷でした。

唾をかけられる、野次を飛ばされる。初めて書いた字は千鳥足の酔っぱらいからオーダーされた「松田聖子」でした。ほろ苦いデビューだったと振り返ります。

帰り道に、たくさんの人に踏まれてクシャクシャになっているのを改札で見かけたんです。悔しい気持ちはもちろんありましたが、辞めようとは思いませんでした

目指すべきモデルがなかったのが良かったですね。

ミュージシャンならわかりやすい手本があるものの、ストリート書道家にはそれがない。「明確な成功の形がないからこそ、何が失敗かもわからない」と状況をプラスに捉えられたそうです。

へこたれず地道に活動を続けたことで、武田さんの心にも変化が訪れていきました。

字を書くために人の話に耳を傾けているうち、初めて人間というものに積極的に踏み込んでいけた気がしました。

相手の話に共感して、相手と共鳴することで、相手が感動する字が書ける

この体験が、今のアート活動にもつながっています。

ストリートでの活動が実を結び、メディアにも注目されるように。書道教室も口コミで人気となり、武田双雲の名は一気に世に知れ渡っていきました。

そんな大躍進の裏側には、武田さんを支えた「一文字」があったそうです。

独立したときに、あまりに多動すぎる自らを客観視して、ひとつ「人生の軸」を定めようと考えたんです。

それが漢字の「」でした。書いているとワクワクして、「たのしい」「らく」という意味が自分らしいと思えたんです

それからは「楽しく」「楽に」だけを徹底して、楽しく生きているか、楽して生きているか、また、他人を楽しくさせているか、楽にさせているかを基準にモノゴトを考えるようになりました。


Gratitude
感謝を携えて楽しく楽に。
小さなチャレンジが安定した成長を生む

2005年からは、情報番組やバラエティなどテレビへの出演オファーが増加。2009年にはNHK大河ドラマ「天地人」の題字を担当し、武田さんは世間から注目を集めました。

しかしそんな輝かしい活躍の一方で、一部からは批判の声も聞こえてきたといいます

ストリートから出てきた若い書道家ということもあり、「こんなのは書じゃない」って批判もあって

もともと言葉を素直に受け取ってしまうタイプなので落ち込んで、徐々に体調を崩していってしまったんです。

忙しなく仕事に励んでいましたが、武田さんは2011年に胆石症を患うことに。

入退院を繰り返すなかで、改めて人生を見つめ直し、「感謝すること」の偉大さに気づいたそうです

「感謝」って究極の「楽しい」と「楽」だなぁと思いまして。感謝の気持ちを伝えれば、自分も相手も楽しく楽になれますから。

そんな気持ちを世界に届けていきたくて、毎年6月9日に「感謝69」というイベントも開催しています。

  • 6月9日を世界感謝の日とし、「世界中の人々が自分の感謝を自分なりに表現しに行こう」というプロジェクト

  • 武田さんに読者へのメッセージをお願いすると、快く「楽」「感謝」の字を一体にした書を書いてくださいました

2018年にはADHD(注意欠陥/多動性障害)と診断。胸のつかえが取れ、ほっとしたと言います。

怒られる理由がわからないことや、気持ちにムラがあって時間軸がないことに納得できて、僕としてはとても楽になれましたね。それでこの性質を活かそうと、アートに向かいました。

衝動的に自由に臨めるので、とても自分に合っていると思います。

アートによって過去の古傷が癒えて前向きになれたと笑う武田さん。その一方で、明るい性格ながらも「本当はネガティブ」と自身を分析します。

IT革命により情報量が膨大に増えましたが、そのほとんどがネガティブなものです。もともと人間の脳は恐怖や不安が先に立つ仕組みなのに、脳内がネガティブで埋め尽くされてしまっては仕方ない

誰だってネガティブです。半分くらいは意識してポジティブを保つようにすれば良いのではないでしょうか。

意識的に前向きな心をつくる。そのコツは「所作を整えること」だそうです。

よく「心を整える」と言いますが、相当の鍛錬を積まないと簡単にできるものではありません。

まずは所作を変えた方が手っ取り早い

例えば、笑顔で怒ったり嘆いたりするのは難しいですよね?表情や仕草、姿勢を整えれば、心が変わってきますよ。

武田さんの視線は世界に向けられています。

今後はアメリカに拠点を移し、自身が実践してきた「楽しく楽に」を、アートを通して訴えたいとビジョンを語ってくれました。

苦しむことが美学とされてきた昭和の価値観から、そろそろ脱却する時期に来ています。「経済的や社会的な成功なくして幸せはない」というのは幻想で、楽しく楽に生きれば今すぐに幸せになれる。

人々が成功に依存しない幸せを求められるようにパラダイムシフトを起こしたいですね。

今がまさに「人生最大のチャレンジ」。新型コロナでの自粛期間を経て、自らが新しい挑戦を求めていることを本能で感じ取ったと力を込めます。

アメリカでいうアニュー(新鮮)な感覚がないとモチベーションは上がりません。

現状維持だとおもしろくないのがわかっているから、この歳になってすべてを再構築するような大きな挑戦に向かうことを決めました。

当然、怖さはある――。

僕もビビリ。だから、毎日ちょっとずつ未体験ゾーンに触れるようにしています。

未体験ゾーンは日常にもいっぱいあるので、そうした小さなチャレンジを続けていけば、大けがせずに安定して成長していくことができるはずです。

世間体にこだわらず、感謝を携えて楽しく楽に挑戦する。武田さんが体現する生き方は、令和の時代のスタンダードになるかもしれません。

  • インタビューの様子をYouTubeでも公開中

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アート引越センターは、一件一件のお引越に思いをこめて、心のこもったサービスで新生活のスタートをサポート。お客さまの「あったらいいな」の気持ちを大切に、お客さまの視点に立ったサービスを提供していきます。


Photo:Kei Ito

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