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ドラマにありがちなシチュエーション、バラエティで一瞬だけ静まる瞬間、
わずかに取り乱すニュースキャスター……テレビが繰り広げるワンシーン。
敢えて人名も番組名も出さず、ある一瞬だけにフォーカスする異色のテレビ論。
その視点からは、仕事でも人生の様々なシーンでも役立つ(かもしれない)
「ものの見方」が見えてくる。
ライター・武田砂鉄さんが
執拗にワンシーンを追い求める連載です。
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お通夜で何度でも悲しみ直せるオジさん
お通夜の後に用意される食事のことを「通夜振る舞い」と呼ぶそうだが、その振る舞いに対してどのように振る舞っていいのかが毎度分からない。時たま、「故人を偲ぶ」というテーマ設定を膨らませて、テンションを居酒屋レベルまで引き上げてしまっているオジさんを見かける。「こんな時だからこそ」的なフレーズを定期的に継ぎ足し、どうやら偲ぶのを忘れている気配が充満する。
でも、そういう人に限って、新たな弔問客が部屋に入ってくると、「ギックリ腰になって大変だったんだよぉー」と笑い話をしていた顔を瞬時に切り替え、悲しみ直すことができる。あんなに表情を巧みに切り替えることなんてできやしないと、隅っこで静かにしているのだが、まかり間違って「こんな時だから」陣営に巻き込まれてしまうと、たちまち疲労困憊。その疲労困憊を意気消沈と勘違いした「まあまあそんなに気落ちせずに」陣営が、「こんな時だから」陣営とコラボして、一斉にこちらを気遣ってくると、いよいよ逃げ場がなくなる。
シロクマの赤ちゃんが産まれた後で、残忍な殺人事件を伝えられるか
ワイドショーのキャスターは厄介な職務だ。なぜって、シロクマの赤ちゃんが産まれたという話をした後に、殺人事件の話をして、苺たっぷりのスイーツがいかに幸福感を与えてくれるかを挟んだ後で、モラハラで離婚を決意した芸能人の話題に移らなければいけない。喜怒哀楽を1文字ずつに分解して、喜→怒→哀→楽→哀→怒というように、その都度のニュースに合わせた表情を提供することが求められている。
シロクマの赤ちゃんが産まれた後で、残忍な殺人事件を伝える。アナウンサーが見つめるカメラのその奥では、ADが苺たっぷりのスイーツをスタンバイしている。この状況下で、瞬間的に悲しいニュースを読む顔に切り替えられる人とそうではない人が出てくる。切り替えられる人の切り替えっぷりったら見事。「赤ちゃん、かわいかったですね~。(1秒の沈黙)さて、続きまして、昨晩、東京都港区で何者かが……」と、たった1秒の沈黙で「喜」の表情を沈めるのだ。
事務所のゴリ押しでキャスターを務めているタイプの問題点
殺人事件を伝える時、その表情が淡々と「無」になる人と、過剰に「哀」になる人とがいて、前者のほうが巧みに映る。人の悩み相談に対して、眉間に皺を寄せて首をウンウン振るだけ振って実は殆ど聞いていない人がいるが、あれと同様に、出来合いの「哀」を見せつけられるよりは、「無」の表情のほうが誠実なのだ。
事務所のゴリ押しでキャスターを務めているタイプの人は、とにかく、この表情の切り替えが下手だ。専門の訓練など受けていないのだから致し方ないのだが、自然なブレーキでスピードを緩めて進路を変えることができない。急ブレーキをかけて、強引に別の道に曲がろうとする。曲がりきれるはずがない。
友人たちが駅で降り、1人だけ車内に残された人の顔
どうしても、さっきまでのニュースの表情が顔に残ってしまう。シロクマの赤ちゃんが産まれた喜びが、ほんの少しだけ、港区で起きた殺人事件を伝える顔に含まれてしまう。「(1秒の沈黙)さて、続きまして、」を使って切り替えなければならなかったはずが、「昨晩、東京都港区で……」くらいまで、シロクマ赤ちゃん出産モードが居残る。
電車で、自分以外の友人たちが駅でこぞって降りてしまい、1人だけ車内に残された人の顔を見るのが好きだ。ホームの友人たちが手を振っていたりするものだから表情が残りやすく、電車がしっかり加速し始めているくらいの頃になっても、まだまだ微笑んでいる。その様はちょっぴり滑稽なのだが、瞬時に無表情になり、スマホで何がしかの情報処理を始めるよりも人間的で愛おしい。
笑い話をしていた顔を瞬時に切り替え、悲しみ直す講座
そう、人間的。表情が残っているほうが人間的なのだ。嬉しがった後で即座に悲しがることは難しい。でも、殺人事件用の顔に切り替えられないキャスターは、アマチュアだと見なされる。となると、キャスターは人間味など不要で、常に冷静な振る舞いが求められる存在なのか。そんなことはない。むしろ、キャスターやアナウンサーほど、人間味が計測されやすいポジションもないだろう。彼らは、ニュースに合う表情を作る一方で、表情や感情が豊かであることが求められる。無理難題だ。
アナウンスに必要な発声法や正しい姿勢の作り方などを教えてくれるセミナーはあっても、「悲しいニュース」への切り替え方を教えてくれるセミナーはない。特に世間様から試されまくる新人アナウンサーなど、この点をクリアできているかは重要になる。そんな彼らが優先して学ぶべきは、正しい発声方法ではなく、「笑い話をしていた顔を瞬時に切り替え、悲しみ直す」方法ではないか。ちょっとタイトルが長くなるけれど、アナウンススクールは必修講座に「笑い話をしていた顔を瞬時に切り替え、悲しみ直す講座」を加えるべきだし、そんな講座がないなら、「通夜振る舞い」に飛び込んでみるのも一考だろう。あそこにはプロがいる。
<著者プロフィール>
武田砂鉄
1982年生。ライター/編集。14年秋、出版社を経てフリー。4月25日に単著『紋切型社会』(朝日出版社)発売。「CINRA」「cakes」「Yahoo! 個人」等で連載。
イラスト: 川崎タカオ