通勤電車の標準化が進んでいる。JR東日本のE231系をベースに東急電鉄5000系や相模鉄道10000系などの車両が製造され、それがきっかけで日本鉄道車輌工業会が定めた通勤・近郊電車の標準仕様ガイドラインの礎になった。このガイドラインを考慮しつつ、日本の鉄道車両は技術を競っている。
ここまでは前回紹介した話だ。車両メーカーは違うけど、なんとなく似た車両が増えている。
ところで、戦後のある時期、いくつかの私鉄が国鉄と同じ形式の車両を導入したことがある。似ているではなく、まったく同じ形式だった。物資の不足が理由だけど、その結果、日本の電車の歴史にとって重要な出来事となった。
その国鉄形電車は「63系電車」と呼ばれた。車体長20m、片側4扉の電車だった。当時、国鉄の電車は5桁の数字で番号が与えられていた。万と千の位で形式を示し、万の位は「1」「2」は車体長17m、「3」~「9」は車体長20m。千の位は「0」~「4」が電動車、「5」~「9」がモーターを持たない制御車や付随車に付けられた。モハ63形は車体長20mの電動車で、必要に応じてこの車両にモーターのないサハ78形やクハ79形を連結した。これらの車両を総じて「63系電車」と呼んでいる。
国鉄63系電車は1944(昭和19)年から製造された。第二次世界大戦の末期で物資も少なく、複雑な構造の車両を組み立てられる工員も不足していた。そうした事情もあって、飾り気のない箱形の車体となり、躯体の鋼材も薄く、細い。ドアや窓、屋根などは木製に。窓ガラスが三段式になっている理由も、ガラスを節約するためだったようだ。
いまでは考えられないほどの簡素な車両だけれども、そのメリットとしては、どの鉄道車両メーカーでも製造でき、安価に、大量に、迅速に調達できたことが挙げられる。そのため、戦時中よりも戦後に大量に製造され、戦後復興の通勤輸送に活躍した。国営鉄道から国有鉄道へ移行した時代、総生産数は688両という大所帯だったそうだ。
戦争による鉄道被害は国鉄だけではない。もちろん私鉄も大きな被害を受けていた。復興の進捗とともに鉄道利用者は急増していたけれど、動く電車は少なかった。そこで運輸省(当時)は、安価で大量生産の実績があった63系電車に注目し、関東・関西の大手私鉄に割り当てた。いわゆる「大東急」時代の東京急行電鉄に加え、東武鉄道、名古屋鉄道、近畿日本鉄道、山陽電気鉄道がこの割り当てに応じた。
東京急行電鉄には20両が割り当てられ、小田原線、厚木線に充当した。それぞれ「大東急」解体後の小田急電鉄と相模鉄道だ。小田急電鉄では1800形、相模鉄道では3000系となった。相模鉄道は後に国鉄から廃車1両を譲受して増備した。
東武鉄道には40両が割り当てられ、63系に由来する番号を付けて6300系となった。西武鉄道は運輸省からの割り当てを辞退していたけれども、後に国鉄から63系の廃車を譲り受けて再利用しつつ、自社工場で1両を製造して401系とした。
名古屋鉄道には20両が割り当てられ、3700系となった。しかし当時、車体長20mの大型車両が走行できる区間が少なかったため、活躍したとはいえず、小田急電鉄に6両、東武鉄道に14両を譲渡している。
近畿日本鉄道には20両が割り当てられ、1501形として南海線に充当した。後に南海線が南海電気鉄道として独立すると、20両すべて移籍し、南海電鉄の1501形となった。山陽電気鉄道には20両が割り当てられて800形となり、後に700形に変更された。
63系電車が残した功績と桜木町事故
63系電車は特別な経緯で複数の鉄道会社に採用された。そして、後の鉄道に大きなメリットと傷跡を残した。メリットは車体長20mという寸法を普及させたこと。大手私鉄といえども、当時はまだ車体長17mの車両を使う会社が多かった。しかし、63系電車を導入するために、プラットホームなどの建築限界を見直し、対応工事を行った。その結果として、車体長20mの電車が新造、増備されていった。
63系電車の規格に合わせたことで、その後の地下鉄との相互直通運転や、地下鉄を介した他の鉄道事業者との直通も容易になった。現在、小田急線とJR常磐線は東京メトロ千代田線を介して相互直通運転を実施している。これも63系電車の縁といえそうだ。
一方、1951(昭和26)年に起きた桜木町事故は63系電車が残した傷跡といえる。国鉄京浜線(現在の京浜東北線・根岸線)桜木町駅で、63系電車が架線からの漏電により出火し、先頭車が全焼、2両目も半焼し、106人が焼死、92人が重軽傷となった。屋根、窓枠、扉、床が木製だった上に、内装も可燃物が多かった。
戦後の日本では工業製品の完成度が低く、粗悪品、欠陥品のレッテルを貼られた商品も多かったようで、63系電車も粗悪電車、欠陥電車と批判された。桜木町事故を受け、国鉄は63系電車の難燃化改造を実施。木製部分を鋼製とし、車内に耐火塗料を施すなどの対策を実施した。その上で、改良型として1952年から製造した72系電車に編入し、63系の形式は消滅。私鉄が導入した63系についても、車体を金属製に載せ替えるなど改造が行われた。
63系電車は鉄道車両の大型化のきっかけとなり、不幸な事故を引き起こしたことで鉄道の難燃化対策のきっかけにもなった。日本の鉄道史上、重要な節目となる車両だ。現在は愛知県のリニア・鉄道館に「モハ63638」(1947年製造)が復元展示されている。