コロナ禍は、日常を大きく変えてしまいました。デジタル化やオンライン化、社会理念や価値観の変容などが急速に進み、新たな生活様式への適応が急務に。今後、変化のスピードは加速度的に増し、さらに予測困難な時代を迎えるといわれています。
そんな未来を生きる子どもたちが自らの人生を切り開いていくには、どのような力や学びが求められているのでしょうか?本連載は、一人ひとりの可能性を追求し、その能力を最大限に伸ばす「KUMON」の提供でお送りする企画「KUMON FUTURE LAB」。各分野のフロントランナーに密着取材します。
第2回は、アート集団「チームラボ」代表の猪子寿之さんにお話をうかがいました。
体験したかどうかで、
得られる情報の密度は異なる
━━本日はよろしくお願いいたします!現在、猪子さんは、お台場の常設ミュージアム「チームラボボーダレス」など、世界各地で展覧会を開催しているアート集団チームラボの代表としてご活躍しておりますが、どんな子どもだったのでしょうか?
何事も自分の身体で体験したことを信じる子どもでしたね。 |
━━自分の身体で体験したことを信じる……何かきっかけがあったのでしょうか?
家庭環境の影響もあったのかもしれません。うちは両親と祖父母、曽祖母も一緒に暮らす大家族だったんですが、みんな考え方がバラバラで。 たとえば、祖母がプロテスタント系のある一派だったのに対し、母は高野山の密教系の真言宗。そんな中、カトリック系の幼稚園に通っていたから、礼拝日の考えの違いもあって、土日は両日とも別々の教会に足を運んで、昼間は自宅でお経を聴かされていました。 |
━━家庭内でいろいろな考え方が共存していたんですね。
あるとき、科学好きの父親が図鑑を買ってくれたんです。それを読むと、聖書の天地創造よりも前に地球には恐竜がいたとあり、数字が合わない。 祖母に尋ねたら「ここに書いてあるのは全部ウソだから読んじゃいけない」って言われたんですね。もう何が真実なのかわからないわけです。 |
━━それは子どもとしては困りますね……。
でも、家族は仲が良かったですね。昔の田舎の家族は現代と少し違って「経済的な運命共同体」という色が濃くて、ひとつの企業体に近かった。だから、それぞれの思想や信条については立ち入らない。 会社で社員に思想や信条を聞いたりしないでしょう?それと同じです。なので、大人たちの考え方の違いに関しては「そんなもんだろう」と早くから割り切っていましたね。 |
━━大人たちの考え方となると、たとえば学校の先生の話も、あくまで「ひとつの意見」という認識だったのでしょうか?
真実に近づくには自分で体験するしかないと思っていたので、「先生の話も真実かどうかわからないな」という感覚でした。 それで、自分の身体を使って体験し、考えたことを拠り所にして、ファクトとして信じられるようになっていったんです。 |
━━では、今の子どもたちにとっても「体験」は必要だと思われますか?
もちろん。体験したかどうかで、得られる情報の密度は全く異なります。砂山でも料理でも何でもいいから自分で作るという体験を通じて、身体で知っていく機会を増やしてほしいですね。自分の身体で虫を捕まえてもいいし、野山の中で色んなことを体験するのもいいと思います。 山や森といった立体的な空間で遊ぶには三次元の処理が問われるから、頭脳が高次元になっていく。そうなると、物事の捉え方は大きく変わっていくと思いますよ。 |
━━情報を見たり聞いたりして知った気になるのではなく、ちゃんと自分の身体で体験し、知る機会をつくろうとする主体性が必要なんですね。
人は本能として世界を知りたいですし、体験して世界を知るのは楽しいですよね。 また、今後は「空間認識能力」が重要になると考えています。人は森や山の中といった複雑かつ立体的な空間で、身体性を伴って世界を認識してきました。しかし、現代のように家や街など、平面や直線だらけの中で暮らすと「空間認識能力」が育まれず、物事を二次元的に捉え、身体を通して世界とつながる感覚を失う気がするのです。 |
言葉に頼りすぎている今、
求められる「知」の蓄積
━━体験を大切にしている猪子さんですが、子どもの頃、勉強はお好きでしたか?
理科や算数は好きでしたね。教科書には誰かが発見した普遍的な「知」が詰まっていて、体系立てて書いてあるからよく読んでいました。 「知」は、よくわからない世界をより理解するための道具になります。子どもたちには、特にサイエンス(科学)と数学を学んでほしいと思いますね。今は、言葉に頼りすぎていますから。 |
━━「言葉に頼りすぎている」とは、どういう意味でしょう?
たとえば、新しい疫病が流行ったとします。メディアは「人がたくさん亡くなる病気」と恐怖を煽るかもしれません。その時「人がたくさん亡くなる病気」と、言葉でしか理解できなかったら、真実を見誤る可能性が高いと考えています。 身体で起きていることを科学的に分析したり、数字でデータを読み取ったりすれば、実は日常的に存在していた病気と変わらないかもしれない。そうなれば、不必要に右往左往しなくてすみますよね。言葉が多く、簡単に手に入るからこそ、科学的、数学的な物の見方や自分の体験を通して世界を捉えたほうがいいと思います。 |
━━ちなみに猪子さんは公文式教室に通われていたそうですが、科学的、数学的な物の見方を養うのに役立ちましたか?
どうでしょう。小学校に入学するあたりから3年生か4年生くらいまで通っていたと思うんですが、最初は親に言われて通っている感が否めなかったですね。 公文式教室が入っているビルの1階に本屋さんがあって、そこで学習漫画を買ってもらえるのが嬉しくて続けていたんです。でも、今思えばKUMONはいいと思いますよ。 |
━━どういった点にKUMONの良さを感じるのでしょうか?
僕が学校で経験した授業には「知」と先生の主観、つまり「便宜上のルール」が混ざっていたんです。子どもからすると、これは「知」か?それとも「便宜上のルール」か?と混乱してしまう。 だから僕は、学校の先生が何を言っているのかよくわからなかったんですよ。人によってはそのせいで「知」まで嫌いになっちゃう可能性がある。その点、KUMONは純粋に「知」だけを蓄積できるのがいいですね。 |
━━KUMONの自分で考え、解き進んでいく「自学自習」のスタイルが、純粋に「知」を求めていた猪子さんに合っていたのかもしれませんね。ちなみに反復して自学自習するKUMONのスタイルは、「知」の蓄積に有効だとお考えでしょうか?
何事も、繰り返して初めて知るようになると思います。体系立った「知」を身体に蓄積していくには、それしかない。 昔から「読み・書き・そろばん」っていわれているけど、そういう基礎教育はすべての力の土台になるし、繰り返していけば誰でも必ずできるようになる。だから、純粋な「知」をプログラム化し、自分で体験していけるKUMONはいいと思います。 |
過去の誰かが発見したことを、
自分の身体で試して世界を知っていく
━━最後に、これからの時代を担う子どもたちを育てる親世代に向けてメッセージをお願いいたします。
ここではないどこかで、いろいろなことを身体で体験をさせてあげてほしいです。世界は、理解できない不思議にあふれています。自分たちが知っていることなんて僅かにすぎないのだから、もっと知りたいし、もっと体験したいと思うようになる。それが世界の多様性を知ることにもつながりますよね。 |
それから過去の誰かが発見したことを、自分の身体で試すということを繰り返して、初めて世界を知ることができるのだと思います。体系だった知を自分で学び、自分で身体を動かして、身体の一部にしていくことが大切です。 |
━━「自分の身体で試す」というのはKUMONも実践しているように「知」の蓄積にも欠かせず、それが世界を理解するための足掛かりになるのではないかと感じました。猪子さん、本日は貴重なお話、ありがとうございました!
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予測不可能な未来だからこそ、どんな時代でも自ら考えて「生き抜く力」と、それを育むための「学習」を。「KUMON」は、教室でも自宅でも、一人ひとりの可能性を追求し、その能力を最大限に伸ばし、未来の可能性を広げられる機会を提供します。
公文式学習とは?
学年に関係なく、一人ひとりの力に合った教材を指導者が選定し、生徒が自習で教材を解いていくスタイルの学習。指導者は生徒に「答えを教える」のではなく、生徒が「自分で解けた」という状態へと導く。また、結果だけではなく、行動や努力といった過程についても「具体的にほめてあげる」ことを大切にしている。自分で解ける状態になるまで反復練習するため、次のステップに進んでも自力で挑戦できる。その結果、「自習力」「学習習慣」「ものごとを粘り強くやり抜く力」「集中力」「自分で考える力」「自己管理する力」などの「力」が身につき、学年を越えた未習の内容も自習で解けるようになるといった特長がある。
[PR]提供:公文教育研究会