購買力平価(PPP)の理論に基づく「ビッグマック指数」
先日輸出企業大手の会長が昨今の円安について、「超円高は是正されている局面」とコメントをしていました。果たして、これまでが超円高だったのかどうか。為替レートでは表面の数字だけでは測れない、実質的な価値という面を無視するわけにはいきません。
本当の為替レートの水準を計る1つの指標として、ビッグマック指数があります。これは英国の経済誌であるエコノミスト誌が毎年発表しているものですが、エコノミスト誌のHPでの指数についての説明は、
「THE Big Mac index was invented by The Economist in 1986 as a lighthearted guide to whether currencies are at their "correct" level. It is based on the theory of purchasing-power parity(PPP), the notion that in the long run exchange rates should move towards the rate that would the prices of an identical basket of goods and services (in this case, a burger) in any two countries.」
ビッグマック指数はエコノミストによって、各通貨が適正水準にあるのかどうか気軽な指針として1986年に開発されました。長期的な為替レートというものは、2つの国において全く同一商品とサービスが入ったバスケット(この場合はハンバーガーになりますが)の価格は等しくなる、という購買力平価(PPP)の理論に基づいています。
ビッグマック指数、円とドルがほぼ同水準だったのは昨年や一昨年の78円台
そこで、ビッグマック指数から見た為替レートですが、最新の発表では2013年1月の実際のドル円レートは91円、日本国内のビッグマックの販売価格は320円、米国のビッグマックは4.37ドル。日本でも米国でもビッグマックという同じ製品は、日米で同じ値段にならなければおかしい。とすると320円=4.37ドルという関係は成立し、1ドルは=73.23円となります。しかし、実際の為替レートは91.07円ですから、円はドルに対して19.5%ほど通貨安になっているということになります。
掲載されたデータを遡ってみるとわかるように、円とドルがほぼ同水準だったのは昨年や一昨年の78円台ということになります。それでも円高水準ではありません、あくまでもドルと円との価値の均衡がちょうど適正水準で保たれていただけ、ということになります。したがって、ビッグマック指数からは、実質的な通貨価値でみれば、現状は「超円高が是正された」というよりも、「ちょうどドル円レートは均衡していたのに円安に振れた」という認識となります。
ちなみに、2000年に円安水準となっていますが、この時は1ドル=106.00円です。仮に今106円になっていれば30%以上ドルに対して円安水準になってしまうことになります。このように、表面の為替レートだけでは測れない実質的な為替水準は購買力平価として現れます。
ビッグマック指数は各国の食文化まで鑑みているわけではない、つまりビッグマックが高級品とされる国もあれば単なる安物のファースト・フードに過ぎないと思われている国もあり、基本的に同じ価値であるとする考え方が間違っている、といった指摘がよくされます。
確かにそうした声もごもっともとは思いますが、実際に国際金融の最前線で為替取引をしていた者の感覚として、経済の高名な専門家と言われる人たちでさえ予想しえなかった段階から、サブプライム危機によるドルの減価やユーロ危機によってもたらされるユーロ安というのを誰よりも早くビッグマック指数は示唆していた、という事だけは言えるのです。
ビッグマック指数が警告していた「アイスランド・クローナの価値」
例えば2007年1月当時、アイスランドのビッグマック1つの販売価格はドル換算をすれば7.44ドル。それを当時の為替レート1ドル121円で円価にすれば約900円という、とんでもない価格になっていました。日本のビッグマックは2.31ドル(280円)でしたから600円近くも差があったのです。後進国との比較ならともかく、同じ先進国でありながら、2つも3つもビッグマックが買えてしまうほど差があるのはやはりおかしい、と言わざるをえません。指数が発表された当時、我々為替ディーラーの仲間内でも、「900円はいくらなんでも高すぎるだろう(=アイスランド・クローナの価値が高すぎるだろう)」という話をしたものです。そうなると、早晩為替レートの修正がはいるのではなかろうか、という予想が立てられます。この場合、アイスランドの通貨価値が米ドルに対して高すぎるので、アイスランド・クローナが大幅に売られるはず、ということになります。
そのわずか半年後にサブプライムローンの影響を最も受けやすい国として、格付け会社などでアイスランドの名前が取りざたされるようになりました。その1年後には実際に金融危機に見舞われ、国内有数の銀行が破綻直前となり国有化されるという非常事態を迎えます。その結果、為替レートはわずか1年で1ドル=58クローナから138クローナまで通貨安が進みました。ドル円の為替レートの感覚で言えば1ドル=58円だったものが138円近くまで円安になったようなものです。
ちなみに、ドル円の為替レートは円の史上最高値が1ドル=75円となりましたが、アイスランドのビッグマック価格がそのままで、為替レートが1ドル=138クローナ、1ドル=75円となれば約280円となり、ちょうど日本国内のビッグマック価格と同じくなります。したがって、この水準がクローナと円の関係では適正ということができます。(実のところ、金融危機の煽りでマクドナルドがアイスランドから撤退してしまったために、もはや比較のしようがない、という状態です)。
メディアを始め一般的には表面の数字だけを取り上げて円高だと大騒ぎをしますが、為替のこうした実質価値が長期的な推移を見極める際には指針となるのです。
例えばブラジルなどはオリンピックやワールドカップがありますので、海外からの投資資金も相当流入しているため、通貨高が進んでいることがビッグマック指数からもわかります。ただし、経済力以上の行き過ぎた通貨高はやがては調整が入るというのが過去からの教訓です。オリンピックを迎える2016年までに特需以上の経済成長が見受けられないのであれば、開催前に投資資金は撤収、そんなシナリオを金融取引の現場にいる人間は描くものです。
http://www.economist.com/content/big-mac-index
執筆者プロフィール : 岩本 沙弓(いわもと さゆみ)
金融コンサルタント・経済評論家・大坂経済大学 経営学部 客員教授。1991年より日・加・豪の金融機関にてヴァイス・プレジデントとして外国為替、短期金融市場取引を中心にトレーディング業務に従事。銀行在職中、青山学院大学大学院国際政治経済学科修士課程修了。日本経済新聞社発行のニューズレターに7年間、為替見通しを執筆。国際金融専門誌『ユーロマネー誌』のアンケートで為替予想部門の優秀ディーラーに選出。主な著書に『新・マネー敗戦』(文春新書)、『マネーの動きで見抜く国際情勢』(PHPビジネス新書)、『世界恐慌への序章 最後のバブルがやってくる それでも日本が生き残る理由』(集英社)、『世界のお金は日本を目指す~日本経済が破綻しないこれだけの理由~』(徳間書店)などがある。