注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、放送作家の酒井健作氏だ。
『トリビアの泉』『ゲームセンターCX』など、ヒット番組を手掛けてきた同氏が考える、今の時代のテレビに求められる放送作家像とは――。
■「来週までに未亡人が経営しているラーメン屋を探す」
――当連載に前回登場したテレビ東京の五箇公貴さんが、酒井さんについて「過去の特撮作品やバラエティ番組の圧倒的な知識量とプロとしてのバランス感覚を併せ持つ、僕にとって稀有(けう)で大切な存在です」とおっしゃっていました。
それはとてもうれしいです。五箇さんとはバラエティ番組ではなくドラマ『電影少女 VIDEO GIRL』シリーズ(18~19年)やバーチャルYouTuberドラマ『四月一日さん家の』(19年)の企画、『ノーコン・キッド~ぼくらのゲーム史~』(13年)という田中圭さん、浜野謙太さん、波瑠さんと今をときめく皆さんが出演したドラマにもブレーンとしても参加させてもらい、ドラマの作り方を含め、さまざまなことを勉強させてもらいました。
――放送作家として、最初に参加された番組は何ですか?
僕は、テリー伊藤さんの制作会社・ロコモーションに所属しているのですが、最初はテレビ東京の『浅草橋ヤング洋品店』です。クレジットは無しで、参加させてもらったといっても最初はほとんど雑用係みたいなものでしたが。数人の先輩見習い作家と“企画会議の準備”として先輩作家から送られてくる企画案をコピーしたり、ADとロケのスタンバイ、ディレクターと編集所にこもったり、ハードな日々でしたが、テレビの作り方を学ばせてもらった番組です。
今考えたら不思議なのですが、当時の編集所はどの番組も常にピリピリしていて、一瞬でもミスをしたら怒鳴られるような現場でしたね。編集所に行くのが本当に憂鬱で(笑)。ADと一緒に「来週までに未亡人が経営しているラーメン屋を探す」「明日までにサメに見える魚を探す」といったことを要求する厳しいディレクターばかりだったので、今でも辞めていくADさんを見ると「仕方ないよね」と思ってしまいます。唯一、週1回の会議で一応、企画案を出すところだけが存在をアピールできる場所だったのですが…。重なっている企画書の一番最後に綴(と)じているので、偉い作家さんまで見たところでほとんどの会議は終わってしまってましたね(笑)
――下積み時代ですね…。
後にソフト・オン・デマンドを立ち上げることになる高橋がなりさんも当時、ロコモーションにいらっしゃいまして、がなりさんが担当をしていたビデオ安売り王(1本500円で売るオリジナルビデオ)の企画会議は、伊藤さんが企画案の全てに目を通し、コメントしてくれたのがうれしくて。あの場で伊藤さんやがなりさんにアドバイスしてもらってなかったら、心が折れていたかもしれません(笑)
■ストイックだった『トリビア』時代
――そこからどうやってさまざまな番組を担当することになっていくんですか?
『電波少年』をやられていた〆谷(浩斗)さんが、フジテレビでやる企画会議に若手の作家を入れたいという話があって。そこの企画会議に数カ月参加していたら、その場にいたプロデューサーの番組に呼んでもらえました。島田紳助さん、ユースケ・サンタマリアさん、SILVAさんが出演する『すけスケシルバ』という番組です。そこから同じスタッフの所ジョージさん、THE ALFEE坂崎(幸之助)さんの『Music Museum』、深夜で若手ディレクターが作る『チノパン』『エブナイ月曜日』に参加させてもらいました。
――そこからの流れで『トリビアの泉』になるのですか?
トリビアの演出の木村(剛)さんと塩谷(亮)さんが『エブナイ』のディレクターでだったんです。『エブナイ』の後に始まった『本能のハイキック!』という深夜番組にも呼んでもらって。それをやりながら、時間があるときに新企画の会議をやる中で生まれた感じです。
――深夜からすぐゴールデンになり、社会現象になりましたよね。
もちろんうれしかったのですが…隔週でやってくる収録や、オンエアするVTRをさらに磨くための会議を木村さん、塩谷さんとほぼ毎日やっていたのと、たぶん若かったのでかっこつけて素直に「やったー!」って喜んだ感じを出していなかった気がします。今でも木村さん塩谷さんと「あの時、ストイックに会議ばっかりするんじゃなく、もうちょっと楽しんでも良かったかもね」と話しています(笑)
――今、『芸能人が本気で考えた!ドッキリGP』を担当されていますが、『トリビア』で一緒だった木村さんが総合演出ですよね。見せ方に『トリビア』のイズムを感じます。
見せ方のアイデアを演出の木村さん、IVS(テレビ制作)の中村(秀樹)さんと話しているときに、もしかしたらそうなっていたのかもしれません。どうやって見せたら収録現場のドキドキ感&面白さをそのままお届けできるのか、難しいです。
ドッキリで言うと、『トリビア』終了直後に塩谷さんとやらせてもらった『アイドリング!!!』ではドッキリ企画がかなり多かったので、その経験が『ドッキリGP』では役立っています。さまざまな方のアイデアを「現場でどうやって実際に仕掛ける形にする?」「どの瞬間にバラしたら一番リアクションが良くなる?」とか。『アイドリング!!!』は、30分の完パケ収録だったので失敗が怖すぎでした。たくさん失敗もしましたが…。
■「ゲーム実況」元祖はよゐこ有野!?
――酒井さんと言えば、『ゲームセンターCX』のお話もぜひ聞かせていただきたいです。
『トリビア』が話題になった頃、フジテレビCSの方に、「『トリビア』とは全く違うもので何か面白い企画ない? 何でもいい! ただし低予算」と言われまして。「地上波とは違って狭いターゲットが大喜びする企画の方が良いです!」と力説して『週刊少年「 」』という番組が実現しました。会いたい漫画家さんに100個質問するという内容なんですけど、自分が大好きだった荒木飛呂彦さん、永井豪さん、島本和彦さん、藤子不二雄(A)さんといった漫画家さんが出演してくれて、オタクとして至福の時間を過ごすことができました。
番組本も出て好評だったのですが半年で終了、「マンガの次は…ゲーム」と言う流れで「今度はゲームを作った人に話を聞こう」という趣旨でスタートしたのが、『ゲームセンターCX』です。初回で「(ゲームメーカーの)タイトーの人に話を聞くから、有野(晋哉)さんにタイトーのゲーム『たけしの挑戦状』に挑戦してもらおう」ということでプレイしてもらったら、それがめちゃくちゃハマった感じです。セカンドシーズンからは、ゲームをプレイする番組になっていきました。当時はまだ「ゲーム実況」というのはなかったので有野さんが「ゲーム実況」の元祖だと思うのですが…あんまりそうなってない(笑)
――そのほかに、手応えのあった企画はなんでしょうか?
メジャーなゴールデン番組じゃなくてニッチな深夜番組なのですが『FNS地球特捜隊ダイバスター』は、やっていて面白かったです。
――あー! 大好きでした!!
全部、遠藤達也さん(『月曜から夜ふかし』などディレクター)のセンスの番組なんですけど、「くだらない疑問を調べる」という企画の見せ方を相談されて…。昔の特撮作品で、実写とアニメを合成したことで不思議な面白さを生んでいるモノがあり、その感じのパッケージを遠藤さんに提案したら「見えた!」と言われて(笑)。深夜に特番を1回やったら、なぜか「レギュラーにする」と。こんな流れ、今じゃ考えられないです(笑)
というか、ここまで昔の番組の話ばっかりになっていませんか!