デジタルハリウッド大学大学院教授、ヒットコンテンツ研究所の吉田就彦です。このコラム「吉田就彦の『ヒットの裏には「人」がいる』」では、さまざまなヒットの裏にいるビジネス・プロデューサーなどの「人」に注目して、ビジネスの仕掛け方やアイデア、発想の仕方などを通じて、現代のヒット事例を分析していくコラムです。

第9回目のテーマは、エヴァンジェリストという存在‐スティーブ・ジョブズの戦略的広報

みなさんは、「エヴァンジェリスト」という存在をご存知でしょうか? 辞書によると英語でevangelistとは(福音)伝道者という意味で、キリスト教の教えを説いてまわる伝道師のことです。そのような「エヴァンジェリスト」という人の存在を、企業メッセージに有効に使っている業界にIT業界があります。

このコラムの1回目にTwitterの伝道者として紹介したデジタルガレージ取締役の伊藤穣一さんは、日本にインターネットが上陸してきたときに「インターネットのエヴァンジェリスト」としてよくマスコミなどで紹介されていました。インターネットというこれまでにまったくなかった新しいコミュニケーション手段を日本に普及していく人という意味です。

このように、ITの世界では、技術の進歩によってこれまでになかったサービスや新しいデバイスがどんどん作られていくので、単なる説明者ということではなくエヴァンジェリストという存在が必要になったのでしょう。機能的なことを説明して、そのサービスやデバイスの良さをアピールするという通常の商品説明のようなメッセージだけでは、当時ITはなかなか理解してもらえなかったので、その考え方や波及イメージの拡がりなど、それこそまるで宗教を伝道して行くような形で、世の中にメッセージしていかなければなかなか浸透しなかったのです。

インターネットという概念は、双方向性があって、世界中に繋がっていて、個人が発信するメディアで……と表現してもなかなか捉えどころがなく、その開発背景や未来への可能性、社会に与えるインパクトなどの総合的な存在意味を示さない限り、理解させにくいものであったと思います。

先日、日本でもようやく発売されて、今や新しいデバイスとしての話題を独占しているiPadですが、この人気は、音楽や映像を楽しめるiPodの大ヒットの後、スマートフォンのiPhoneにより数々のアプリケーションをダウンロードして活用する習慣ができて、その延長線上にある機器として注目を集めました。未来のPCの姿とでもいえるような新しいデバイスiPadは、電子出版への注目を起爆剤に、大いに注目されています。そのムーブメントを支えたのが、直近のiPhoneの成功です。

実は、そのiPhoneのエヴァンジェリストとしてAppleから認められている人物が日本にふたりいます。一人は、ソフトバンクモバイルの中山五輪男さんです。マーケティング本部事業推進統括部の中山さんの名刺の肩書には、シニアエヴァンジェリストと書かれているように、まさにエヴァンジェリストのお仕事をなさっているのです。そして、もう一人は、ご存じソフトバンクの社長である孫正義さんです。さすがに孫さんは名刺にはエヴァンジェリストの肩書きをお使いではないと思いますが、中山さんとともにAppleからiPhoneのことを広報してよいと認定されているiPhoneエヴァンジェリストなのです。

そのiPhoneを販売しているAppleは、スティーブ・ジョブズのワンマン的な経営で有名ですが、ジョブズ本人を使ったその情報管理とアナウンスの仕掛けの巧みさがマーケティング的に上手いことでも有名です。大きなIT系のイベントで、ジョブズ自らが広告塔となって新商品を発表して行くやり方は、次にAppleは何をやるのかという期待感を世の中に抱かせ、その期待感をうまく利用して、たくさんの人にブログを書かせたり、その優れた発表プレゼンの模様をイベント化して、パブリシティとしてきました。そのジョブズ発言は、マスメディアやAppleのファン達が新製品の情報を入手するための唯一の方法としてますます注目されることになりました。

スティーブ・ジョブズ神の交渉力」(経済界刊)を書いた竹内一正氏は、本の中でAppleがジョブズの追放後、業績不振にあえいだ理由のひとつに社内情報の管理不足があったと指摘しています。そして、ジョブズが復帰して、情報管理の仕方を改めることで、社内の情報漏えいを防いだことが書かれています。ジョブズは、広報の同席なしにマスコミ関係者と話してはいけないという新しいAppleのルールを作ったのです。情報漏れは、内部結束を弱め、企業を弱体化させて、敵に利するだけという考え方をジョブズは持っていたようなのです。

そして、そのようなやり方の先に、ジョブズは企業にとっての情報の有効な出し方を習得しました。ダムに貯めた水はその量が多ければ多いほど、放水したときに大きなパワーを出すわけで、そのように一気に情報を出すことが、いかに有効で、しかもマーケティング予算を安く抑えることができるかということをジョブズは体得したのです。

そんなAppleから日本におけるiPhoneのエヴァンジェリストとして認められているのが中山さんというわけです、中山さんに求められる仕事の重要性がいかに大きいかがわかります。

このように、エヴァンジェリストという人の仕事の意味は、ひとつにはなかなか伝えきれない複雑な商品の良さを、専任的に伝える人を特定することで、有効で正確にメッセージすることができるということです。それはまるで宗教を布教していくようなものなので、エヴァンジェリストという言葉は適切と言えます。それも、今の時代ではITだけに拘わらず他のさまざまな商品のマーケティングにストーリーマーケティグが導入されていることもあり、まさにエヴァンジェリスト的な複雑なメッセージ力が問われていきます。

また、そのエヴァンジェリスト限定でメッセージしていくという手法は、ジョブズに表れるように情報を寡占化して、情報の出所を集約することによって効果的に世の中にメッセージできるということを狙っている戦略です。

ブログやTwitterなど、ソーシャルメディアが台頭していくこれからの時代では、正確かつ有効な企業メッセージはより重要になり、Appleの商品戦略と同時に、ジョブズのマーケティング戦略にも学ぶべきことは多いのです。

執筆者プロフィール

吉田就彦 YOSHIDA Narihiko

ヒットコンテンツ研究所 代表取締役社長。ポニーキャニオンにて、音楽、映画、ビデオ、ゲーム、マルチメディアなどの制作、宣伝業務に20年間従事。「チェッカーズ」や「だんご3兄弟」のヒットを生む。退職後ネットベンチャーのデジタルガレージ 取締役副社長に転職。現在はデジタル関連のコンサルティングを行なっているかたわら、デジタルハリウッド大学大学院教授として人材教育にも携わっている。ヒットコンテンツブログ更新中。著書に『ヒット学─コンテンツ・ビジネスに学ぶ6つのヒット法則』(ダイヤモンド社)、『アイデアをカタチにする仕事術 - ビジネス・プロデューサーの7つの能力』(東洋経済新報社)など。テレビ東京の経済ドキュメント番組「時創人」では番組ナビゲーターを務めた。

「ビジネス・プロデューサーの7つの能力」とは…

アイデアをカタチにする仕事術として、「デジタル化」「フラット化」「ブローバル化」の時代のビジネス・スタイルでは、ビジョンを「0-1創造」し、自らが個として自立して、周りを巻き込んで様々なビジネス要素を「融合」し、そのビジョンを「1-100実現」する「プロデュース力」が求められる。その「プロデュース力」は、「発見力」「理解力」「目標力」「組織力」「働きかけ力」「柔軟力」「完結力」の7つの能力により構成される。

「ヒット学」とは…

「ヒット学」では、ヒットの要因を「時代のニーズ」「企画」「マーケティング」「製作」「デリバリー」の5要因とそれを構成する「必然性」「欲求充足」「タイミング」「サービス度」などの20の要因キーワードで分析。その要因を基に「ミスマッチのコラボレーション」など、6つのヒット法則によりヒットのメカニズムを説明している。プロデューサーが「人」と「ヒットの芽(ヒット・シグナル)」を「ビジネス・プロデューサーの7つの能力」によりマネージして、上記要因や法則を組み合わせてヒットを生み出す。