だってしょうがないじゃない

1997年、マツモトキヨシのCMで、男性から「どんなに高いものでも買ってあげるよ、僕はお金持ちだからね」と言われた女の子が、「そんなのつまらない! 安くていいものが好き」と答えるやりとりがあった。このフレーズは当時のお茶の間になかなか強烈な印象を残した。庶民の女の子を見初めて求婚する大富豪の役を演じた及川光博は、これを機にみるみる知名度が上がった。たしかに我々ベイベー(ファン)にとってはこの上ないキャスティングと思えたし、彼が普段どんな活動をしているか知らなかった大半の視聴者にも、このキザ男は本当に本物のお金持ちらしく見えたと思う。ミッチロリン星人のくせにな……。

今月からカゴメ「植物性乳酸菌ラブレ」のCMで松田龍平が白馬の王子様を演じているが、2014年に自宅へ出前で届けられるこの王子様が見るからに非正規雇用っぽく、労働時間外はダルそうにしているのに対して、1997年のマツモトキヨシに舞い降りたミッチーは、プロパーどころか寝ても覚めても生まれながらの王子様、嘘偽りなく「どんなに高いものでも買ってくれる」感があった。世は不景気で、だからこそ激安店が全国CMを打つほど隆盛を誇っていたわけだが、それでも、それゆえに、ここではないどこかにはこんなことを言う王子様が生きているんじゃないかと、みんな思っていた。少なくとも私は。

そうしてまた、こうも思ったはずだ。いつか私の花婿となる殿方には、まず「どんなに高いものでも買ってあげるよ!」と言ってもらいたい。そして、その発想を「つまらない!」と一蹴したい。その上で、なお「そんな君が好きなのさ!」と言ってもらいたい……少なくとも17歳の私は、そうやってうっとりと、あのCMに見惚れていたのだ。

笑って許せる? 小さなことと

結婚を決めた前後、じつは似たようなやりとりをしたことがある。銀行残高を見たわけではないが、夫のオットー氏(仮名)のほうが私より多く稼いでいることだけは、当時から明らかだった。それで結婚にあたり「経済的な心配はしなくてよい」と言われた。もし望むなら専業主婦になっても大丈夫だ、というニュアンスだった。私の頭の中で、あのCMの女の子が「そんなのつまらない!」と歌いはじめる。だって、女の子なら、お金持ちでも、そうじゃなくっても、自分で稼ぐのが好き!

できれば働かずに生きていきたい、と考える人も大勢いるだろう。とくに、まだ働いたことがない若者は、そう考えがちかもしれない。しかし、結婚を機に仕事を辞め、家庭を守る女性たちの中にも、生活費とは別に「自分の財布が欲しい」と切に願う人たちはいる。節約主婦に小遣い制を敷かれる夫たちが、たまには贅沢したいなと思うのと、家事に専念する妻たちが、何かして自分だけで使えるお金を得たいなと思うのは、等しく想像に難くない。

できればお金持ちの男と結婚したい、と口にする未婚女性もいる。それはそうだろう。でも実際に「念願晴れて億万長者と結婚したから、これからは欲しいものは何でも配偶者にねだって買ってもらうわ!」という生活を真実満喫できる人間は、ごくごく少数派なのではないか。漫画やDVDや洋服を買うにも、アイドルの追っかけをするにも、旅先で友達におみやげを選ぶにも、自分で働いて得たお金を消費するのでなければ気持ち悪い、と感じる人が多いはずだ。他人の褌で相撲を取る、という諺にも似て、他人の財布を活用して生きるにもなにがしか素質や覚悟やコツが必要で、我々のような庶民出の女子は、きっと大半が、そんな人生に不向きである。

もちろん中にはそうしたコツをこそ得意とする女性もいる。先日会ったとあるお金持ちの男性は、家族旅行でドバイへ行き、愛妻のすすめるまま、一泊60万円するホテルに連泊したとか、しないとか……。「すごい、1泊6万円の部屋でも緊張しちゃって寝られないよ! 器の違いだな、私には無理!」と言ったら、某お金持ち、「ええ、僕もです……」と苦笑していた。稼ぎすぎて稼ぎすぎて自分では使いきれずに持て余している彼のお金を、家庭を守ることに専念する妻が、子供の教育や親の面倒や快適な住環境、その他、彼らのQOL向上全般にきちんと正しく使ってくれる。それはそれで幸福なパートナーシップかもしれない。まぁ、一晩60万円が適正かどうかはさておき。

オットー氏とは結婚前から、主に飲食の場において「こんなものにお金を出すのはバカだ」とか「この値段でこのクオリティなら価値がある」といった話で盛り上がっていた。結婚の決め手は、二人の経済観念が近かったからである。「自炊をしないと豪語する男が居酒屋で一皿680円もする冷やしトマトを注文するのが許せない、帰って家で自分で切って食え!」と熱弁を振るう私に、「そんな君が好きなのさ」と思ってくれたかどうかは知らないが……、まぁ、大事な相性だと思う。

「結婚して、経済的に安定したでしょう?」と問われたら、YESだ。家計を支える財布が二つあるのは頼もしく心強い。けれども、「結婚して経済的に安定したんだから、もう働かなくていいんじゃないの?」と問われると、どんな顔をしていいかわからなくなる。「あなた、彼が一文無しでも結婚したの?」という意地悪な質問にも困惑する。稼ぎが高いか低いかは気にしない。でも、自分自身の経済基盤をいっさい持たず、貯金も働く意思もなく、相手の私の財布だけを頼りに暮らしていこうという男のプロポーズだったら、受けなかったと思う。残念ながら私は、そんな男をドバイへ連れて行けるほどのお金持ちではない。だから、YESでありNOである。

あなたのために払いたい

17歳のときから考えていた。花婿に「どんなに高いものでも買ってあげるよ!」と言われたら、何と言って返せばいいのだろう。こちとらバブル全盛期の80年代に人格が形成されたマテリアルガールである、湯水のようにお金を使い、高価でハイセンスなものを買ってもらう遊びだって、時には大歓迎だ。でも、どうして同時に「そんなのつまらない!」とも思うのだろう? 「そんなのつまらない、と思ってるそんな君が、好きなのさ」と言われたいと、願ってしまうのだろう。マリリン・モンローみたいなマドンナが、野花を摘んできてくれた男と嬉しそうに去っていく、あのミュージックビデオのように。

それで「経済的な心配はしなくてよい」的なことを言われた際には、「お気持ちは有難いが、私の財布からも、我々二人のためにお金を使わせてくださいね」と返した。実際、そんなふうにしてアンバランスなバランスをとっている。私に原稿料が入るとオットー氏にごはんをおごる。高い原稿料の仕事が終わると、上等なごはんをおごる。何か買いたいものがあれば、買ってやる。気分次第のどんぶり勘定だが、「おごる」とだけは決めている。私一人に何かいい出来事が起きたとき、夫婦二人で喜びを分かち合うのと、まったく同じことだ。

財布を別々に分けている友人夫婦の中には、さまざまな工夫をしている人たちがいる。家賃や光熱費などを管理する生活費口座を作って毎月欠かさず入金するかたち、一緒に家計簿をつけて無駄遣いを監視し合う仕組み、将来のまとまった出費に備えて積み立て貯金をする代わりに目の前の稼ぎはそれぞれ好きに使う決まり。同棲時代からなんでも割り勘にする習慣が抜けず、ファミレスなど会計を別にできる店では今でもそうしている、という話にはさすがに驚いた。うちはまぁ「おごる」くらいかなぁ。サラリーマン同士、フリーランス同士、片方が自営業、あるいは季節労働、働き方によってスタイルも異なる。こればっかりは、誰かの真似をしてうまくいく、ということはないように思う。

先日、オットー氏と一緒に居酒屋へ行ったとき、「あのね、今どうしても冷やしトマトが食べたくなったから、これから注文するけど、その代わり、今晩の会計は俺が全部持つからね。そして、お皿が来たら君だって箸を伸ばしていいんだからね」と宣言された。冷やしトマトにまつわる熱弁を、ずっと憶えていたのだろう。そんな君が好きなのさ、だけど、俺は俺の財布を開いて、今夜は贅沢するって決めたのさ! 自分の趣味には一皿680円どころではない大金を毎月ぼんぼん投じている私、「どうぞどうぞー」とお言葉に甘えたのは言うまでもない。

<著者プロフィール>
岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。主な生息地はTwitter。2012年まで老舗出版社に勤務、婦人雑誌や文芸書の編集に携わる。同人サークル「久谷女子」メンバーでもあり、紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。「cakes」にて『ハジの多い人生』連載中。CX系『とくダネ!』コメンテーターとして出演中。2013年春に結婚。

イラスト: 安海