テレビの初レギュラー番組がゴールデンタイムなんて、今考えたらすごい!(笑)。ただし、裏番組はフジテレビの『あすなろ白書』だったかな。それなもので視聴率もゴールデンではありえないぐらい低かった。レギュラーメンバーも、元自民党のハマコーさんやアホの坂田さん、キャイーンのお二方、司会はダチョウ倶楽部さんと有賀さつきさん。とにかくいろんな方々が出演されてました。その中で数名、私のようにパープリンの「P」トレーナーを着た子たちも一緒に着席。
当時、テリー伊藤さんがおっしゃってました。
「この番組が売れたら、お前達もグループでデビューできるぞ」みたいなことを。
内心「やったぁ。パープリントレーナー着てデビューかぁ、嬉しい!」
そう思ってました(笑)。視聴率は低いと言っても、とても面白い番組で、楽しんでお仕事させていただきました。あるときは、生徒の桜金造さんと私と、「あごいさむのあごはどうして長いのか?」を調べに某有名美容整形に取材に行って調べたりしました。私のあごと、あごいさむさんのあごをレントゲン撮影して比べたり……。
結局なんでもないんですけど、くだらないこと、誰も調べないようなことを本気で調べたり挑戦する番組でした。あのときは、そんなオトナの、しかも芸能人のおじさんと現場で「お仕事なんて緊張するなぁ、金造さんてコワそうだし」なんて思っていたのですが、
金造さん「おねぇちゃん、お菓子とか、なにか飲み物とか買っておいで」とかなんとか、ちゃんとした会話は覚えていませんが、お金を頂き、お菓子だったか、アイスだったかを買いに行った記憶があります。スタッフが足りない現場で、気を利かせてくれて、そう言ってくれたんですね。ある意味AD代わりでしたけど、そうやって声をかけてくれたのが嬉しかったですね。
結局、この番組はず~っと続くだろうなんて思っていたのですが、ゲストで来た方が全裸で登場し、局側ももう耐えられないということで? 1クール(3カ月)で終了となり、幻の番組になりました(笑)。
そんな感じでお仕事もしつつ、オーディションへも行きました。歌のオーディションも事務所に入ってからすぐにありました。モデルとしてはB級でも、歌なら負けないでしょう!
なんて思っていたら、やはりどのレコード会社のオーディションへ行っても最終選考まで残り、最後のひとりになれるのです。
「なぁんだ! デビューって簡単じゃん!!」
そんな風に思っていたのですが、結局どこからもデビューできない。世の中そんなにあまくありませんでした。とはいっても、最終選考で残って、担当ディレクターに気に入られ、「じゃあ育ててみよう」とおっしゃってくれたレコード会社があり、レッスンが始まりました。
雑誌『Fine』(日之出出版刊)でモデルをしていたころ |
週1回のレッスン、オーディション。オーディションに受かればお仕事。コギャルのはしりのようだった私のモデル仕事にぴったりだったのが、雑誌『Fine』(日之出出版刊)。サーファーやストリートファッションの雑誌モデルなどのお仕事をさせていただきました。ところが当時の先輩モデルの中にはいじわるな方もいたりして、
先輩A「由美ちゃん、『Fine』見たよ! 可愛かったよ」なんて、たまたまオーディションの時に言われると、すかさず
先輩B「えぇ~!! 『Fine』とかって、モデルとか使うんだぁ!? みんな素人じゃん」
私「……」
そんなこともありましたが、一緒のレギュラーにならなければモデル同士で頻繁に会うこともないので、嫌な思いをするのは稀でしたね。あの頃の私のお仕事といえば、身長もモデルとしては低かったので、テレビのお仕事が多かったなぁって思います。CMのお仕事もさせていただきました。東京電力の「電気は大切にね」ってデン子ちゃんが最後に出てくるCMで、電気を無駄使いしているOL役や、クーラー使い放題の新婚カップルの新妻役だとか(笑)、「日清ラ王」の夏限定CMではアナウンサー役で、天気図を説明している間に、ラ王が接近してきて吹き飛ばされる役とかもありました。
あ! 地方CMでは元おニャン子さんと、元桜っ子さんの先輩方々と一緒になったことがあり、いじめられた覚えが……「あなた誰?」って感じで。
さぁ、そんなこんなで色々お仕事もしてきた中で、大きなオーディションに受かる日がやってきました。デビューする何年も前のお話。民放の土曜0時のレギュラー司会!! これまたすごいですよ。当時のライバル番組が『ねるとん紅鯨団』『DAISUKI!』など。そんな土曜の時間帯でレギュラーなんて、今考えてみてもすごい。
でも、そこまでいくのもすごかった(笑)。まず、その番組よりも敷居の低いオーディションにさえ呼ばれることのなかった私。たまたま局へ行って、深夜番組に出てくる女の子のオーディションを知ってショックを受ける。受けたかったのに、オーディションに呼ばれることもなかったなんて!
その直後に番組司会のオーディションがやってきました。私のレベルが上がったのではなく、オーディションの門戸が広かったのです。書類選考で通った何百人という人たちがそこにいました。驚いたのが、モデルだけではなく、タレントさんや、テレビで活躍されてる方もいたんですよ。うちの事務所だけでも何十名かは受けに来ていました。まず書類選考のあと、一次オーディションは20~30名ずつ審査員の前に並び、質疑応答。
そのときにやりましたよ私、テレビ司会のオーディションで
「私は歌手になりたいので、このお仕事で勉強させていただき、歌へのステップアップになればと思ってます。ではぁ、そんな感じで、今日の私の気持ちを歌にしたので聞いてくださいっ!
らららぁ~」
どんな歌詞だったか、まったく覚えていませんが(おそろしくて思い出したくもないですが……)、誰かの曲に適当に歌詞をつけて歌った私。他、有名モデルやタレントさん、テレビプロデューサー、脚本家、とにかくたくさんの人たちの中で、B級モデルが歌っちゃった。
ところが後日、二次もクリアし、三次オーディションへも参加出来ることに。ちなみにモデルさんっていうのは、マネージャーが同伴せず、ひとりで仕事やオーディションに行きます(売れっ子以外は)。モデル事務所はある意味「職業案内所」。受かれば派遣で行ってきてくださいという感じ。例に漏れず私も「東京23区の地図帳」を持って場所を探し、オーディション会場へ。
同じ事務所でも、売れてる子や、タレントさんはマネージャー同伴で楽しく会話中。私はしゃべる人もなく、23区の地図を握り締めながらオーディションを待つ。ところが運がいいことに10名ずつのオーディションで、10番目が私。三次オーディションでは、当時テレビ朝日のアナウンサーだった高井正憲さんと一緒に並んで掛け合いオーディション。テレ朝のアナウンサーの中で一番エラいおじさん(?)とニュース番組のようにしてお話するなんて、みんな緊張気味でした。
私は緊張しながらも、みんなのオーディションを見ながら、自分は何をしゃべろうなどと考えていました。でも考えてもわからない。ならば、もう会うこともないし、やりたい放題で帰ろう~っと、そんな風にして受けてきたのです。
結果は合格し、四次オーディションへ。四次はもう数名しか残っておらず、その中のひとりがレギュラー司会に抜擢されるのです。そんなとき、約2,000人が所属しているうちの事務所の社長から
「誰だぁ?! うちのタレントとか、売れっ子を差し置いて敷居の低いモデル部から最終オーディションに残った子はぁ~?」
と声がかかり、最終に行く前に事務所に呼ばれました。私も社長に会うのはそのときが初めて。
当時、社長から「君はなんで最終に残ったのかね?」みたいなことを聞かれました。「なんで残ったかは私が知りたいです」とは言えませんでしたが、社長にもお会いできて、敷居の低いモデル部からも可能性はあるんだな、と思ってもらえたことが何より嬉しかったですね。元おニャン子にも、桜っ子にも、有名な子にも負けないぞって(笑)。
そしてついに四次オーディションにも合格。土曜0時の『音楽ニュースHO』という番組を高井アナウンサーとふたりでスタートすることに! 「やったぁ! レギュラー司会だわ!」なんて浮かれるのもつかの間、またしても世の中はそんなにあまくなかった。ド素人のような女の子が、いきなり番組の司会をやれと言われてもおどおどするばかり。しかも音楽をニュース形式で放送する番組……ってことはコギャルの私もアナウンサー?
極めつけは番組関係者に「うちは音楽番組っていってもニュース形式だからね、くれぐれもアホな子に見えないように!」
そう言われた瞬間からしゃべれなくなってしまったのです。これからスタートするところなのに。今までノリと勢いだけで来たのに、どうしよう。しかもゲストでいらっしゃるアーティストの方は大物ばかり。
第1回目のゲストは元YMOの高橋幸宏さん。私がゲストの方からいろいろ聞き出さなくてはいけないのに、アナウンサーのように流暢にしゃべれるわけもなく、口が開いたまま緊張。ニュース原稿を読むシーンでは、前日に原稿を暗記するぐらい読んできたにもかかわらず、頭真っ白。原稿を読みながら、カメラを見ると言葉が止まり、カメラから原稿に目を移すと、顔がカメラに上げられない。スタッフの方は50名はいたでしょうか。夕方に撮り終わるはずが、私のNGで22時すぎに終了。
現場では「おつかれさまでしたぁ~!」と帰ってきても、帰る道すがらスタッフの方に申し訳ないと思い、悔しさのあまり毎回泣いていました。あまりにも原稿が読めないので、原稿があがった段階で特別に局へ行き、プロデューサーたちと本読み。もうすでに萎縮している私は原稿を読む声もか細く、「英語の発音で思いっきり外国人みたいにしゃべって! 」と言われても、英語の発音も微妙でダサい。萎縮してしゃべるともっとダサい。
これではまずいということで当時、事務所の常務が直々に私を連れてニッポン放送に連れていき、しゃべり方の勉強。が、ニッポン放送のプロデューサーから
「君のしゃべり方は変ではないし、大丈夫だよ。もし、もっとちゃんとしゃべれる人を使いたいなら本当のアナウンサーを使うはずだから、君らしくお仕事すればいいよ」
と言ってくださいました。
しかし、このあとにとんでもない事件が!?(次週に続く)
第3回目に引き続き、可愛いカットを撮ってみました |