今年3月のダイヤ改正で、小田急線からJR御殿場線へ乗り入れる特急列車の愛称名が「あさぎり」から「ふじさん」に変更された。この列車のルーツは気動車だった。当初、御殿場線が非電化だったからだ。この話は当連載第371回でも紹介した。

同様の事例が名古屋鉄道にもあった。専用の気動車を使用し、自社の電化区間を走行した後、非電化の高山本線へ直通した特急「北アルプス」があった。名古屋と観光地の高山・飛騨古川を結ぶ列車だった。一時期は富山駅まで足を伸ばし、さらに富山駅から富山地方鉄道に乗り入れ、立山駅に達するロングラン列車でもあった。私鉄から国鉄へ、あるいは国鉄から私鉄へ乗り入れる事例は多かったけれど、私鉄・国鉄・私鉄と3社を直通する特急列車は珍しい存在だった。

  • 富山地方鉄道に乗り入れた時代の特急「北アルプス」のルート(国土地理院地図を加工)

1978年当時の時刻表で特急「北アルプス」の行程を追ってみよう。まずは名鉄から富山地鉄へ。当時の始発駅は新名古屋駅(現・名鉄名古屋駅)ではなく神宮前駅だった。神宮前駅を9時25分に発車し、新名古屋駅は9時35分発。枇杷島分岐点から犬山線に入り、犬山駅を10時ちょうどに発車。鵜沼駅から国鉄高山本線に入り、美濃太田駅10時16分着・10時18分発。その後は下呂駅、飛騨小坂駅、久々野駅に停車し、高山駅には12時21分着・12時25分発。飛騨古川駅には12時40分着。ここまでは毎日運転されていた。

この先は臨時列車となり、4月から11月までの運転だった。猪谷駅13時18分着・13時19分発で、富山駅には13時53分に着く。富山駅を13時58分に発車した後、富山地方鉄道の線路に入った。寺田駅、五百石駅、岩峅寺駅、有峰口駅と停まり、立山駅には14時53分着。神宮前~立山間の所要時間は5時間28分、走行距離は約280kmだった。一方、立山発神宮前行は立山駅11時15分発・神宮前駅16時35分着で、所要時間は5時間20分。長距離・長時間とはいえ、便利な列車だったといえる。現在のように新幹線や高速道路、航空路が発達している状況からは想像しにくいけれど、当時は在来線特急列車の最盛期であった。

名鉄と高山本線の直通列車の歴史は古く、始まりは1932(昭和7)年とされ、名鉄の電車が高山本線に乗り入れた。高山本線は電化されていないため、名鉄の電車は鵜沼駅から客車列車に併結されたという。この乗入れは第二次世界大戦によって終了している。復活は1965(昭和40)年。名鉄が高山本線直通のために気動車キハ8000系を製造し、準急「たかやま」として神宮前~高山間で運行開始。翌年に準急から急行に格上げとなった。

1970年、急行「たかやま」から急行「北アルプス」に変更され、同時期に富山地方鉄道への乗入れを開始する。その後、1976年に特急列車に格上げされた。しかし1984年、富山地方鉄道への乗入れは廃止されてしまった。

名鉄と高山本線の直通運転は1987年の国鉄分割民営化後も継続され、名古屋鉄道・JR東海・JR西日本の3社乗入れとなる。ただし、1990年に「北アルプス」の運行区間は高山駅までとなったため、JR西日本への直通運転は終了している。1991年、名鉄は老朽化したキハ8000系の後継車として、新たにキハ8500系を導入。性能強化の効果もあって所要時間を30分も短縮し、JR東海の特急「ワイドビューひだ」との併結運転も開始された。

ところが、2000年までに名古屋から高山方面へ高速道路が延伸すると、自社の高速バスやマイカーなどに乗客を奪われたためか、「北アルプス」の利用者が減少する。JR東海の特急「ワイトビューひだ」と競合したことに加え、名鉄が気動車の運用から撤退する方針となったこともあり、2001年に特急「北アルプス」は廃止された。

その後、製造から10年ほどしか経っていないキハ8500系は会津鉄道に譲渡され、乗車券のみで利用できる「AIZUマウントエクスプレス」として運行された。後に「AIZUマウントエクスプレス」はJR磐越西線の喜多方駅や東武鬼怒川線の鬼怒川温泉駅まで顔を出すようになり、鉄道ファンを喜ばせた。しかし老朽化のため、2010年で運用を終了している。全5両のうち、中間車1両は廃車解体。2両は那珂川清流鉄道保存会で展示され、残り2両はマレーシアに旅立ち、急行列車として活躍しているという。