お前はただの現在にすぎない――。3人のテレビ制作者が自問自答を繰り返しながらテレビの"本質"に迫った本で、そのタイトルに引用された革命家トロツキーの言葉だ。本に込められた現場の思い、当時の克明なドキュメントから浮かび上がるものはご興味ある方にはきちんと読んでもらいたいが、ここで私はあえて言いたい。テレビとは何か、すなわちそれはあなた自身ではないかと。
こんな堅い書き出しだと、「暗い気持ちになるためにネットを見ているわけじゃない!」とお怒りの声も届きそうなので、ちょっと柔らかく、とりあえず自己紹介を。私はいわゆるロスジェネ世代(最近やたらと聞くけど、そう思って生きてきたこと1ミリも無かったなぁ)で、地方の放送局勤務の編成マン。中途採用で局に拾われる前は、テレビ業界ではないマスコミの末端に在籍。忙しい時期になると、事務机に横たわって寝て、始発で帰宅しシャワーを浴びて出勤するという生活を繰り返してもいた。それがスタンダードだと思っていた。
このコラムでは、放送局そのものと、違った会社に在籍していた私だから分かるテレビ番組の裏側、現場の台所事情、そして見過ごしがちなテレビが抱える重大な問題など、時には高級な羽毛布団のように軽く、時には救いのないキューブリック映画みたいな重さでつまびらかにしていきたい。
さて、今回のテーマは「不倫報道」である。とにかくテレビはこの話題が好きらしい。コロナ禍により家族で食卓を囲むことが多くなっている時期でも、その時間帯であることにためらいもせず、テレビはワイドショーを筆頭に、非常に長い時間を割いて芸能人の不倫について報じてきた。週刊誌が放つ二の矢、三の矢をそのまま受ける形で、紹介してきた。多目的トイレでの性行為と"1万円支払い"、お茶の間が凍り付くことが容易に想像できるフレーズが飛び交う。「これ以上、報じるのはいかがなものか」とSNSで声を上げる芸能人もいて、それはすぐにネットニュースにもなった。
何故テレビはかくも不倫を大きく扱ったのか。それはもう、視聴者が期待しているものを提供していただけと言うほかない。番組のプロデューサーやディレクターも、毎朝発表される前日の視聴率結果に一喜一憂する。視聴率には色々な指標が存在するが(世帯や個人など後日詳しく説明したい)、とにかく視聴率が高ければいい=見てもらえればいいということになる。公共の電波を使いCMを流し、お金を稼ぐというビジネスモデルの民間放送局にとって、この数字こそが絶対で、この視聴率をもとにCMの料金が決まり、引き合いも変わってくるのだ。その商売の基準となる視聴率は番組平均の視聴率であるのだが、より高い数字を得るには、どの話題で数字を伸ばしたか、また裏局は同じ話題についてどこまで取り上げどのような数字を出したか、果てはCMに入るタイミングが本当にふさわしかったのか…とにかくあらゆる角度から分析・検証する。それを行うのは1人ではない。番組スタッフだけでもない。編成部の編成マン(大体番組ごとに担当者がつく)もそこには加わる。とにもかくにも、テレビマンの叡智を結集し、導き出された答えは、不倫について長く報じようということだったのだ。
ここにはネタ元となった週刊誌というメディアが持つ事情も関わってくるだろう。不倫問題を報じた週刊誌が完売するほどの人気だったと言っても、テレビの前のあなたはそれを実際に手に取って読んだだろうか。地方に行けば週刊誌の発売日が遅いところも出てくる。わざわざ出かけて400円以上かけ購入せずとも、テレビを見ていればタダで情報は入ってくるのだ。(しかし、今やそのテレビで見る時間すら惜しいということでネットメディアが注目されることに…って、このテーマはまた別の機会に)
というわけで、テレビは視聴者の期待に応えるべく動き、それはそのまま今の社会全体を反映したもの、ただの現在にすぎないのである。「なんだ結局最初の話に戻るのか?」と突っ込まれそうだが、実は冒頭で触れた3人が書いた本には、サブタイトルがある。"テレビになにが可能か"というものだ。現在にすぎない存在であるテレビで、一体何ができるのか。広告費がインターネットに負け、凋落が指摘されるテレビの姿をこのコラムでは伝えていきたい。