今、私たちが使っているシャープペンシル。これを発明した人物が、日本を代表する企業の創業者であることはあまり知られていない。
その人は、大手電機メーカー「SHARP」を創業した早川徳次氏である。
以前からシャープペンシルの原型は存在していたものの、非常に壊れやすい代物だったことに目をつけた早川氏は、常に先が尖っていて、なおかつ芯が出しやすい「早川式繰出鉛筆(初代シャープペンシル)」を発明。これが大ヒットとなり、現在の「SHARP」という社名に由来しているという。
今回は、奈良県天理市にある「シャープミュージアム」に伺い、シャープミュージアムチーム参事の藤原百合子さんに話を聞ける機会を得た。藤原さんは、SHARPの歴史を知り尽くしていると言っても過言ではない“語り部”だ。
SHARP創業のきっかけはバックル。ヒントは映画鑑賞
シャープペンシルは、早川氏にとって最初の発明品ではなかった。その前に発明したのが、ベルトのバックルだ。
「徳尾錠(とくびじょう)」という長短自在に締められるスライド式のスマートなバックルで、ベルトには穴を開ける必要もない。この徳尾錠の大量受注をきっかけに早川氏は独立開業を決断するわけだが、このバックルを発明した経緯がおもしろい。藤原さんは言う。
ある日、奉公先の先輩に映画館に連れて行ってもらった早川は、映画の主人公がズレ落ちそうなズボンを何度も手で引っ張り上げるシーンを観て気の毒に思ったそうです。ちょうど、和服から洋服に移行する時代でもありましたから、人々が快適にズボンを履くことができるようにと発明したのが徳尾錠でした。 |
大げさな演技に他の観客たちが笑う中、早川氏だけはそんなことを考えていたのだから、一風変わっていたともいえるかもしれない。ただ、そこには幼少期の過酷な体験があったと藤原さんは続けた。
食事も満足に与えられない過酷な幼少期。ひとりの盲目女性に救われる
藤原さんによると、早川氏の実の両親は、生まれて間もなく他界。わずか生後1年11か月で養子に出されるが、その2年後に養母が亡くなると、後妻としてやってきた継養母から厳しく当たられ、食事も満足に与えられない幼少期を過ごすことになったという。
そんな中、朝から深夜までマッチ箱貼りの内職を強いられたのだが、どんなに数をこなしても、褒められるどころか叱られる毎日。そこで早川少年は「効率化」に目を向けた。いかに短時間で大量生産できるか、いわば生き抜く術として身につけた習慣が、将来のSHARPの事業に大きな影響を与えることになる。
その後、早川氏は近所に住む盲目の女性の世話を頼りに、金属加工職人に奉公することに。ここで習得した金属加工技術が徳尾錠やシャープペンシルの発明につながるのだから、人生とはわからないものだ。
その盲目の女性に再会することは叶いませんでしたが、このときの感謝を、早川は生涯忘れることはありませんでした。このことから、早川は『音』を作ることにもこだわり、それは現在にも受け継がれています。1980年に発売された世界で最初の音声電卓を皮切りに、おそうじロボットやロボホンなどには、早川の恩返しの思いも込められているのです。 |
そんな早川氏は経営に不可欠な「五つの蓄積」として、「信用」「資本」「人材」「奉仕」「取引先」の蓄積を重視し、実践していたという。
関東大震災に被災。すべてを失い、ラジオで再起を遂げる
独立開業してからは、従業員も200名を越え、業績は順調に推移していった。しかし、天は残酷なもので、またしても早川氏に試練を与える。1923年に発生した関東大震災だ。甚大な被害により、2人の子どもと妻を亡くし、工場は焼け落ちた。残った莫大な借金を返済するため、早川氏はシャープペンシル事業を売却。大阪へ再起の道をかけた。
辿り着いた土地で、早川氏はラジオの試験放送を耳にする。このとき、「これからはラジオの時代だ」と直感した。
早川はすぐにアメリカ製のラジオを購入し、分解して研究を始めました。電気の知識は皆無の状態でしたが、見よう見まねで試作を続けること約2年、国産第1号鉱石ラジオ受信機が誕生しました。培ってきた金属加工技術が幸いし、『早川式のラジオは品質が良い』と評判になったそうです。 |
「良い製品は良い部品から生まれる」。このポリシーは、早川氏の実体験から浮かび上がってきたものだ。ラジオにはどんどん改良が加えられ、大量生産を実現する効率化も同時に進められた。専用のベルトコンベアを開発・活用することで、ラジオ1台の生産に費やす時間は56秒という効率的な量産体制を確立したのである。少年時代に会得した効率化の習慣。それが大いに役立った格好だ。
そして、1952年には国産第1号のテレビを発売。さらには、電子レンジに調理完了を知らせる音が出る仕組みを初めて導入したり(これが「チンする」という言葉の語源となった)、1959年には早くも太陽光発電に関する研究を始めたりするなど、まさに早川氏は時代をけん引していった。
「誠意と創意」の精神で生まれた手のひらサイズの電卓
藤原さんいわく、早川氏の口癖は「他社に真似される商品をつくれ」だったそうだ。他社が真似すればそこに競争が生まれ、品質の面でも価格の面でも世の中の人に喜んでもらうことができる。そのためには未開の地を切り拓いていくことが大切で、世の中のニーズに目をこらし、苦難にもくじけない姿勢が求められる。早川氏は「誠意と創意」の精神を説いた。それを表す印象的な出来事がある。それは「電卓」の開発だ。
コンピューターの開発に乗り出したシャープでしたが、国家プロジェクトチームのメンバーには入れず、『「自分たちの身の丈に合ったコンピューターを作ろう』と方向性を転換。思い浮かんだのが、八百屋の店先で使われていた『そろばん』でした。手のひらサイズの電卓を作ろうとしたのです。 |
そのために不可欠だったのが半導体。早川氏の命を受けた技術者は、アメリカのシリコンバレーに飛び、複数の半導体メーカーを回った。けれど、答えはすべてノー。というのも当時、半導体は軍需用か宇宙用として使われるのが一般的だったため、電卓に使用する発想すら非常識なものだったのだ。
帰りの飛行機を待つ空港で、途方に暮れる技術者。しかし、そこで奇跡が起きた。アナウンスで呼び出された技術者が向かうと、ある半導体メーカーの担当者から連絡が。「あなたの熱意に惚れました」の一言で、電卓用の半導体の提供が決まった。
これを機に、SHARPは電子式卓上計算機を発売し、半導体を初めて民生用に実用化することに成功した。ただ、卓上というだけで画期的ではあったが、目指すは手のひらに乗る大きさである。広いスペースを要する真空管の代用として白羽の矢が立ったのが「液晶」だった。存在そのものが認知されていない時代に液晶の活用に道筋をつけ、手のひらサイズの電卓を見事に実現させたのである。
誰かに懐かしさを感じてもらえる喜び。「Be Original.」は今も息吹く
ミュージアムを見学中、筆者にとって懐かしい製品に出くわした。それは、カメラ付き携帯電話J-SH04だ。携帯電話で写真を撮ってメールで送り合う「写メール」という言葉の起源にもなり、現在の「インスタ」のルーツともいえる。当時高校生だった筆者は、このJ-SH04を購入したおかげで、クラスの中でちょっとしたヒーロー気分を味わえた。
この話をすると、藤原さんは「懐かしさを感じてもらえるのがうれしい」と目を輝かせた。確かに、モノに対する思い入れは、強いオリジナリティが無いと薄れていく。今もこうして思い出すことができ、懐かしさに浸れるのは、それだけ製品にインパクトがあった証なのだろう。
シャープミュージアムには、SHARP106年の歴史が詰まっている。主に一般の来館者が多いそうだが、時折、社員たちも訪れるという。彼らは一様に「ここに来ると、ヒントが見つかりそうな気がして」と話すそうだ。仕事に行き詰まったとき、早川氏をはじめ先人たちのDNAに触れることで、目の前の靄が次第に晴れていくのかもしれない。
早川氏が残した「誠意と創意」の精神。それは「Be Original.」となって、今も息吹いている。
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シャープの社名の由来を深掘りしたら、先を行きすぎる発明品を見つけた話
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