コミックマーケットなど大規模イベントの会場として有名な東京ビッグサイト。そのアクセス手段のひとつ、東京臨海高速鉄道りんかい線には、もともと「京葉貨物線」として建設された区間がある。JR京葉線とは「生き別れたきょうだい」ともいえる関係にある。線路はつながっているというのに、なぜ分断されてしまったか。
りんかい線は大崎駅と新木場駅を結ぶ12.2kmの路線。直行コースではなく、南へ迂回して大井町駅と品川シーサイド駅を経由する。東京ビッグサイトの最寄り駅は、東京ビッグサイトの正式名称をもとに「国際展示場」が駅名となっている。りんかい線は大崎駅からJR埼京線に乗り入れ、渋谷・新宿・池袋などのターミナル駅と国際展示場駅を乗換えなしで結ぶ。東京ビッグサイトで大きなイベントがあると、列車の増発も行われる。
JR京葉線は東京~蘇我間(43.0km)を結び、他に武蔵野線と直通するための市川塩浜~西船橋間・南船橋~西船橋間の支線があり、この区間は三角形の線路を形成する。東京~蘇我間には東京ディズニーリゾートの最寄り駅である舞浜駅、大型コンベンションセンター「幕張メッセ」の最寄り駅である海浜幕張駅などがある。
りんかい線と京葉線は新木場駅で乗換え可能だ。新木場駅のりんかい線ホームは京葉線ホームの真下の階にある。りんかい線の線路はさらに東へ延び、京葉線の線路とつながっている。ただし、りんかい線と京葉線を直通する定期列車はない。運営会社が違うから当然ともいえるけれど、ならば、なぜ線路がつながっているのだろう。
現在、りんかい線・京葉線として営業している区間は、もともとひとつの貨物線「東京外環状線」として計画された。戦後の1950年代、高度経済成長時代の話だ。通勤利用者だけでなく鉄道貨物輸送も増加したことから、東京都心部の旅客列車を増やしつつ、貨物列車のルートを確保するため、貨物列車を山手線の外側に迂回させる貨物専用線が計画された。その計画ルートには現在の武蔵野線に加えて、塩浜~大井(埠頭)~新木場~蘇我~木更津間の「京葉貨物線」があった。
ところが、路線を整備中の1970年代から自動車による貨物輸送が増大。国鉄の長期間ストなどの影響もあり、鉄道貨物輸送の需要が減少した。貨物線として計画、建設中だった路線にも旅客列車も走らせようということになり、武蔵野線では1973年に府中本町~新松戸間が旅客貨物兼用路線として、1978年に新松戸~西船橋間が旅客線として開業した。
「京葉貨物線」は1973年に塩浜操車場~東京貨物ターミナル間が東海道貨物支線として開業。1975年に千葉貨物ターミナル(後に廃止)~蘇我間が貨物線として開業した。1986年、西船橋~千葉港(現・千葉みなと)駅で旅客営業を開始している。その後、1988年に新木場~南船橋間、南船橋~西船橋間が開業し、旅客列車が新木場~蘇我間を通して運行開始する。武蔵野線との直通運転も始まった。
1990年に東京~新木場間が開業し、京葉線は現在の姿となった。東京~新木場間は「東京外環状線」の対象ではなかったけれど、京葉貨物線の旅客化が決まった後、1983年に旅客線として認可を受けた。
「京葉貨物線」の新木場~蘇我間は旅客化されてJR東日本が継承した。しかし、残る新木場~東京貨物ターミナル間は完成後も貨物線として使用されず、旅客化もされなかったため、JR東日本は引き継がなかった。この未使用の線路を活用した路線がりんかい線となった。お台場を中心とした臨海副都心へのアクセス路線を整備するため、東京臨海高速鉄道という第三セクター鉄道が設立された。
東京臨海高速鉄道は1996年に新木場~東京テレポート間を開業し、2001年に東京テレポート~品川埠頭分岐信号場~天王洲アイル間を開業。2002年に大崎駅へ延伸して全線開業した。同時にJR埼京線との直通運転も開始し、現在に至っている。
京葉線とりんかい線は、もとは同じ「東京外環状線」だった。旅客開業後にJR東日本が継承した京葉線に対し、りんかい線は国鉄時代から放置され、東京都が引き受けた。まるで異なる運命を持つ「生き別れたきょうだい」のようだ。