JR東日本が中央本線の特急「あずさ」「かいじ」から退くE257系を東海道本線に投入すると発表した。国鉄時代にデビューし、現在は東京から伊豆方面の特急「踊り子」などで活躍する特急形電車185系の引退が近づきつつあるようだ。185系といえば伊豆方面だけでなく、かつての特急「あかぎ」「草津」など北関東方面の特急列車という印象も強い。

  • 185系で運行された特急「あかぎ」(2012年撮影)

185系には旧信越本線横川~軽井沢間で機関車に連結され、碓氷峠を越えて信州へ足を伸ばす運用もあった。横川~軽井沢間は峠越えの難所であり、この区間を通る電車は電気機関車EF63形を連結していた。軽井沢駅への上り勾配は機関車が後押し、横川駅への下り勾配は機関車を先頭に連結して、強力なブレーキをかけて速度を保った。

碓氷峠区間は列車の運転上、手間のかかる区間だった。もっとも、当時は機関車の連結・切離しで停車時間が長かったため、駅弁が売れた。販売員の礼儀正しさも好感され、横川駅では「峠の釜めし」が有名になった。

1997年、新幹線高崎~長野間が開業。碓氷峠区間の乗客は特急列車が主だったから、新幹線が開業すればそちらに流れてしまう。在来線の少ない乗客のために、それまでのような維持費用はかけられない。横川~軽井沢間は新幹線開業時に並行在来線として第三セクター鉄道に引き取ってもらえず、廃止されてしまった。

横川駅にはかつて広大な機関区(機関車の基地)があった。現在、跡地は「碓氷峠鉄道文化むら」となり、国鉄時代の鉄道車両を展示する公園になっている。碓氷峠区間の鉄道の歴史を紹介する資料館とEF63形機関車展示施設もあり、どちらも往時をしのばせる写真が飾られている。その中に興味深い写真を見つけた。185系が電気機関車2両に連結され、峠区間を走る姿だった。

横川~軽井沢間で碓氷峠越えをする車両として、特急形電車の189系・489系、急行形電車の169系がよく知られている。これらの車両は「協調運転」といって、機関車と電車の制御系統も連結し、機関車の運転士が機関車と電車の両方を制御していた。

185系には協調運転のしくみがなかったけれど、横川~軽井沢間では協調運転の装置がない電車も走行できた。その条件は「8両以内」と「横軽対策済み」であること。もちろんEF63形の助けを得ることになる。ただし、協調運転のように電車のモーターは駆動しない。電車の動力は停め、客車に似た状態で電気機関車と連結し、電気機関車の力で走った。逆にとらえると、電車を客車として運行できる限界が8両だったから、もっと長い列車を走らせるために協調運転が考案されたともいえる。

185系は「踊り子」用の車両をそのまま使ったわけではない。碓氷峠で機関車に押してもらうため、機関車に踏ん張ってもらうために、連結器と台車の強化、空気バネの空気を抜いて車体を安定させるしくみなど「横軽対策」を施した車両が充当された。これらの車両は「踊り子」用の185系(0番台)と区別するため、製造番号を200番台とした。

185系200番台は上野駅から東北本線・高崎線方面の特急列車用として配置された。そして特急列車が走らない時間帯、休ませておくと効率が悪いため、碓氷峠越えの普通列車や快速列車にも運用されていた。185系はもともと普通列車から特急列車まで運用できる車両だから、深夜・早朝のあまり混まない普通列車にはぴったりだったわけだ。