2011年も始まったばかりかと思っていましたが、なんだかあっという間に1月も終わりましたね。この1年半くらいはゆっくりのんびりさせていただきましたが、今年は1月からブラジルにてライブ活動で幕開けと嬉しい限り♪ 念願のおウチミュージックなミニアルバム「birth」も2月12日のライブで発売になっちゃうなど、急にいろいろとやり出しています。

このコラムの音楽サバイバル論のお話で、ユイ音楽工房の後藤さんやキティの多賀さんなど、今思えば貴重な10代に、これまた貴重な経験をさせてもらっていたんだなあと改めて感じています。そもそも、なんでそんな音楽業界の歴史を創ってしまうような凄い方々に出逢っていたのでしょう? って気になりますよね。私も書いてて気になりました(笑)。

普通だったら絶対出逢わないですもの。私は18歳のころにスペースクラフトグループのモデル事務所に所属し、その後すぐに「歌手」へのオーディションが入りました。モデル事務所に所属するときに「将来は何になりたいですか?」と質問され、「歌手になりたいでっす」と即答していました。

当時はモデルから歌手になるというものが流行っていて、ZARDに続け! とばかりにモデル事務所に歌のオーディションが入ってきていたようです。そりゃあそうですよね、顔も美しく体もバランスがとれていて、さらに歌が上手い子がいれば即戦力になる! って感じだったようです。

そんななかで当時受けたレコード会社のオーディションは、どれも最後のひとりに選ばれて(見た目は別として)、それでも結局は「ん~~~、2~3年前ならすぐデビューできたんだけどねえ」みたいなことを言われたり、どれも最終の「即戦力」には届かず、いくつかのレコード会社ではデモテープ制作をやってもらったりしていました。

今みたいに自宅で簡単に歌ってデモテープ、という感じではなく、それこそレコード会社が持っているスタジオなどでエンジニアさん、ディレクターさんなどがいるなかで「なかなかこんなスタジオでレコーディングできないんだぞ」っていうぐらい特別なものでした。

だからこそ、デビューする前からそんなデモテープを作ってもらえるということが、とても貴重でした。それで多賀さんと出逢い、自宅に呼んでいただいて、ご飯までご馳走になったのは、やはり最初はオーディションだったのではないかと思います。確かキティのオーディションのときには、うちの事務所から100人以上のモデルが当日集められ、20人ずつスタジオに入り、歌のオーディション。

そしてその100名以上の中から、当日選考で選ばれた20人だけが残り、再度歌&ダンスのオーディションがあったのを記憶しています。私はまったくと言っていいほどダンスはできず、みんながくねくね審査委員の前で踊っているなか、呆然と小さいステップを踏んでいました。それでも結局、最後のひとりになっていたということは、ダンスはあんまり関係なかったんではないかと(笑)。

そんなわけで、キティでもデモレコーディングをさせてもらい、当時のヒットナンバーである中西保志さんの「最後の雨」を歌いました。プロが使用するスタジオで緊張し、男性ボーカルものなのでKeyもどの辺りなのかよくわからず、どきどきしながら微妙にヘタっぴな感じでレコーディングされていたと思い出します。

なぜ私が多賀さんの家におじゃまし、ご飯をご馳走になったのか、経緯はあまり覚えていないのですが、やはり女性的とかそういうものでなく、思いっきり「この子はなんだか面白い」という理由での招待でした。ほかにもいろんな方がいらっしゃってましたが、私は"面白い子"としてだったようです。

そして、ちょうどこのコラムが更新されている瞬間、私はブラジルにいます♪ なんとビザを申請したのは出発数日前(笑)。さすがブラジル! こちらが「間に合うの?!」と焦ってしまうくらいでしたが、なんとか申請できました。帰ってきたら「珍道中ブラジル日記」を書きたいなと思いますので、こちらも楽しみにしていてください。
See you soon love xx.

画像は当時デビュー前で、しかもモデルを始めたころの貴重な潜在写真ですっ