写真集は、写真の並べ方を大きく分けて、「ストーリー型」、「図鑑型」、「群写真型」の3つに分けることができると、飯沢はいう。どのようなタイプで作られているかを知ることは、写真集を読み取るヒントになるだろう。テーマ「写真集」の2回目は、写真の並べ方による分類を解説していただいた。

写真で物語りを綴る ストーリー型

「ストーリー型」の典型は、オランダのエド・ファン・デル・エルスケンが1956年に刊行した『セーヌ左岸の恋』(Liebe in saint Germain des Pres、英タイトルはLove on the Left Bank)や、1955年1月にニューヨーク近代美術館で開催された「The Family of Man」展をまとめた同名写真集『ザ・ファミリー・オブ・マン』が挙げられるね。ストーリー型は、写真を並べることで1つ、あるいは複数の物語が見えてくる方法なんだ。1枚1枚の写真は物語の一部分になる。そのため写真の大きさは、必要に応じて大きくなったり小さくなったり伸び縮みする。キャプションやテキストも入ってきて、言葉と写真の組合せで物語が進んでいくという特徴も持っている。

例えば、エルスケンの『セーヌ左岸の恋』は、彼がオランダからパリに来て、セーヌ左岸のサン・ジェルマン・デ・プレにあるカフェで出会った作家、画家、音楽家などの卵を写した写真をまとめたもの。その写真の中で、絵描きの卵のアンと、メキシコから来た若者のマニュエルという架空の人物を登場させて、恋物語を綴っていく。その恋物語を軸に写真を並べていくんだね。アンとマニュエルは架空の名前だけど、彼らはエルスケンのカメラの前にいたことは間違いない。つまり、物語の体裁をとったドキュメンタリーといってもいいだろう。それをエルスケンは、ドラマとドキュメンタリーが一体化した「ドキュドラマ」と呼んでいた。アンという名前はフィクションだけど、この女性は実際に絵を描いている。この部分はノンフィクションなんだ。どのようにフィクションとノンフィクションを混ぜ合わせるかは、写真家の演出力と構成力の腕に関わってくるね。

『ザ・ファミリー・オブ・マン』は、同名の展示の写真集で、68カ国の200人以上の作家の503枚の写真から、エドワード・スタイケンというニューヨーク近代美術館のディレクターが1冊の写真集にまとめ上げたもの。最初は「誕生」をテーマにした写真から始まり、ページをめくるにつれて「生の苦しみ」のような写真が続いていく。最後にユージン・スミスの写真「楽園への道」が配置され、生や希望の世界を表現して終了している。この写真集は、いろんな写真家たちの写真を使って、1つの物語を作りあげるという実験でもある。編集者の力がとても強くでている写真集だね。

エド・ファン・デル・エルスケン 『セーヌ左岸の恋』より

エドワード・スタイケン 『ザ・ファミリー・オブ・マン』より

ストーリー型の天才 荒木経惟 『センチメンタルな旅』

写真を撮るだけでなく、どう編集をしていくかがストーリー型の作家の力量が問われる。そういう意味では、日本の写真家なら荒木経惟が抜群に上手い。1971年に1000部限定で自費出版された『センチメンタルな旅』は、彼の新婚旅行の記録というドキュメンタリーには違いない。しかしそこには、生から死の世界へ移り、生の世界に戻るという物語があるんだ。そのため実際にあった旅行の順序とは違う順番で写真を並べ替えている。具体的に言うと、写真集を見ると川下りの後に、旅館での情事の写真がくるんだけど、実際は旅館に泊まった後、川下りをしているのね。つまり、生の世界(旅の始まり)から死の世界(川下り)、そして生の世界へ戻る「儀式」として情事の写真を入れている。そのような操作によって、『センチメンタルな旅』という物語が成立しているんだ。その辺りは荒木の才能だよね。

また『センチメンタルな旅』は、1991年に『センチメンタルな旅・冬の旅』として、再構成されて新潮社から刊行されている。これは『センチメンタルな旅』に、荒木の愛妻、陽子が子宮癌で入院し、闘病の果てに遂に死を迎える前後を日付入りのコンパクトカメラで撮影した『冬の旅』のパートを加えたもので、別の物語が編み込まれているんだ。『冬の旅』のパートに、病院までの道のりにある「黒猫を抱いた少女の看板」の写真が繰り返し出てくるんだけど、読者は最初、何気ないスナップショットとして見ている。しかし陽子の病が重くなるにつれてその写真の意味が変わってきて、不吉な「死の天使」のように思えてくるんだ。単純なドキュメンタリーではなくて、全部で5回出てくる「黒猫を抱いた少女」の写真を挟み込むことで、読者を物語の世界へ引き込んでいく工夫がされている。そのような操作により『センチメンタルな旅・冬の旅』は、荒木と陽子夫人だけの出来事の記録ではなくて、読者みんなで共有できる普遍的な物語になっていく。物語を共有する感覚は、エルスケンの『セーヌ左岸の恋』でも、スタイケンの『ザ・ファミリー・オブ・マン』でも言えることだけど、とても大事なことなんだ。

荒木経惟 『センチメンタルな旅・冬の旅』より

写真を等価に扱う 図鑑型

写真にはいろんな見方や可能性があって、いろいろな方向へ見る者の関心を広げていくことができるメディアだ。それなのにあまりにも物語を作り込み、写真の見方を鋳型にはめてしまう「ストーリー型」は読者を縛りつけてしまうのではないか? という気運が60年代後半ぐらいから広がっていく。写真に優劣をつけず等価に扱うという考え方は中平卓馬などが打ち出していくんだけど、これは多くの写真家たちに影響を与えた。その頃から1点1点の写真を、意味づけたり価値づけたりしないで、淡々とページに並べていく「図鑑型」の写真集が出はじめるんだ。

1970年にアメリカ在住の日本写真家ケン・オハラ(小原健)が刊行した『ONE』がある。この写真集は図鑑型写真集の典型だね。『ONE』は、表紙から裏表紙までの全ページにニューヨーク周辺の500人の"顔"を並べたもの。顔の写真といっても、肖像写真とは違い、輪郭の部分で切り落とされていて並列にレイアウトされているんだ。白人、黒人、東洋人、さらに老若男女の枠を超えて「人間」という共通項が出てくる不思議さがある。とにかく見ていて面白い。ここまで徹底して並べられると、怖いような気持ち悪いような気がするし、「人間ってなんなんだろう」と考えさせられてしまう。

やはり60年代後半以降に、ドイツではベッヒャー夫妻が「タイポロジー(類似性)」という考え方で、同じような条件で撮影し、同じように並べていく手法で展覧会を行なったり、写真集を出したりしている。タイポロジーとは、微妙な違いのある被写体を同じレイアウトで比べることによって、違いが見えてくるという考え方なんだ。図鑑型の並べ方は、このベッヒャー派のタイポロジーの考え方にも基づいている。タイポロジーの考え方は、日本を含めた90年代以降の現代写真の主流となる。そうなると、自然に図鑑型の写真集が増えてくるようになるんだ。

ただ僕は、最近の写真集に図鑑型が多いことにはやや懐疑的なんだ。大事な写真があったら大きく扱う、キャプションやテキストも積極的に使うなど自由さをもっと追求して良いと思う。写真をシステマティックに均等に扱うという傾向は、今の時代ではかえって不自由。写真が持っている可能性をどうやったら引き出せるか、写真家やデザイナーはもっと考えた方がいいと思うね。

ケン・オハラ 『ONE』より

ベルント&ヒラ・ベッヒャー夫妻 『WATER TOWERS』より

塊で見えてくる写真の強さ 群写真型

「群写真型」とは、1956年にウィリアム・クラインが発表した『ニューヨーク』(New York)に代表される方法論で、スナップショットの写真集でよく使われる形。ストーリー型と図鑑型の中間の折衷型とも取れるけど、ストーリー型のように一貫した物語はなくて、ぶつぶつと途切れてしまうような要素が連なって、ひとつの塊として見えてくるタイプの写真集だ。

『ニューヨーク』は、クラインがニューヨークのストリート・シーンのスナップショットを、ひしめき合うように並べた写真集なんだ。スナップを撮る人ならわかると思うけど、街に出かけると何に出会うかわからないでしょう。その"何が起こるかわからない"というスナップのあり方を写真集にも当てはめたんだ。そのためページをめくると、次のページには予想外のものが配置されていたり、写真の配置も余白などバラバラで、写真の大きさも大小伸び縮みしたりして、読者は予想を裏切られるんだ。『ニューヨーク』を見ると、普通では考えられない、まるで素人のレイアウトのような写真の配置になっている。それをクラインはわざとやっているんだ。普通のデザイナーなら絶対やらないようなことをあえてやって、その時代のニューヨークが持っている暴力性やエネルギーを表現している。また、当時は失敗写真と言われていた「アレ・ブレ・ボケ」と呼ばれる荒々しいプリントを使うことで、ニューヨークのイメージをいっそう強める役割を果たしている。『ニューヨーク』の方法論は、たくさんの写真家にショックと影響を与えたんだ。日本の写真家でいえば、森山大道に与えた影響は決定的だったね。

以上、3種類が写真集の代表的なスタイル。ただ多くの写真集は、これらの要素を組み合わせた折衷型だと思う。写真集を見るときに、いちいちどのタイプに属するのかを考える必要はない。だけど、それぞれのタイプに応じて写真集の見方が変わってくるのも確かなんだ。物語の流れに没頭していくストーリー型、個々の写真の差異と共通性を比較して読み進めていく図鑑型、写真のエネルギーを浴びるように受け止めていく群写真型。写真を見るときに、タイプの分類を知っていくと、写真を見るときに少しは役立つんじゃないのかな。

ウィリアム・クライン 『ニューヨーク』より

森山大道 『にっぽん劇場写真帖』より

飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)

写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程 修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。

まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)