前回、移動体通信や無線LANを活用した車内情報表示装置向けの情報配信について取り上げたが、実は、運行管理を担当する指令員と乗務員の間の連絡という切実な課題が、はるか以前から存在していた。
列車がケーブルをズルズルと引きずって走るわけにはいかないので、乗務員が外部と連絡を取ろうとしても、有線による通信手段は使えない。通過駅のホームに、紙に書いた通信文を通信筒に入れて投下するというアナログな方法はあったが、地上から列車に連絡を取ろうとすれば、停車駅で通告券を渡したり、口頭で連絡したりするのが関の山という時代が長く続いた。しかし、それでは不便である。
指令員が乗務員に指令を出したり、規制・輸送障害・運行状況といった情報を流す場面はおおいにあり得るし、しかも緊急性が高い。逆に、事故や車両のトラブル、乗客の急病などといった事態が発生したときには、乗務員は急いで指令員と連絡を取りたいだろう。
列車無線その1 : 空間波無線
そこで登場したのが、列車無線である。地上に基地局を設置する一方で車両に無線機を積み込んで、無線で会話できるようにするものである。
どちらかというと民鉄で導入が先行しており、国鉄では導入事例が新幹線、それと常磐線の一部区間ぐらいしかないという時代がしばらく続いていた。だから、かつては常磐線の列車無線設置区間を走る乗務員に限って、無線通信のための免許を持たせていた。それが現在では、JRでも民鉄でも、列車無線は一般的な存在になっている。
もちろん、列車無線で使用する周波数が他の通信と混信したら一大事なので、電波行政を所管している総務省(以前なら郵政省)が、列車無線用の周波数を割り当てている。ちなみに周波数の割り当て状況は、総務省Webサイトの「我が国の電波の使用状況」で確認できる。
なお、空間波無線といっても一種類ではなく、双方から同時に通話できるものもあれば、片方からしか通話できないものもある。また、アナログ式とデジタル式があり、JR東日本では首都圏を中心にしてデジタル式の新型列車無線を導入した。デジタル列車無線では交話だけでなく、運行情報のようなデータの配信も可能になっている。
ちなみに、新幹線電車の先頭車(端から2両目のこともある)の屋根上に付いている後退角付きのアンテナは、架線の通電を検出するための静電アンテナで、列車無線とは関係ない。在来線も含めて、交流電化区間を走る車両にはたいてい、静電アンテナが付いている。
列車無線その2 : 誘導無線
ところが、空間波無線にはちょっとした問題がある。地上に基地局を設置している限り、トンネル内、あるいは山間部では通信ができなくなるのである。トンネルや地下街で、いちいち基地局を設置しないと携帯電話が「圏外」になるのと同じだ。トンネルが少ない場合には割り切りが可能かも知れないが、用途が用途だけに、できれば不感地帯は作りたくない。
ましてや、大半がトンネルになっている地下鉄では大問題である。携帯電話で行っているように、トンネル内に基地局とアンテナを設置する方法が考えられないわけではないが、急カーブが多い地下鉄のトンネルでは、見通し線圏内で通信できるエリアが限られてしまって現実的ではない。
そこで登場するのが誘導無線で、もっぱら地下鉄で使用している。誘導無線とは、線路脇、あるいは線路の間に設置した誘導線に交流を流して、それと車両側のアンテナとの間で発生する電磁誘導現象を利用して通信を成り立たせるものだ。鉄道用の誘導無線では一般的に、周波数150~300kHzの周波数を使用しているが、もっと高い周波数を使用している事例もある。
動作原理が空間波無線と異なるため、誘導無線は誘導線から数メートル程度の範囲に車両側のアンテナを置かなければ通信できない。地下鉄のトンネルは、車両を通すことができるギリギリのサイズになっているため(断面が小さい方が建設費が安いので、そうなっている)、線路脇、あるいは線路の間に誘導線を設置すれば通信可能である。これに対応して、地下鉄車両は側面と床下に誘導無線用のアンテナを設置している。
ちなみに、誘導無線は地下鉄の専売特許というわけではなく、意外とさまざまな分野で用いているようだ。面白いところでは、日本無線製の同時通訳システムがある(製品情報)。
列車無線その3 : 漏洩同軸ケーブル
同軸ケーブルそのものは、さまざまな場面で通信用に用いられているからお馴染みだろう。ただし、通常の同軸ケーブルは芯線の周囲をきちんとシールドしているのに対して、漏洩同軸ケーブル(LCX : Leaky Coaxial Cable)はシールドに意図的にスリットを設けて、外部に電磁波が漏出するようにしている。これを利用して、車両側のアンテナとの間で通信を成り立たせる仕組みだ。
考え方は空間波無線と似ているが、地上側でところどころにアンテナを立てる通常の空間波無線と異なり、漏洩同軸ケーブルではアンテナが連続的に線路脇にあるのと同じ状態になる。そのため、トンネルでも何でも途切れなく通信できる。
漏洩同軸ケーブルの使用例としては新幹線がよく知られている。高架橋なら側面の防音壁に沿って、駅部では壁面、あるいはホームの下に設置している。ケーブルから離れると通信が難しくなるようで、車両から離れすぎないように設置している。
複数の線路がある駅では、個々の線路ごとに漏洩同軸ケーブルを敷設している。たとえば、通過線と待避線がある駅だと、待避線についてはホームの下に、通過線については線路脇に、それぞれ専用の漏洩同軸ケーブルを敷設してある。
この漏洩同軸ケーブルは、列車無線だけでなく、車内情報表示装置向けのデータ配信、車内公衆電話、そしてN700系のインターネット接続サービス、といった具合に、さまざまな用途に用いられている。ちなみに、使用している周波数帯は400MHz帯だ。
新幹線以外では、一部の地下鉄で、誘導無線の代わりに漏洩同軸ケーブルを使用している事例がある。空間波無線のアンテナとして漏洩同軸ケーブルを使用しているわけだ。
列車無線その4 : 商用通信サービスの活用
空間波無線、誘導無線、漏洩同軸ケーブルのいずれも、鉄道事業者が自前で無線設備を用意して運用するものだが、それとは別に、一般の通信サービスを利用する事例も出てきている。
最近、運転台背後の窓に「運行状況確認などのため、乗務員が業務用携帯電話を使用することがあります」という趣旨の断り書きを掲出している事例が多くなってきた。これでお分かりの通り、携帯電話を連絡用として支給している事例がある。そこで「乗務員が運転中に携帯電話で私用通話をしている」なんていうクレームがつかないように断り書きを出す羽目になったのだろうが、世知辛い話である。
ともあれ、既存の移動体通信サービスを利用する方法であれば、いちいち自前の基地局を設置しなくても済むし、サービスエリア内ならたいていは利用可能だ。そして、指令所と乗務員が連絡する場面だけでなく、それ以外の用途にも利用できる利点もある。モノは市販の携帯電話と同じだから、意図的に制限をかけなければ、他の携帯電話とも一般の加入電話回線とも通話できて柔軟性が高い。
変わったところでは、衛星携帯電話を利用している事例もある。「大海原に乗り出す船ならいざ知らず、日本国内の地上を走っている鉄道でどうして」と考えそうになるが、山間部を走っている路線では、地上の基地局に頼るよりも頭上の通信衛星に頼る方が確実だし、しかも自前の設備を持たなくて済む利点は無視できない。
具体的な衛星携帯電話の導入事例としては、JR東日本の花輪線、只見線、久留里線が挙げられる。いずれも、先頭車両の屋根上にドーム型のアンテナを載せており、運転台に端末機を設置しているので、容易に識別できる。
列車無線のこぼれ話
どの方式であれ、自社で使用している列車無線の方式に合わせた機材を車両に搭載すれば済むのが通例だが、相互乗り入れによって他社線に乗り入れる場合は話が違う。
空間波無線を使用している都市郊外の民鉄線が、誘導無線を使用している都心部の地下鉄と相互乗り入れを行う場合には、民鉄線の車両は誘導無線装置を追設しなければならないし、地下鉄の車両は空間波無線装置を追設しなければならない。無線装置だけでなく、信号保安装置(これについては別途、取り上げる機会があるかも知れない)も同様で、両方に対応できるように複数種の機器を搭載する必要がある。
大変なのは、地下鉄が両端でそれぞれ異なる会社と相互乗り入れを行っている場合である。そこで運用する車両は、すべての路線に対応するために列車無線も信号保安装置も3種類ずつ搭載しなければならない、なんていうことも起きるから大変だ。
また、同じ事業者でも路線や地域によって異なる種類の列車無線を使用していて、いずれにも対応できるように複数の機器を搭載している事例もある。搭載する機器が増えれば、運転室や床下は窮屈になる一方だ。
執筆者紹介
井上孝司
IT分野から鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野に進出して著述活動を展開中のテクニカルライター。マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。「戦うコンピュータ2011」(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて「軍事研究」「丸」「Jwings」「エアワールド」「新幹線EX」などに寄稿しているほか、最新刊「現代ミリタリー・ロジスティクス入門」(潮書房光人社)がある。