今こんな斜陽産業で、ああだこうだやってる人間はみんな敗北者ですよ――控室で鏡に向かいメイクをしながら、その言葉は自嘲気味に紡ぎだされた。一般的な視聴者はもとより、多くの業界関係者の注目を集めた新番組の初回。開始早々にマツコ・デラックスさんが言い放ったこのフレーズを、皆さんはどのような意味で捉えただろうか。文字面そのままの意味? それとも真逆の意味だっただろうか。
日曜夕方の激戦区で産声をあげた『週刊さんまとマツコ』。自虐に続くトークでは「今(人に向かって)お前って言うとたたかれるの」と、いわゆるネットでの炎上問題にも言及。マツコさんは「何も話せない、言葉に詰まる」と赤裸々に語るが、それはテレビ業界が直面しているコンプライアンス問題の示唆でもある。楽屋トークとはいえ、気楽に笑って簡単に流すことのできない話題が続く。
実はマツコさんが、テレビの行く末について悲観的なことを口にしたのは、今回が初めてではない。自身が出演する番組でことあるごとに発言し、"沈みかけた船"と表現したこともある。本当にそうなのだろうか。筆者はそこにはマツコさんの希望と、テレビマンの意地のようなものが存在しているとみている。
まず皆さんに考えてほしいのは、業界を憂うマツコさんの言葉をそのまま放送している点である。編集が不可能な生放送ではなく、ご丁寧にテロップをつけてまでのオンエア。つまり、ディレクターのきちんとした考えがあり、その考えに基づいて意図的にVTRを編集し、自虐的な発言が流されているのだ。もちろん、内容はプロデューサーがチェックしている。プロデューサーもゴーサインを出しているわけだ。おそらくそこには「そう簡単にテレビは終わらない」という自信のようなものがあるのかもしれない。だからこその、あえてのオンエアなのだ。
そして、その言葉はテレビ業界への叱咤激励につながり、みんなが奮起してほしいというマツコさんの希望そのものであるようにも感じる。なんだかんだ言ってマツコさんはこの業界が好きだし、過去のテレビ東京の番組で、テレビに感謝しているような内容の発言もしていたと記憶している。
『週刊さんまとマツコ』をドキュメンタリーとして観ると……
『週刊さんまとマツコ』の話に戻そう。ネット上では「つまらない」という声もあがっているようだが、たかだか1回放送しただけで、それを観て判断することなかれと筆者は強調したい。伝説的な人気番組として記憶している方も多いと思われる『伊東家の食卓』は、最初から高視聴率だっただろうか。最初から裏技を扱っていただろうか。『週刊さんまとマツコ』は確かにバラエティー好きには物足りないところがあったかもしれない。しかし、これをむしろドキュメンタリーとして観るならば、最高に面白い作品ではないか。テレビ(業界)の希望の星である2人の本音、番組誕生秘話、挙句の果てにTBS社員であるみのもんた氏の息子が楽屋挨拶。内輪ネタではあるものの、これぞテレビの醍醐味。ノンフィクションと言って過言ではない。
番組最後のカットについても触れずにはいられない。着替えを終えスタジオに現れた2人は、あろうことか裏番組のアニメ『サザエさん』のキャラクターのいでたち。そんなことをしなくてもいいレベルの2人が、あえて『サザエさん』を演じる凄さ。この後にどんな展開が待っているか恐ろしくなってくると同時に、次回の放送が待ちきれなくなってしまうものなのだが、筆者のこの連載コラムのタイトル同様、"週刊"と謳いながら初回翌週にあたる4月25日は放送休止というオチまでついている。ここまできたらもう、2人による『サザエさん』の続きを放送しなくてもいいのではないかとすら思えてくるから不思議だ。
そんなこんなで、最後にこれは強調しておきたい。映画はもう随分前に"斜陽産業"と評されたが、今でも良質なコンテンツを世に送り出し、ロングラン記録を打ち立てる名作も生まれ、確実に復活を遂げた。一方のテレビもここ数年で"斜陽産業"と言われ始め、「動画が途中から始まるから嫌」、「そもそも放送時間にテレビをつけろというのが横暴」という批判の声が聞かれる。しかし、今一度考えてほしい。決められた上映時間に映画館に来なければならず、料金まで払わなければならない映画より、テレビはずっと自由度が高く、お茶の間に寄り添っているではないか。テレビは消えてなくならない。このコラムの連載開始時から言い続けている通り、それは社会全体の"現在"に他ならないからだ。