感性を呼び覚ます、音楽との新しい出会い方
横浜にオープンした、誰もが音楽・楽器の楽しさを発見できる体験型ブランドショップ「ヤマハミュージック 横浜みなとみらい」。ニューヨークのメトロポリタン美術館に生まれた、音を通じて子どもたちの創造性を育む「インタラクティブ・ミュージカル・ステーション」。場所もジャンルも違う二つの空間に共通するのは、感性を呼び覚ます音楽との新しい出会い方という「Key」でした。
2023年9月、ニューヨークのメトロポリタン美術館(MET)にオープンした「81st Street Studio」。“科学とアートのプレイグラウンド”というコンセプトの下、5つの空間で構成され、その中にある音のゾーン「インタラクティブ・ミュージカル・ステーション」は、ヤマハのデザイン部門が手掛けた唯一無二の“音の遊び場”だ。年間550万人が訪れる世界最高峰の美術館にあるこの遊び場では、どんな子どもでも音を奏でる根源的な喜びに出会うことができる。子どものための、シンプルで奥行きのある音体験――その工夫を見てみよう。
たたいたり、弾いたり、乗っかったり──インタラクティブ・ミュージカル・ステーションには、多彩な素材からさまざまな種類の音が生まれるおもしろさ、不思議さが体験できる6つの作品が展示されている。「マテリアルオーケストラ」と題されたその作品群は、子どもたちが遊びを通して、弦楽器、打楽器、吹奏楽器の基本的な発音原理を学べる場でもある。
この空間のディレクションを担当したのが、ヤマハ・コーポレーション・オブ・アメリカ デザインR&D の鷲尾和哉だ。子どもの頃から図工やプラモデルづくりが好きだった鷲尾は、大学でもデザインを学び、卒業後はIT企業でパソコンや携帯電話などのデザインに携わった。しかし、次々と新モデルが発売される業界で、「自分が担当する製品のライフサイクルが短いことに切なさを感じるようになった」という。
そんな鷲尾が次のキャリアとして選んだのが、楽器のデザインだった。楽器経験があるわけでも、音楽に詳しいわけでもない。それでも鷲尾にとって、楽器は人類が発明した「最も文化的な道具」に見えた。「それがヤマハへの転職のモチベーションになりました。楽器は20〜30年使い続けられ、次の世代にも譲っていけるもの。より『文化的な道具』をつくれるのではないかと思いました」(鷲尾)。
鷲尾は2013年、ヤマハに入社し、国内でホームオーディオ製品やスピーカー、電子機器を中心にデザインを担当したのち、2017年からはヤマハ・ミュージック・ロンドン、2020年からはヤマハ・コーポレーション・オブ・アメリカ へ赴任した。壁掛けピアノ「Pianissimo Fortissimo」や現代的に楽器を再解釈した「Industrial Instruments」など、既成概念にとらわれない作品をつくり続けてきた鷲尾の経験が、今回、METとのコラボレーションに生かされることになった。
インタラクティブ・ミュージカル・ステーションのプロジェクトでは、対象年齢が3〜11歳と幅広く、さまざまな子どもたちが等しく楽しめる体験をつくらなければいけないのが難しかった、と 鷲尾は振り返る。楽器すぎてもいけないし、おもちゃすぎてもいけない。美術館を訪れる大人も子どもも、「楽器を奏でる」手前にある、「音そのものを楽しむ」体験ができる作品。そのようなデザインを求められるのはヤマハにとっても初めてのことだった。
この課題を解決するために鷲尾が大事にしたのは、楽器はできるだけシンプルにしつつ、その中に奥行きを持たせること。「弦ひとつ取っても、ちょっと違う弾き方をするだけでこんなにも音程が変わるんだとか、少し引っ張る強さを変えるだけでこんなに豊かな音が出せるんだとか。そうやって触れば触るほど新しい発見があるように、一つひとつの楽器をデザインしていきました」(鷲尾)。
楽器を設計する上で役立ったのは、鷲尾が音楽畑出身では“なかった”ことかもしれない。鷲尾は自身のことを、「音楽の素人」と言う。だが、知識や経験がないからこそ、常識にとらわれることなく、音楽を知る人には考えもつかないアイデアを思いつくのではないだろうか。
実際、プロジェクトでは子どもがぶら下がっても切れないようにマグロ漁で使われる耐久性のある素材を弦に選んだり、大勢の子どもたちが同時に楽器を鳴らしても不快に感じる音の組み合わせが生まれないように、5音のみの音階「ペンタトニック・スケール」を採用したりした。「上手に奏でることより、音そのものに興味を持って音を鳴らす体験を楽しめること」を目標に、20〜30のアイデアの中から6つの作品群に絞り込んだ。こうして、ようやくマテリアルオーケストラは完成したのである。
制作過程を通じて、鷲尾が得た気づきとは何だろう。「社内ではよく『いい音とは何か?』を議論しますが、子どもにとっては、『その子がどう感じるか』がいちばん大事だと気づきました」。美しい音(いい音)というと、あたかも客観的、もしくは絶対的な評価軸が存在しそうだが、実際はそうではない。ある子どもが「この音は美しい」と感じれば、他の子にはそうでなくても、その子にとっては美しい音になる。「今回つくった作品群も、『正しい音』や『美しい音』を鳴らすことより、『自分が好きだと思う音』を発見できる場にしたい。いろんな種類の音色を鳴らして、音に少しでも興味を持ってもらえたらうれしいですね」(鷲尾)。
2023年9月のオープン後、インタラクティブ・ミュージカル・ステーションには半年で12万人以上が訪れ、『The New York Times』などの大手メディアでも紹介された。それは、鷲尾たちの作品が生み出した価値である。しかし、いちばんの成果は、ここで毎日、たくさんの子どもたちの笑顔が生まれていることだ。鷲尾はそのこと自体に強い喜びを感じている。
鷲尾の生き方は、彼がデザインする作品同様シンプルだ。余計なものは持たず、余計なことは考えない。身軽だからこそ大事なことに集中でき、頭で考えたことより感じたことを大切にする。
そんな彼がいま興味を持っているのは、アマゾンの先住民・ピダハン族の文化である。ピダハンの言葉には過去形も未来形もなく、人々は「いま」その瞬間を生きている。その場、その瞬間の出来事を共に体験することに重きを置くピダハンは、世界で最も幸福度の高い民族ともいわれている。
「ピダハン族から学べるのは、豊かさを感じている瞬間は過去でも未来でもなく、いまここがすべてということ。いま、この瞬間に起きている現象や出来事に心を向けることが、感動や心の豊かさにつながると思います」と、鷲尾は言う。シンプルでも奥行きのある音体験を生み出すインタラクティブ・ミュージカル・ステーションは、こうしたシンプルな生き方を大事にする鷲尾の手を通じて生まれてきたのだ。
「新しい文化の道具をつくりたい」という鷲尾の目標も、ヤマハに入社した時から変わらない。シンプルで壮大な彼のパーパス。「親から、あるいはおじいちゃんや・おばあちゃんから、次の世代に受け継ぐもの。何世紀も受け継がれていく道具。これからも、そうしたものをつくっていきたいですね」
子どもたちの創造性を育む「インタラクティブ・ミュージカル・ステーション」と、楽器未経験者に音楽の楽しさを提供する「ヤマハミュージック 横浜みなとみらい」。次回はいよいよ、この二つのプロジェクトに共通する「Key」に迫ります。
(取材:2024年5月)
鷲尾和哉|KAZUYA WASHIO
ヤマハ・コーポレーション・オブ・アメリカ デザインR&D マネージャー。国内ITメーカーで電子機器のデザインに携わったのちにヤマハに入社。2017年からはヤマハ・ミュージック・ロンドン、2020年からはヤマハ・コーポレーション・オブ・アメリカへ赴任。METとのプロジェクトではインタラクティブ・ミュージカル・ステーションのディレクションを担当した。
※所属は取材当時のもの
参照:
「81st Street Studio」の詳細はこちらをご覧ください
感性を呼び覚ます、音楽との新しい出会い方 #1 見て、聴いて、触れる「360°の音楽空間」
感性を呼び覚ます、音楽との新しい出会い方 #3 自分の「好き」を育む空間のつくり方
共奏しあえる世界へ
人の想いが誰かに伝わり
誰かからまた誰かへとひろがっていく。
人と人、人と社会、そして技術と感性が
まるで音や音楽のように
共に奏でられる世界に向かって。
一人ひとりの大切なキーに、いま、
耳をすませてみませんか。
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