エプソンダイレクトは1993年11月に、DOS/Vパソコンの直販会社として誕生しました。創業から30年が経過し、「BTO(build to order)」による柔軟なカスタマイズ、国内メーカーならではの最短2日出荷、業界最長クラスの7年保守サービスなどの特長がどのように育まれてきたのか、歴史あるエプソンダイレクトを知るために、エプソンミュージアム諏訪にお邪魔して話を伺いました。

  • セイコーエプソン株式会社の本社敷地内にある、グループ各社の歴史がわかる施設「エプソンミュージアム諏訪」。Webサイトから予約すれば誰でも無料でエプソングループの歴史を案内してもらえる

『Endeavor』の第1号機の発売初日は注文の電話が殺到し、電話局がパンクするほど

今回は創業時のことを知る社員を代表として、前社長の河合保治氏と、お客様サポートの対応を長く務められた青栁忠夫氏に、創業時の様子や30年の歩みについて語ってもらいました。

  • 写真左から青栁忠夫氏、河合保治氏

‐ プロフィール ‐

 青栁忠夫氏(以下、青栁氏)
ディスプレイモニターの海外ベンダー担当で、1982年12月入社。PCなどの回路基板製造部門を皮切りに営業技術や品質保証などの部門を経験後、エプソン販売のPCオペレーション部へ。2002年のエプソンダイレクト移籍後は、様々なお客様サポートを経験した中で「原理原則が物事の基本」という考え方を信念に、お客様目線で取り組む姿勢を次世代へ伝えながら業務に取り組んでいる。

 河合保治氏(以下、河合氏)
前取締役社長。1985年4月入社。セイコーエプソンに配属され、1995年10月から2001年3月まではエプソン台湾に赴任して部品調達と品質保証の業務に携わる。帰国後はエプソンダイレクトで調達、調達技術、品質管理、事業推進を担当。2020年~2022年に社長へ就任し、現在はこれまでの経験を活かし、社内全体の効率化推進活動やシステム支援に従事している。

――30年前、市場環境はどのようなものだったのでしょうか。エプソンダイレクトが創立された1993年当時について教えてください。

その頃は、前年に海外から直販系の安価なPCが入ってきて注目されていた時期です。海外では80年代からPC/AT互換機が低価格を武器に普及し始めていましたが、日本では日本語処理に長けたNECのPC-98シリーズが圧倒的なシェアを握っていて、PC/AT互換機の入る余地があまりありませんでした。エプソンでも1987年からPC-98互換機を作って販売していたのです。


  • EPSON EX-1を前に、歴史を振り返る河合氏と青栁氏

1990年に専用ハードウェアを使わずに日本語表示が可能なDOS/Vが登場し、日本人にもPC-98以外の選択肢ができて、低価格なPCがシェアを伸ばしていきました。


――そんな中でエプソンダイレクトはどのようにして生まれたのでしょうか。

『エプソングループの直販会社を作りたい』という考えから、エプソンダイレクトは生まれました。エプソンは1985年にアメリカでPC/AT互換機を発売していて、一時は全米第三位のシェアを取ったこともあります。その時の海外部隊の一部が、エプソンダイレクトの創業メンバーです。創業直後は20人未満の小さな会社でした。当時まだ若手だった私や青栁はグループ会社の1つとして外から見ていました。


  • 歴代の製品を眺めながら、当時を振り返る河合氏と青栁氏

当時はインターネットも普及していませんから、製品の発売を新聞広告などで告知して電話で注文を受けるのが一般的で、初めから順調に注文が入るとは考えていませんでした。 創業メンバーが20人に満たないこともあって、1号機の発売日の1994年1月12日は、担当者が3人くらいしか待機していなかったそうです。ところがいきなり電話が鳴りやまず、電話局から交換機がパンクしたと報告されたほどだったとか。


お客様の中には、エプソンダイレクトにつながらないとグループの番号に片端から電話してくる方も多くて、その日はグループ内全体が混乱の渦に巻き込まれたと聞いています。その後のカタログ送付も人手が足りず、役員含めた従業員総出で夜中まで封筒詰めしたといった逸話が残っていますね。


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エプソンダイレクトの歩みの中には「省・小・精」があった

――創業から30年で製品は大きく進化し、一日修理サービスや定額保守サービスなども実現しています。これらが導入された背景などを教えてください。

創業当初は日本初の直販PCで安価をウリに販売していましたが、次々と似たようなことを始める企業が現れました。価格だけの勝負では物量に差がある大手とは戦えません。2000年頃には伸び続けていたPC市場が落ち着いて、2003年や2004年頃には差別化を真剣に考えねばならなくなってきました。
そこでアフターサポートや短納期に力を入れ始めました。製品についても、ノートPCではなくエプソンダイレクトの強みが出しやすいデスクトップPCに力を入れ、2006年には小型PCの展開も始めました。


たとえば最新のSG150は、容量約2.8ℓほどの大きさでグラフィックスボードを内蔵するハイスペック仕様となっており、縦横どちらでも置けるよう工夫しています。


――小型PCで差別化しようと考えたのですね。

もちろんいきなり小型PCに辿り着いたわけではなく、いろいろ試行錯誤した結果ですが。
創業当初からしばらくはコンシューマー向けのPCを作って直販していました。続けているうちにだんだん法人のお客様からの引き合いが大きくなっていき、法人向け仕様のPCやサービスが充実していくことになったのです。


製造業や小売業など、さまざまな業務用途の法人をターゲットに据えると明確な方針を打ち出したのは2015年からです。取り組みを強化しようという動きは2009年頃には出ていましたが、その頃は法人と言ってもSOHOや個人事業主を意識していました。量販店で販売しているような仕様が固定されたモデルではなく、SOHOや個人事業主の仕事にピッタリ合ったモデルにカスタマイズして提供する考えだったのです。


法人のお客様の場合、店頭販売のPCはプリインストールソフトが大量に入っていることが多く、業務で導入しようとするとシステム管理者が購入後にいちいち全部消さなきゃならないので嫌がられていました。一方で当社のPCは不必要なソフトは入れないようにしていたのです。そのため、法人のお客様からは評価が得られました。


法人のお客様は細かい要望も多いですが、それがビジネスになります。工数はかかりますが、細かい要望にお応えすることで、だんだん信頼されていくのです。


――細かい要望にお応えする例を挙げていただけますか。

たとえば部品ひとつひとつを信頼できるサプライヤーから吟味して調達し、長期間でも安心して使える製品を提供しています。
1990年代に、一年くらいPCを使っていると止まってしまうような電源ファンが流通していた時期がありました。当社もそうした部品を調達してしまって問題になったことがあります。部品の調達は大変ですが、丁寧に選定することの大切さを身に染みて感じましたね。


海外のサプライヤーが作るものはグローバル品質なので、これを採用しようと評価を行ったものの、当社の目指す品質や信頼性に満たないことも、当時は多かったのです。
それを二度と起きないように要求仕様の中に盛り込んでいき……を繰り返していくうちに、だんだん現在の厳しい要求仕様になっていきました。この取り組みの結果、出荷台数に対する修理件数の比率は、創業時の10分の1くらいにまで減っています。


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顧客ともパートナー企業とも、長く付き合える信頼関係を構築

――修理件数が減った実績があるからこそ、長期保守を打ち出すことができるのですね。

現在、当社では7年保守を打ち出していますが、これは2~3年で壊れてもいいという考えでものづくりをしていたら決してできないことです。
保守期間中に故障すれば対応する約束のサービスですから、その数が多ければビジネスとして成り立ちません。逆に保守期間中に壊れなければ、お客様もハッピーだし我々もハッピーです。だから要求仕様は厳しくなっているのです。


当初は、我々のサプライヤー候補としてマザーボードを作る会社が何社もありました。何ヵ所か回ってこちらの要求に合うものを作ってもらおうとするのですが、要求通りの仕上がりになっていない工場が多いのです。
そこで、我々はもっと踏み込み、まるで自分の会社のように設計・部品選定・工程の管理などを具体的にどうして欲しいのか、それはなぜかをサプライヤーのトップから現場レベルまで繰り返し説明しました。何度かやりとりをしていくと、面倒くさがって全く対応してくれない会社もあった一方、社長自ら我々と一緒に工場を回ってくれ、その場で要望を聞き、次にその工場に行くとすべて対応が済んでいるサプライヤーも現れました。我々は、サプライヤーを単に売り手と買い手の関係ではなく、一緒に品質を作りこみ、成長していくパートナーと考えています。それを理解し、対応してくれた会社とは30年近く関係が続いていますし、それがエプソン品質を担保する礎のひとつになっているんです。


――最後に、この30年で一番変わったところと変わっていないところはどこでしょうか。

30年前の創業時と今の社内を見比べた時『変わっていないな』と感じるのは、とにかくいろんなものをオールインワンにして小さくするところです。エプソンダイレクト創業の10年以上前の1982年、まだ世の中にラップトップPCもノートブックPCもなかった頃、エプソンはHC-20というハンドヘルドコンピューターを開発・販売しています。A4サイズに液晶・キーボード・プリンタ・ストレージを詰め込んだ世界初のオールインワンPCでした。
このHC-20を起源として、グループのパーパスである『省・小・精』のDNAが我々PCに携わる者にも備わり・ずっと受け継がれてきていると思います。


一方で『変わったな』と一番感じるのは、お客様です。先程述べた通り、創業時のメイン顧客は一般コンシューマーのBtoCでした。今では9割以上が法人のBtoBになっています。それもお客様のところに行って課題を聞いてきて、その課題解決に向き合った製品に仕上げて納品する仕事が増えてきています。
このように最初は課題解決でスタートした関係が、次第にお客様との協業に進化し、長くお付き合いいただけるようになったお客様も多くいらっしゃいます。先ほどお話ししたサプライヤーとの話にも似ていますが、お客様のビジネスに寄り添い、単なる売り手と買い手の関係を超えた関係を拡げ、大切に続けていきたいと思っています。


――本日はありがとうございました。

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そのビジネスにずっと寄り添う。エプソンPC

一般コンシューマー向けにPCを直販する企業として誕生したエプソンダイレクトは、創立から30年を越えて大きく変遷してきました。その歩みはこれからも続いていきます。

「PCは何かやりたい時の中心になる存在」と言う青栁氏は、「今後PCが形を変えることがあっても、お客様がやりたいことに寄り添う企業であって欲しい」とこれからのエプソンダイレクトについて希望を述べていました。

エプソンダイレクトでは、「そのビジネスにずっと寄り添う。エプソンPC」というキャッチフレーズを打ち出し、顧客のさまざまなビジネススタイルに合わせたPCを提案しています。

「BtoBのお客様が中心になり、直販より販売店・SIer経由の販売が大多数なので、その点ではエプソンダイレクトという社名は変えないといけないかもしれませんね」と笑う河合氏からは、それでも顧客と直接つながっているという意味で、しっかりダイレクトな会社で在り続けている自信に裏打ちされている印象を受けました。

顧客と真摯に向き合うエプソンダイレクトはどんな未来を創っていくのでしょうか。さらなる進化が期待されます。

[PR]提供:エプソンダイレクト