「今どきの若いモンは……」。
このセリフ、誰でも一度は聞いたことがありますよね? でも、実はこのセリフ、いつの時代も世代の違う先輩や目上の人が若者に対して使っていた言葉なのです。

ネガティブに感じるこの一言ですが、どんな人にも、10代・20代=「若いモン」だった時代が必ずあります。そして、そんな「若いモン」が時代を切り拓き、トレンドや社会に影響を与えてきました。今の技術、文化の発展に大きく貢献してきたのは、各世代のトレンドセッターである「若いモン」たちです。

そして、「クルマ」も時代の変化や進化を象徴してきました。本記事では、2023年12月26日で90周年を迎えた日産自動車の歴史とともに、その間の「若いモン」の特徴やその世代間で流行ったコト・モノを併せて振り返ってみましょう。

戦時中の日本を支えた大正世代 (1912年~1926年生まれ)

「大正デモクラシー」「大正ロマン」など多くの言葉が生まれた大正世代。彼らが20代の頃は、大学が急増し、高等教育が普及した時代でした。

そのため、リベラル思想や社会主義思想などを持つ若者も多く現れ、世論が政府を動かす時代が到来しました。欧米列強へ仲間入りをするべく積極的に新しいモノを取り入れていく姿勢は、国の近代化のために心血を注いだ明治時代の人たちからすると、「今どきの若いモンは浮ついている」と映ることもあったかもしれません。

1933年、日産の前身である「自動車製造株式会社」が横浜に設立され、1935年には国産自動車としては初の一貫生産によって日本初の量産車「ダットサン14型」が誕生しました。スタイリングは、工業デザイナー/エンジニアとして当時著名な富谷龍一氏が担当。

美しい兎のマスコットが目を惹きますが、これは車名でもある「ダット」が「脱兎:兎が走る」イメージから来ていることから生まれました。

身近なあんなことも、実は日産発!?

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 知ってた?「クルマ」にまつわる”初めて”

電気自動車はガソリンエンジン車よりも早く発明されていた!

あまり知られていませんが、自動車史において、電気自動車のほうがガソリンエンジン車より早く発明されています。1947年の日本では、100%電気で走る車「たま電気自動車」が「東京電気自動車」(のちのプリンス自動車工業。その後日産と合併)より販売開始され、1951年ごろまでタクシー需要で重宝されました。敗戦直後の石油不足という逆風の中、電気自動車は復興のシンボルでもあり、人々の生活と心を支えていたといえます。

戦後日本の礎を築いた「焼け跡世代」 (1930年後半~1940年後半生まれ) 

第二次世界大戦の最中に生まれ、敗戦直後の日本を生き抜いてきた「焼け跡世代」。戦後の経済成長の立役者でもあり、政治や社会への関心が高く、仁義や人情、礼儀作法を重んじる特徴があると言われています。

1950年代の日本では高度経済成長期に突入、その後、家電ブームが起こり、「テレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」のいわゆる“三種の神器”が急速に普及し、私たちの生活により余裕が生まれるようになりました。

「国のため」と長く苦しい戦いを続けた彼らより上の世代の目には、そんなところが「今どきの若いモンは生意気だ」と映る面もあったかもしれません。しかし、政治に対する強い参加意識と行動力が人一倍強く、1960年代~1970年代には学生運動が盛んに行われました。この「学生運動」とは、大学生が中心となって問題提起や社会運動を行うものです。学費の値上げ反対や反戦運動、反差別運動、就職活動の適正化など様々な運動が起こりました。「焼け跡世代」が学生運動を率いたりしていたのは、自分たちが暮らす国を立て直すという強い意志の表れでもあったといえるでしょう。

今も人気の高い「スカイライン」が初めて登場したのは、100円硬貨が生まれた1957年。日本のモータリゼーションとともに歩んできたモータースポーツの世界では、数々の栄光を勝ち取った名車といえます。1966年に誕生した初代 「サニー」は、求めやすい価格と高品質を実現したことで、日本に本格的なマイカー時代をもたらしたクルマとされています。なお、車名の「サニー」は一般から公募され、およそ848万票の中から選ばれました。

  • 1966年に発表された当時の記事 / クリックすると記事の詳細がご覧になれます

ちなみに我々の食卓にもよく並ぶ野菜「サニーレタス」は、当時流行していた「サニー」から名前を取ったという説も……!? すでに国民に親しまれていた大ヒット車から名前を取ることで、国民の食卓にも浸透していったとも言われています。

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みんなの憧れ! スポーツカー

1969年、スポーツカー「フェアレディZ」の初代モデルが登場。国内だけでなく、北米市場を中心に世界規模の大ヒット車に成長し、グローバル販売52万台以上という、単一型式のスポーツカーとしては空前の大記録を樹立。多くの人たちにとってクルマが「憧れ」となった象徴的存在です。

クールにコツコツ、根気よく「しらけ世代」 (1950年代~1960年代半ば生まれ)

学生運動などが盛り上がっていた上の世代に対する反動からなのか、政治への関心が希薄で淡白な性格だと考えられている「しらけ世代」。「無気力」「無関心」「無責任」の“三無(さんむ)主義”と呼ばれ、一生懸命さを表に出すことを「恥ずかしい」という考えを持っている人が多いようです。一方で、裏ではコツコツと努力を積み重ねることが得意という長所も持つと言われています。

テレビの爆発的な普及や、1964年の東京オリンピック開催などによって、ライフスタイルやファッションも大きく変容しました。特に80年代には、一つのジャンルにのめり込む「オタク」という言葉が使われ始め、さらに、「アンノン族」と呼ばれる、自由に一人旅を楽しむ若い女性が急増しました。団体・集団というものに必要以上に依存せず、一人で世の中を楽しむ術(すべ)が社会全体に浸透し始めた時代と言えるでしょう。

学生運動の波が去り、人々が優しさや温かさを求め始めた1970年代。その変化を的確につかんだキャッチコピーとCMで一世を風靡したのが4代目「スカイライン」です。カクカクとした箱型のシルエットから「ハコスカ」の愛称で呼ばれ、硬派なファンが多かった前のモデルに比べ、「ケンメリ」として幅広い層からの支持を得るクルマへと変化。「ケンとメリーのスカイライン」をキャッチコピーに、ケンとメリーがスカイラインで全国を旅するロマンチックなCMがさまざまな世代のファンを獲得し、話題となりました。

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機械が機械を作る衝撃 マルチアームロボットの登場

1977年、かねてから車体組立ロボットの開発に取り組んできた日産は、東芝との共同開発により、8本のアームで同時多点溶接を可能にした世界初の「マルチアームロボット」を完成。これによって、従来は4台のロボットが必要だった工程がマルチアームロボット1台で対応できるようになりました。

ブランド志向で消費好き!?
コミュニケーション能力が高い「バブル世代」 (1965年~1969年生まれ)

日本がバブル景気に沸いた時代に社会人になった「バブル世代」。多くの企業が大量採用を行った上、たくさんのボーナスや給料が支給されていた世代であることから、高級志向・ブランド志向が高く「華やか」な印象を持たれることが多い世代です。

戦後の物不足を経験した前世代からは、「今どきの若いモンはチャラチャラしている! 」と思われることがあったかもしれません。同期との飲み会や、社外の人との接待が多いこの世代は、コミュニケーション能力に長けており、世渡り上手ともいわれています。

また、日本で初めての携帯電話「ショルダーホン」が発売されたのが、1985年。現在の携帯電話とは似ても似つかぬ形状で、鞄のように肩からかけて持ち運び、重量はなんと2.6㎏。高額でもあり、当時の一般庶民にはまだまだ高嶺の花のような存在でした。

1988年に発売され、爆発的なヒットを記録した初代「シーマ」。国産車離れした気品あるスタイリングと、広く快適な室内、圧倒的な加速性能など、それまでの日本車になかった新しい価値が大好評となり、高級車ブームの火付け役となりました。高級車が飛ぶように売れる状況は、当時“シーマ現象”と呼ばれ社会現象と化しました。

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インテリジェントキーの元祖!? カードエントリーシステム

1985年、鍵穴に鍵をさして開ける、そんな“鍵”そのものの概念を覆して、クルマに世界初のカードエントリーシステムを採用した「スカイライン」。キャッシュカードサイズのカードを携帯すれば、ドアの取っ手にあるボタンに軽く触れるだけで施錠・解錠できる優れものです。現在主流となっているインテリジェントキーの先駆けともいわれています。

繊細なメンタルとクリエイティビティ「ゆとり世代」 (1987年〜2004年生まれ)

その後の「団塊ジュニア世代」「就職氷河期時代」「ミレニアル世代」を経ての「ゆとり世代」。バブル経済が崩壊し、その後に起きたリーマンショックやITバブルの崩壊などを経験していて、いわゆる「ゆとり教育を受けた世代」のことを指します。小学校、中学校、高等学校の授業時間の短縮や学校週5日制(週休2日制)などが行われました。この影響もあり、この世代は、多様性を受け入れて「ワークライフバランス」を重視すると考えられています。

受験戦争や就職戦争が激しかった評価重視の前世代からは、「今どきの若いモンはハングリー精神がない!」などと言われた場面もあるかもしれません。効率的に仕事をこなすこと、物事を合理的に考えることに長け、柔軟な発想力を持っています。

かつて絶大な人気を誇った「スカイラインGT-R」の事実上の後継車でありながら、2007年にスカイラインの冠を外して登場した「Nissan GT-R」。「誰でも、どこでも、どんな時でも最高のスーパーカーライフを楽しめる」をコンセプトに、究極の走りの楽しみを追求した一台です。

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 知ってた?「クルマ」にまつわる”初めて”

“神目線”のアラウンドビューモニターは日産が世界で初めて開発、搭載

2007年、日産は周囲の状況を車両の上方から見下ろしたような映像をディスプレイに表示する「アラウンドビューモニター」を世界で初めて実用化。この年に発売された「エルグランド」に搭載されました。車両の前後左右に取り付けられた4個の超広角(180度)高解像度カメラはまさに“神”の目線となり、ドライバーのスムーズな駐車を可能にしたのです。

デジタルネイティブ「Z世代」 (1996年~2010年生まれ)

デジタルネイティブとしてPCやスマホを駆使した情報収集が身についており、周囲の声に流されずに自身の価値観を重要視すると考えられている「Z世代」。保守的な一面のある上の世代から見ると、相反する部分もあるかもしれません。個人の意見を尊重し、世界の多種多様な価値観、グローバルな知識に数多く触れているのが特徴です。

2007年には初代iPhoneが発売され、テクノロジーの進化と呼応するかのようにSNSが次々と誕生しました。グローバル化が加速する一方で、ソーシャルメディアを通じて他国の事件や問題がより身近に感じられるようになり、環境問題やテクノロジーの安全性に対する関心がさらに高まり始めたのがこの時代です。

2010年に誕生した、世界初の量産型電気自動車(EV)「日産リーフ」。このクルマは、世界中で深刻な環境問題に直面するなか、走行時にCO2を全く排出しないゼロエミッション社会への大きな一歩として世界に発表されました。その先進性・革新性は世界中で大きな反響を呼びました。

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「所有」から「シェア」する時代へ モノの持ち方に変化 
~ 車もみんなでシェアする時代? ~

これまでは、暮らしにおいて「モノを持つ」=「モノを購入する」という消費行動が多かった時代でした。しかし昨今は、レンタルサービス、サブスクリプション、シェアリングなど、モノの持ち方にもさまざまな価値観とサービスが生じつつあります。それはクルマにも広がっています。例えば、日産の提供するカーシェアリングサービス「e-シェアモビ」

2018年からサービスを開始している「e-シェアモビ」は、電気自動車をはじめ、電動化技術や先進技術が詰まった車種を対象としたカーシェアリングサービスで、電動車両ならではのドライビングの楽しさと、最新の安全技術を体感することができます。

利用対象車種は、電気自動車である「日産リーフ」「日産サクラ」のほか、「セレナ e-POWER」「キックス e-POWER」「オーラ e-POWER」「ノート e-POWER」。安心・快適・気軽をキーワードに、免許証一つでメンバー登録・予約まで可能など、これまでのカーシェアリングサービスにはない付加価値を提供しています。

車もみんなでシェアする時代?

「e-シェアモビ」公式HPを見る

過去を繋げる、今を支える、未来を創る、日産

目まぐるしく移り変わる時代と、それを生き抜いてきた「若いモン」に寄り添ってきたモノやテクノロジーとの間には密接な結びつきがあります。その一つが「クルマ」といえるでしょう。

日産は、時代を超えて私たちの暮らしを豊かにしてきた「クルマ」を通じて、それぞれの世代を支える人たちとともに“未来”を創り続けています。これまでも、そしてこれからも。

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