人がものを買う理由……それは単に欲しいから
マーケティングの世界にはこんな寓話があります。
「ある日、世界中から衝動買いがなくなったら、翌朝、経済は破綻している」
消費は理論的に行われるものではなく、衝動的に湧き上がる「欲しい」という欲求により支配されているということです。スーパーマーケットのレジ脇に置かれたガムや、立ち食いそば屋のカウンターに並ぶおにぎりやゆで卵が「ついで買い」される事実がそれを物語ります。
ところが、ここに「ニーズ」という言葉を当て込むと迷宮に迷い込んでしまいます。なぜなら、一般的にニーズとは需要や欲求がある状態を示しますが、そのほとんどが「結果論」による解説だからです。いわば「後付け」です。
例えば、任天堂の家庭用ゲーム機「Wii」のヒットを「複雑になりすぎたテレビゲームに対して、誰でも遊べるというコンセプトにニーズが集まった」と理由付ける説がありますが、発売当時はPS3に代表される「高画質映像」にニーズがあると見られていました。そのため、Wiiには冷ややかな視線が送られていたのです。ところが、ヒットによって懸念は一掃され、さまざまな「ニーズ」が量産されました。
人は欲しいから買います。そこに深い理由がある場合のほうが少ないのです。そして、何より「後付けのニーズ」はトラブルのタネとなります。
ケチケチ大作戦は経営戦略の柱
全国チェーンの有名店が進出してくると、個人商店が壊滅的な被害を受けるのはどの業界でも同じです。そうしたなか、意外にも健闘しているのが「レンタルビデオ店」です。かつての栄華は望むべくもありませんが、生き残っている個人店舗はまだまだあります。K社長もその1人。郊外で数店舗のレンタルビデオ店を経営しています。
レンタルビデオ店の生き残りのカギは「仕入れ」です。どの作品を何本入荷するかが売上を決めます。生き残っている小規模なレンタルビデオ店は、チェーン店が取り扱わない「マニアな作品」や「コダワリの映画」といったニーズを汲み取ることで客の支持を得ます。
仕入れによる他店との差別化の次はコストダウンです。コピー用紙は裏面まで使い、不要な電気を消すのは当然として、2本ペアの蛍光灯は1本だけが寂しげに光り、来客にお茶を出す習慣は創業以来ありません。物品の購入は1円単位のロスでも社員を叱責します。「顧客のニーズをとらえ、コストダウンを遂行することが経営戦略」と、K社長は豪語します。
社員のためという名目の下のハイテクの巣窟
レンタルビデオ店において防犯対策は欠かせません。中身の入っていない「ダミーパッケージ」によって万引き被害を減らすことはできても、深夜営業をしていれば強盗対策も必要です(といっても、パッケージが万引きされることもあり、その補充が余計な手間であることに変わりはありません)。
そこで、従業員の出入口に防犯カメラをつけるよう、K社長は指示を出します。防犯対策をとっているという姿勢をアピールすることが、最も効果的な抑止力となるからです。
セキュリティ担当の社員がネットで検索すると1万円以下の無線LAN対応ネットワークカメラを見つけました。配線は不要で、PCから映像を確認できるので、新たにモニターや録画機器を購入する必要がありません。しかし、これをK社長に進言した社員は目が点になりました。
「もう、買ってあるから」
十数万円のネットワークカメラを購入しているので、それを使えという指示です。この手回しの良さが、社内のニーズを汲み上げての行動なら「0.2」として紹介しません。
すべては社員のニーズにこたえるために購入
K社長のデスクには、最新のノートPC、ネットブック、手前にはiPhoneが転がっています。社長の激務を支える良き相棒……ではありません。使いこなすどころか、設定すらできません。K社長は「欲しい」と思ったら必ず購入します。そして理由を後付けします。
「処理能力の高いノートPCを手に入れれば、作業指示を早く出せるようになる」、「ネットブックを使うことで、どこにいてもスタッフとコミュニケーションがとれる」、iPhoneはその進化形です。つまりは「社員のため」というのが、K社長が考えた後付けのニーズです。
自分が欲しいものはとりあえず購入し、後付けでニーズを考える「ニーズ0.2」。マニアな作品の品揃えがよかったのも、自分がそれらを見たかったことが入荷の最大の動機であり、結果的としてそれがうまく転んだにすぎません。ただし、これだけなら「0.2」とまでは言えません。問題は「社員のニーズ」に責任を転嫁するところです。
ノートPCやiPhoneは「社員との連絡手段」となり、ネットワークカメラも買ってから「防犯」という理由を後付けします。すると、決算のたびに高額な購入を行った部署の担当者を呼び出し、コストダウンを理由にイヤミを並べるのです。自分で買った余計なモノは棚上げにし、「社員のニーズにこたえたにすぎない」と記憶が上書きされているからです。ニーズを盾にされるので反論も難しく、社員にとっては迷惑な話です。もっとも、巷間騙られる「ニーズ論」もこうした「記憶の上書き」であることが多いのですが。
冒頭に例としてあげたWiiのヒットについては、私にも一家言があります。それは「Wii Fit」の勝利です。Wii Fitとは体重を計り運動に使えるエクササイズ用のコントローラーですが、ゲームをしながらシェイプアップができるかもという「言い訳」が、衝動買いの背中を押したのではないかという見立てです。
しかし、シェイプアップに最も大切なことは、「立ち食いそば屋で「おいなりさん」に手を伸ばしてしまう衝動を抑えること」と、ホコリを被ったWiiを横目に筆を置きます。
エンタープライズ1.0への箴言
「後付けのニーズ論はご都合主義の恋愛小説と同じ」
宮脇 睦 (みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。
筆者ブログ「マスコミでは言えないこと<イザ!支社>」、ツイッターのアカウントは