キノマホウ

学生時代から、京急に乗るのが好きだった。

『美咲と言えば赤い電車だよね』なんて友達に笑われる位。

横浜駅でホームに立って赤い電車がそこに入って来ると気持が弾む。

電車に揺られながら隣に見える16号線の道路を眺めるのも好きだったし、時には自分が使わない駅にも降りてみたくてわざと各駅停車や急行に乗ってみたりして。

京急富岡駅で降りて、最寄りのファミレスに寄ってみたり、弘明寺駅から行くちょっとしたレトロなお店達も好きだった。

その一環だったと思う、あの木に出会ったのは。

『公園の一角に大きい木があって、そこから見える景色がきれいなんだよ』

そう友達から聞いて行って見たくなって。その出で立ちに惹かれて何度も会いに行くようになった。

結局就職も赤い電車から離れるのが嫌で横須賀にある児童養護施設に就職した私は、大変な事は沢山あるけれどやりがいもあって充実した日を過ごしていたと思う。

そんな時だった。

彼が『結婚しよう』と言い出したのは。

3つ上の幼なじみで、いつの間にか『恋人』だった。
実際、仲が良かったって思う。大学時代までは。

だけど、私が就職を決めた辺りから雲行きが怪しくなってきた。
都内の会社に就職した実家から通う彼とは離れた所にある職場。それに伴い始めた独り暮らし。

それが気に入らなかった。

『そんな所じゃなくて、もっと俺の近くに良い所があるだろう』

何かにつけてそう言われる。

『結婚してやるから、仕事をやめなよ。
どうせ大した事ない仕事なんだから。都内には沢山あるよ、もっと良い仕事。』


赤い電車と離れ難いという我儘で彼の近くの職場にしなかった事で彼が傷ついたと言う事は理解していた。
それでも仕事の事まで否定された事がとても悲しくて。

すれ違う気持が苦しくなって会いに行ったその木。


ぼーっとただ、そこから見える街を眺めていたら

『あ―…さっみい!』

亮太さんに出会った。

いつもだったら絶対に話しかけたりしなかったって思う。

だけど、不思議と『寒い』と繰り返す彼が気になってどうしても話しかけたくなった。


そして知ってしまった。
居心地のいい離れがたい空間を。

私の話を真剣に、時に笑って聞いてくれる亮太さん。

これまでで一番じゃないかって思う程、何も考えずに沢山の事を聞いて、話した。



…出会ったばかりだから新鮮なだけなのかな。

そんな考えが過らなかったわけじゃないけど


抱きしめられて包まれる温もりがこのまま一生続けばいいのにって、思った。




もう…会う事も無いのかな。


彼を乗せて行ってしまった赤い電車がぼやけて、唇に残る彼の感触に瞼を臥せたらポタリと涙が落ちる。
帰りの電車から見える景色はいつもと変わらぬ景色で。だけど、そこに浮かぶのは亮太さんの顔ばかり。
息を深く吐いて再び目を閉じた。



…忘れなきゃ。

一夜限りの『キノマホウ』だったんだ。


自分に何度も言い聞かせて過ごす毎日。
卑怯なのはわかっていたけど、彼にも何だかんだ理由をつけて、会うのを拒んだ。

何をどう話していいのか全く分からなかったから。



…このままじゃいけない。


ちゃんとしなきゃ、彼の事。
忘れなきゃ、亮太さんの事。

葛藤を繰り返しながらの2ヶ月程経とうとしていたある日

偶然、降りた上大岡駅で見かけた大きな広告

某有名ブランドのパンプスのもので、女性が雨の中で凛と前を向き涙を一筋流しながら歩く姿。


『幸あれ』


そう一言だけ言葉が真ん中に載せてあった。



小さくあるクレジット表記に社名と共にアルファベットで『深谷亮太』の文字。

強さと儚さが混ざりあい、どこか暖かみを感じるその広告に、彼のはにかんだ顔が鮮明に浮かんで頬に涙が伝った。



…そうだよ、私


『忘れられない』んじゃないんだ。

『忘れたくない』んだ、亮太さんを。





「深谷君、これでも悪くはないんだけどね?もう少しこう…活気のあるものが良いかもしれない」

「…色味とデザインの全体のバランスを練り直します」

「頼むよ?あのパンプスの広告は切ない感じが受けたが、今度は明るい雰囲気をご所望だからな」

デザイン事務所の所長が俺の肩をポンッと叩いて去って行った。



美咲と別れた後に手がけた某有名ブランドのパンプスの広告

美咲の事で頭がいっぱいだったあの時。

もう会う事無い、惹かれて仕方ない人
せめて、あのふわりとした笑顔が絶えない様にと願いを込めて

“幸あれ”

そう綴った。



結果的にクライアントも満足してくれたし、評価もされた。
だから、あれはあれで良かったんだけど。

あれからもう一年が過ぎようとしているのに、彼女の笑顔が絶え間なく頭の中に蘇り、触れた唇の感触をずっと覚えている。


パソコン画面を見つめながらため息を零した。

同じブランドにご指名を受けたのは喜ばしいけど、今度は『前回のイメージを覆すほど明るい感じに』だもんな…。


不意に俺のこめかみにツンと紙飛行機がぶつかった。


「おっ!命中!」

「…佐々木」

「俺って紙飛行機折るの上手くない?」


少し離れた窓際に凭れて笑う、相変わらず七分丈のパンツをはいている佐々木を横目で睨みながら拾い上げたそれは、真っ白い紙が気持いい程に迷い無くきっちりと角と端を揃えて折られている。


「でも部屋ん中じゃなくて、外で飛ばしたいよね。折角だから」

見つめてたら俺の指からスッと抜き取って窓の外に目を向ける佐々木

「外はだいぶ春になったしね」

俺も習って外に目を向けると、心地よい温かい風が吹いて来た。



美咲、君はどうしている?

あの柔らかい笑顔を思い浮かべて、また一つ溜め息をこぼした。



「ねえ、亮太。お前、あの木…榎だっけ?まだ会いに行ってんの?」

隣の席でもう一つ紙飛行機を作り始めた佐々木が不意にそんな事を言い出した。


「…なんで?」

予期せず出て来たあの木の話題に、思わず反応してしまう。
そんな俺に構わず紙飛行機を折り続けている佐々木が片手でそれを押さえたままコーヒーを一口啜った。

「いや、お前、何かあるたびにその…榎?見に行ってたなって。あの辺が地元なんだっけ?」

「最寄り駅は別だけど近いかな。でもここ一年位はご無沙汰。忙しかったし」

「広告デザインの大賞獲ったしな。あのパンプスの広告で。しかも、異例の個人名をクレジットに表記されると言う・・・」

確かに、クレジットに個人が表記されるのは珍しい。だけど、出来上がりを見た瞬間に所長は笑顔で「キミの名を」と言い出したんだよな、あの時。


「何、あの木がどうかした?」

逸れた話題を何となく戻したくて、佐々木に続きを促した。

「前に亮太が一回連れってってくれたじゃん。あの時俺、すっげー気に入ってさ。
あの木について少し調べたんだよ」

ニコッと小首を傾げて口角をキュッとあげる佐々木
すらりと長身の身体とはアンバランスの童顔が、イタズラする子どもみたいに目が輝く。

「『奇跡を呼ぶ木』って言う人もいるらしいよ?あの木。
だから、もし煮詰まってるならあの木に会いに行くのも良いかもね。お前の求めているモノがそこにあるかもしれないよ?」


俺の掌に乗せられた新しい紙飛行機は、やっぱり迷い無く綺麗に折られてた。





別に佐々木の言葉に従ったってわけではないけれど、このまま想いを引きずっていても仕方のない事で。区切りを付けるためにもって、丁度あの日から一年後の今日、再び赤い電車に乗り込んだ。


…までは良かったんだけどさ。


「寒い…」

昼間の暖かさに油断した俺は、ロンTに七分丈パンツという一年前と全く同じ格好で木の前に立っている。


学習能力ゼロだな、俺。

自分に飽きれながら見上げた先


ザアア…

再会を歓迎するかのように新緑が風に揺れて音を立てた。


「さみい…」

一年前、こうやって呟いたら美咲がブランケットを貸してくれたっけ…。


「さっみいな~」

自分の気持ちを吹っ切るように、少し大きい明るい声で言い放つと木に背を向けた。



その瞬間、風に乗って耳に入って来たクスクスと笑う声。



「さっきからそればっかり。どんだけ寒いんですか?」


嘘・・・だろ。

振り返ったそこには、あのふんわりした笑顔。



「そんな薄着じゃ、風邪をひいちゃいますよ?」

俺に近づき赤いチェックのブランケットを差し出すのは紛れもなく美咲で、風が彼女の猫っ毛をふわりと揺らした。


「な…んで…」

俺の喉元からかろうじて発せられた言葉にその瞳が少し儚く揺れる。


「私、結婚やめたんです」


困惑の色を隠せない俺とは対照的に美咲は清々しいほどに迷いなく凛としていた。


「私は亮太さんが好きだから」


あの…紙飛行機のように。




「一年前の今日、亮太さんとここで出会って話をしてからずっと忘れられなかった。ううん、忘れたくなかったんです」


…言葉にならなかった。

これは木の魔法?奇跡?


未だ立ち尽くしている俺に美咲が少しだけ苦笑い。


「…と、言うのは私の感情で。亮太さんに何も望んではいないので安心してください。
今日、ここへ来たのも自分の中に思い出として残したいから。それだけなので」


待てよ。
勝手に完結させんなよ。


俺だって…忘れたくなかった。
忘れようとすればする程あの日が鮮明によみがえり、恋しくなった。


その位、美咲が好きなんだから。



ブランケットを俺に押し付けて木の下へと戻って行く美咲をそれごと後ろから強く抱きしめた。


「…思い出にされてたまるかよ」

美咲のふわりとした髪が頬にあたる。

「…この一年、忘れた事なんか無かった」

その感触に気持ちが溢れた。

「何も望んでないなら、俺の好きにさせてもらう」

存在をもっと感じたくてより腕に力を込める。


「もう、離さない」




ザアア…

木の葉が揺れてふと目が向いた足元



「このパンプス…」

「上大岡駅で亮太さんが作った広告を見かけました。あれを見て意志を固める事ができたの」


腕の中で向きを変えると笑顔で俺を見上げる美咲

「亮太さん、ありがとう。亮太さんに出会わなかったらきっと『これで良かったのかな?』っていう疑問を抱えながら生きていたと思う」

また、その瞳が潤って少し儚く揺れた。

…きっと、結婚をやめると決意した事で沢山の事を失ったよな。
それに伴うしがらみだって沢山あったはず。

それでも美咲はまたここに来てくれた。


…ありがとう。


また強く美咲を抱き締めた。




一年前


ここで美咲に会って惹かれた気持ちを『木の魔法』のせいにしたっけ。

その魔法は一年後の今日も解けぬまま。

だったらこのまま一生解けなくていい。

ずっと…美咲と居たいから。


想いを確かめる様に重ね合わせた唇。



真上で木の葉が風に吹かれてザアアっと揺れて、遠く街から聞こえてくる赤い電車の走る音がそこに混ざった。



end



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<京急グループ小説コンテスト入賞作>

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「京急グループ小説コンテスト」は、マイナビニュース、京浜急行電鉄、小説投稿コミュニティ『E★エブリスタ』が共同で、京急沿線やグループ施設を舞台とした小説を募集したもの。テーマは「未来へ広げる、この沿線の物語」。審査員は、女優のミムラ、映画監督の紀里谷和明などが務めた。

(マイナビニュース広告企画:提供 京浜急行電鉄株式会社、マイナビニュース、エブリスタ)

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