お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志がプレゼンターを務めるAmazonプライム・ビデ オのバラエティシリーズ『ドキュメンタル』が、シーズン3を迎えた。100万円という高額な参加費ながら、"密室笑わせ合いサバイバル"というシンプルなルールに魅了された芸人たちが次々に参戦し、笑いの神が降臨するシーンが毎回発生している。
この総合演出を手がけるのが、伝説のバラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系、1991~97年)でディレクターを務めていた小松純也氏だ。90年代初頭から松本を長年見てきた小松氏は『ドキュメンタル』をどのように描いているのか。奇跡の瞬間などの見どころはもちろん、今後の配信番組の展望なども聞いた――。
――小松さんと松本さんの関係といえば、やはり『ごっつええ感じ』ですが、その出会いの前からお話を伺えればと思います。もともと、京都大学の学生時代から「劇団そとばこまち」でご活躍されていたんですよね。
憧れていたアメフト部に入部しようとしてたんですけど、親友がお笑い好きで「そとばこまち」の説明会に行くと言いだしたんですね。僕は「ボルツ」でカレーが食べたくて、そいつを説明会から連れ出していこうと思ったんですけど、行ってみたら親友がいなかったんです。で、行く場をなくして「入れ入れ」と言われ、そのまま稽古場に連れ去られて、あれよあれよという間に魂を失った”灰色人間”という役を振られて「舞台に出ろ」と言われて(笑)
――運命的な経緯ですね(笑)
そうですね。人の前で何かをやって笑わせるということは好きだったので、役者っぽいことをするようになって、当時そとばこまちがOBC(ラジオ大阪)で『おっと!モモンガ』という番組を持っていたので、そこでコントの台本を書いたらわりとウケが良くて。その後、読売テレビのコント番組に自作自演で出たのがテレビとの最初のつながりですね。他にも関西テレビの番組もやったりして、舞台の台本を本格的に書いたのは20歳になってから。その時書いた処女作『冬の絵空』ってのがいまだに一番出来が良いらしい(笑)。最近でも、生瀬勝久さん、藤木直人さんに演じてもらいました。
――そこから、どのような経緯でテレビの道に進んだのですか?
そとばこまちは大学を出たら辞めるもんだと思っていまして、どうしようかなぁと思いながら就職活動もしていなかったんですが、ある日、大学の掲示板に休講がないか見に行ったときに、ふと下を見たら「フジサンケイマスコミセミナー」のハガキが落ちていて、辻くんという後に三菱商事に行った友達が拾って持って帰ったんです。その後、一緒に喫茶店に行ってノートの写し合いとかして帰ったんですけど、家でカバンを見たら、そのハガキが入ってたんですよ。
――またもや運命ですね!
それを見て、「ちゃんとした会社に勤められる最後のチャンスなんじゃないか」と思って、期限が過ぎてたんですけど送ってみたら、来いと言われて。今思うと、ビジネスでやってるから受け入れてくれたんでしょうけど(笑)、当時は「俺には特別な縁がある」とか思って面接を受けたら通って、入れていただけることになったんです。
――そうしてフジテレビに入社されるんですね。最初からバラエティ制作志望だったんですか?
いえ、そとばこまちの最後の方は、真面目に芝居をやっていたので、ドラマ志望でした。それで、当時やってたドラマの現場に研修に行くと、女優さんがチューするシーンをいい大人たちが固唾を呑んで見守っていて、「すげぇなコレ!?」と思って(笑)。プロデューサーの大多亮(現・常務取締役)さんは「今から10個質問するから1秒おきに待たないで答えて」とか言ってバンバン聞いてきて「すげぇなこの人!?」と思ったんです。後に尊敬する上司になるんですけどね(笑)。それで、田舎モンの僕はバラエティの方が良いなと思いまして。ドラマは脚本家が脚本の責任を持って、ディレクターは画撮りに専念して、プロデューサーは環境作りを行うという感じで分業が明確だった一方、バラエティはディレクターが台本も書いたりできるので、こっちの方が向いてるのかなと思って途中で志望を変えまして、当時の第二制作部に配属されました。
――最初に担当した番組は何だったんですか?
当時の部長だった宮内(正喜・現社長)さんが「ここでいいだろ」と言って、佐藤義和さんの下につけていただいて、『笑っていいとも!』(82~14年)、『夢で逢えたら』(88~91年)を担当することになりました。
――そこで、ダウンタウンさんと出会い、後に『ごっつええ感じ』でも関わっていくんですね。
そうですね。当時の『いいとも』は、そこで人気者になると冠番組を持てるというシステムができ上がっていて、その流れの中でダウンタウンさんが冠番組を持つという感じでした。立ち上げのチーフADをやったんですが、まだ入社2年目でしたから、ADはそれ以下のスタッフしかいなくて(笑)。まぁひっどいチームで、ド素人集団でやってました(笑)
――当時の松本さんの印象はいかがでしたか?
浜田(雅功)さんの方がADに話しかけていただけることも多くて、厳しいけど優しい人という印象だったんですけど、松本さんは内気で心が優しい人という感じがしましたね。根がすごく優しいんですよ。「ミラクルエース」っていうコントでお面を作るんですけど、僕がそのゴムの通し方で手こずっていたら、「こうやってやるんやでぇ」って教えてくれたり(笑)。ただ、笑いに対するこだわりや情熱、スタッフ目線から言うと気難しさという感じは、当時からありましたね。
――その「こだわり」というキーワードから、『ドキュメンタル』のお話を進めていきたいのですが、今回、松本さんからオーダーのあった「こだわり」はどんな点でしたか?
最初に強烈に感じたのは、できるだけフラットな状況でやりたいということですね。松本さんの基本的なスタンスは、必然性がないものはどんどん排除して、できるだけむき出しな形にしていくということ。それで輪郭をはっきりさせることで、ニュアンスがようやく直截に伝わるという考えかと思うんです。だから、演出的にスタッフが笑かそうとすることを全て排除するとか、できるだけシンプルな形でやりたがっていました。極論何もない、壁だけの空間でもいいんじゃないかという意見もあったんですが、そうすると背景が変わらなくて位置関係が全然伝わらなくなるからやめようみたいな議論をして、ああいう風になっています。何もない空間にむき出しの状態でほったらかしにした上で、アイデアと人間力だけで競技が成立するのか、というのが最初意図した理想形だったと思います。
――そうした松本さんの意図を汲んで、環境作りを行うのが『ドキュメンタル』における総合演出のお仕事ですね。
僕があの方と仕事をするときは、アシスタントだと思ってやってますし、松本さんの意図通りに運ぶようにということを考えながらやります。それをブレイクダウンしてスタジオ照明、現場・パッケージの進行がどうあるべきか、美術のデザイナーもディレクターの総合力も、さまざまなディテールまで指定しながらやっていなかればいけない。それを受けて、松本さんの仕上がりのイメージと齟齬がないように、さらに言えば期待を超えるくらいのものにしてあげようという気持ちで、基本的には人集めから何からやります。
――今回は松本さんからのご指名だったんですかね?
吉本さんからお話をいただいたので、よく分かんないです(笑)。でも、ストレスが少なければいいなと思うんですよ。僕が勝手に思ってるだけかもしれないですけど、あの人がどういうものが好きかとか、ある時点でどういうジャッジをするかというのは、もうずっと見ていましたし、実際それで成り代わって自分がやって、もちろん摩擦があったこともいっぱいあったし、そういうことも乗り越えながらご一緒させていただいてますから、分かってはいるつもりでやりますね。
――小松さんは現在共同テレビに出向中ですよね。フジテレビで管理職になっていたのが、現場でまた制作の仕事がしたいということで希望なさったと伺いました。そこで、松本さんとまたご一緒できるのは、喜びもひとしおなのではないでしょうか。
「松本さんとまたやりませんか?」とお声がけいただいたときは、すごくうれしかったですね。管理職や編成をやっていて、会社の調子が悪い時の解決策を考える時、マネジメントの仕方を一生懸命考えるんだけど、一方ついこんな番組やったらいいのに、と考えてしまう自分はプレイヤーとしてやった方がいいのかもと思っていたんです。その結論はいまだにわかりませんが、局内で現場に戻ってもみんなやりづらくて困っちゃうだろうし、制作会社の方がと思って、希望を聞いていただいて出向できました。そんな時に、本当に真っ先に声をかけていただいたのは、すごく感謝ですね。
――さて、ここからは『ドキュメンタル』シーズン3のプレイヤーについて、それぞれ伺っていきたいと思います。まず、唯一の経験者である野性爆弾のくっきーさんは、いかがでしたか?
爆発的な攻撃力があって、もうアイデアがすばらしいですね。番組の中でも言ってましたけど、「恐怖と笑いは紙一重」というのが如実に現れています。後でゾンビ(※1)として登場するんですけど、その時の姿がもうオカルトです(笑)。実は経験者だからどうこうという考え方はないんですけど、『ドキュメンタル』は、ある程度限られた人しか出てこれない舞台だと思うんです。だから、新しい人だけでは限界があるので、強い選手、K-1で言うところのアンディ・フグとかアーネスト・ホーストとか、そうした看板選手の1人では間違いなくありますね。
(※1)…制限時間残り90分になった時点で、「ゾンビタイム」がスタート。敗者が一時的に”ゾンビ”としなって復帰し、生き残っている参加者に笑いを仕掛けることができる。
――「笑わせる」という戦いになるとボケの人の方が強いというイメージがありますが、その中でツッコミのフットボールアワー・後藤輝基さんが参戦されたのは意外でした。
制作者側の意図としては、実はツッコミの人がいると、あの空間がうまく回るんですよ。つまり、みんながてんでバラバラで好き勝手なことばかりやっていると、笑いのグルーブが育たない。ある程度の波をみんなで共有しながら、それに乗って笑いを堪えられるかというのが、この企画においては重要です。だから、回してくれたりツッコんでくれたりする人が生命線だったりします。ツッコミを聞いて他の人が笑っちゃうというツッコミの強さが出る場面もいっぱいあるんですよ。これまで出ていただいたFUJIWARAの藤本さんとか、バイきんぐの小峠さんとかも良かったですが、今回の後藤くんはまぁすばらしかったです。本当にすばらしかった! 前のコンビではボケもやっていたと聞きましたが、自分から仕掛けてきれいに殺すというパターンもありましたし。
――ツッコミで言うと、今回はサンドウィッチマンの伊達みきおさんもいましたよね。
本当に何も持たずに来て、ここまでうまく活躍したなと思いますし、あの人が作ってる空気でみんなが笑ってしまうということも起こったので、さすがだなと思いました。
――極楽とんぼの山本圭壱さんは、完成披露の舞台あいさつで「ようやく仕事らしい仕事をした」と充実の様子でした。
本当に頑張ってましたよ(笑)。あの人もクリーンヒットを打っていて、それが勝負に大きく関わってきます。ただ、カメラの向こうの客は笑うけど、対戦相手は決して笑わない、むしろ自分が笑ってしまうだろうっていう攻撃をずっとやり続けて、「この人、勝つ気あるのかな?」と思いながら見てました(笑)。天然というと失礼かもしれないけど、勝ちたいがあまり、いろんな行動をとっているさまを松本さんがバンバン指摘して面白かったので、そのへんも楽しみにしていただきたいと思いますね。
――笑いを取りたくてもがいているような感じですか?
そうですね。あの人のこれまでの経緯も含めてのドキュメンタリーとして見ていただければ。ご苦労なさってますし、お金もないでしょうからね。
――お金がないといえば、プラス・マイナスの岩橋良昌さんも、他の参加者に比べて知名度も低い中、健闘されています。
あの人も爆発的に面白い時と、空振りすることも結構あるんだけど、空振ってるさまがおかしいということもいっぱいありますからね。ああいう強引な人がいると、それに引っ張られて、その対処に対するツッコミとか、そういうことでまた笑ってしまったりとか。暴走した後の一瞬の静寂の中に、笑いのリスクがすごくあるっていうケースはよくありますからね。
――TKOの木下隆行さんはいかがでしたか?
なんとも言えない佇まいがいいですよね。直接それで笑うということにはなかなかならなかったりするんだけど、見てる方からすると面白い場面がいっぱいありましたね。"憑依型"というか、そういう芸風がうまくハマった感じがしました。
――"憑依型"といえば、ロバートの秋山竜次さんもいらっしゃいます。
ああ、もう抜群ですね! 彼は本当にちゃんと用意をしてきていて、梅宮辰夫さんがパスタを食うくだりは、もう死ぬかと思いましたよ(笑)。本当に面白い。下ネタも行けますしね。
――ケンドーコバヤシさんが初参加というのは意外でした。
腕力がありますね、素晴らしいですよ、しゃべりだけでバーンって殺したりしますからね。ボケもツッコミも両方できて、実はケンコバさんを軸に結構回ったというシーンはあります。ツッコミに果たしてもらいたい回していく役割とか、流れを作っていく役割もやってくれて、大活躍でしたね。
――レイザーラモンRGさんという強者もいます。
彼はものまねのツボの押さえ方がすばらしいですよね。それがゾンビになって炸裂するんですけど、一部の人にしか分からないかもしれないネタなので…
――「今昔庵」(※2)のマスターですね(笑)
そうです(笑)。今回の収録はTMCでやってるんで、第4話で今昔庵に注文を取っていましたけど、そのままで終わらないはずなので、どうなるかをぜひ見てもらいたいですね。ハートが強いんで、やり切るんですよね。
(※2)…都内のテレビスタジオ・東京メディアシティ(TMC)内にある業界人御用達の喫茶店
――そして、伺わないわけにはいかない、オードリーの春日俊彰さんです。局部の皮の中から、ミニチュアのカレーライスを出すというネタは、まぁ地上波では放送できないだろうなと思いました(笑)。
あれはねーー!! もう見ながら、これどうするんだと思いましたよ(笑)。でも、みんな笑っちゃってるから配信せざるを得ない。春日さんはボディビルをやってるので、"ヘア"がないんですよね。だから、収録の時に「これ流してもいいんじゃないの?」って思っちゃうくらい、ヤラしくないんです。最初は、なんだか分からない皮膚のシワの塊があるので、シュークリームに見えたんですけどね。彼も、あの場で初めてやったことらしいんですけど、奇跡のような映像が生まれました。
――モザイクのかけ具合が絶妙だったのですが、どのように編集したのですか?
あれを映像化するにあたっては、本当は先っぽの皮が映ってないと、出てくる有様が分からないわけじゃないですか。でも、皮は写せませんよね。ということで、皮と出てくるモノの間の影をなんとか生かしながら、モザイクをかけていくという作業に挑戦しています。このモザイクをかける作業は、従来の編集ではできないので、専門のところにお願いしたのですが、最先端の軍事技術を使っているらしいです。このくだりは、最終話にまた出てきます。とてもくだらないので、ぜひ見逃さないようにしていただきたいです(笑)
――最新技術のおかげで、奇跡の瞬間が日の目を見ることになったんですね。今回はシーズン3になりましたが、笑わせる技術はだんだん進化しているように見えますか?
皆さんがシーズン1、2を見て参戦してますから、どんどん方法論が研ぎ澄まれてますよね。何でもない瞬間に笑ってしまうというようなタイミングを作る技術とか、そういう高度な技もあったりするんですよ。人はこういうことで笑うんだというバリエーションがたくさん出てきたというのが、シーズン3での進化かなと思います。
また、ゾンビシステムを導入したことによって、エンタテインメントとしても進化したと思います。彼らは相当考えてネタを持ち込んできますが、それを発揮できないまま終わってしまうこともあるです。だから、そこからゾンビになって出てくる時にまぁノビノビして笑かしに来るんですが、それを見て笑っちゃいけないんですよ。そんな地獄ないです(笑)。残った人間がその本当の地獄を味わい、笑いを耐える苦しみの表情も、実はドキュメンタリーとしての見どころなんじゃないかなと思います。ゾンビがチームでネタ合わせして登場してきますんで、もうめちゃくちゃですよ(笑)
――今回は松本さんとご一緒されていますが、これまで笑福亭鶴瓶さんやウッチャンナンチャンさんなど、テレビで一緒に仕事をしてきた人たちとAmazonプライム・ビデオで新たな番組を一緒にやりたいという思いはありますか?
色んな人には色んなスペシャリティがあるので、ぜひご縁があればやってみたいですね。最近、地上波テレビに閉塞感があるとよく言われてますが、僕は作り手のクリエイティビティが弱まってきたことの言い訳のような気がしてるんです。昔からやっちゃいけないことはやっちゃいけないんですから、そんなに変わってないんですよ。ただ、地上波ではできない、配信だからできるというのは、確かにあります。それはどちらかというと見られ方の問題だと思うんですよね。だから、『ドキュメンタル』だって、局部とか出さなければ地上波でやってもいいんですよ。でも、視聴率は取れないです。
――それはなぜでしょうか?
お金を払って参加する生々しい感じとか、あそこまで激しく笑わせようという感じは、気楽に見る視聴者にとっては嫌な感じがするんですよ。地上波のお客さんは大半が"ながら見"だし、年齢層も高いですし。僕らテレビマンにはそこで世代を超えて面白いものを作るという戦いはもちろんありますが、そうではない戦い方が配信ではできる。それが大きな規模でできるというのが、今配信で起き始めていることかなと思います。
――これまで『ごっつええ感じ』『笑う犬』シリーズを手がけてきた小松さんですが、地上波で今コント番組をやっているのはNHKくらいですよね。コント制作のノウハウを、Amazonプライム・ビデオで生かすという可能性はありそうですか?
そうですね。そういうチャンスが回ってくるかもという予感はあります。
――松本さんも、コントをやりたい気持ちはありそうですか?
たぶん松本さんとしては、Amazonプライム・ビデオで新しいフィールドを見つけられたので、『ドキュメンタル』に限らず、今後もさまざまな新しいことをやっていける状況はあるんじゃないですかね。そのときに僕もまたご一緒できたらいいなと思います。
――今、小松さんが地上波で番組を担当しているのは、NHKやTBSですが、フジテレビに元気がないと言われている中で、古巣でやりたいという思いは強いんじゃないですか?
実は、今度の『FNS27時間テレビ』(9月9~10日)で、爆笑問題さんと林先生が出演する「あの人の歩き方」というコーナーを担当します。歴史上有名なあの場面の場所が現在どうなっているのかというのを、古地図などの資料を集めて考証を重ね、ピンポイントで現在のここ!と特定していくという企画です。それと、10月クールの新番組も1本担当します。僕も共同テレビに来て、もの珍しさもあっていろいろお声がけいただいた仕事をしてきたという感じなんですけど、もちろんフジでやらないといけないなというのはありますので(笑)
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小松純也(こまつじゅんや)
1967年生まれ、兵庫県西宮市出身。京都大学卒業後、90年にフジテレビジョン入社。05年までバラエティ制作を担当し、編成部、バラエティ制作センター企画担当部長、スカパーに出向して編成担当、帰任後バラエティ制作センター部長などを歴任し、15年から共同テレビジョンに出向。第2制作部長兼プロデューサー(現職)。
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