4月29日は「畳の日」。全国畳産業振興会によると、畳の日は年に2回ある。4月29日は「畳の原材料イグサが田園をみどり一面に染めて育つ春の記念日」、そして数字を逆にした9月24日は「冬の衣替えを前に、畳を上げて大掃除を推奨する日」だという。どちらも1997年制定というから、2017年は畳の日制定20周年である。おめでとうございます。
さて、鉄道と畳といえば、お座敷列車が思い浮かぶ。客室の通路を片側に寄せて、広々とした畳敷きにする。膳や座卓を並べて宴会に、疲れたら横になってうたた寝もできる。企業などの慰安旅行用として人気だったようで、1970年代には冷房付きお座敷客車のスロ81形・スロフ81形の編成が本州各地に配属されていた。
お座敷車両のルーツは戦前にあった。ただし「お座敷」というのんきな存在ではない。畳を敷いた客室ではあるけれど、用途は宴会用ではなかった。「病客車」といって、けがや病気の兵士を輸送する車両だった。形式記号は「ヘ」。疾病(しっぺい)の「ペ」から付けられたらしい(由来は諸説あり)。この記号の付け方は変則的だけど、「シ」は食堂車だし、病気の「ビ」から「ヒ」としたくても、すでに控車の記号となっていた。
病客車は当初、一等車や二等車の貸切扱いなどで代用されていた。大正時代に専用車両としての病客車が誕生する。担架に対応した大扉があり、室内も担架の移動に配慮していたという。中には車両の中央に病室、隣に付き添い用の部屋を備えた「走る病室」や、診察室・薬局を備えた病院列車もあった。
日中戦争から太平洋戦争にかけての時代、戦地や空襲で負傷した患者が急増すると、病客車では足りなくなってきた。そこで、多くの患者・負傷者を収容するために、板敷きや畳敷きの三等病客車が作られたという。その構造は後に作られた和式客車とほぼ同じ。片側の窓際を通路とし、畳敷きの大広間に仕立てた。
おもな乗客は病人とけが人だから、お座敷列車とは正反対の「乗りたくない列車」だったかもしれない。それでも戦地や被災地から病客車に乗せられた人々は、病院で手当を受けられるという希望もあったことだろう。乗らなければならない立場として考えれば、病客車に乗って安心できたかもしれない。
現在のような宴会目的のお座敷車両は、1960年に国鉄盛岡工場で製作され、既存車両を改造した和式の普通車として定期列車に連結された。1969年に団体用として6両編成が作られ、名古屋と長野に配置された。やがて本州の主要都市にも配置されていく。
その後、団体列車は座席車の人気が高まっていく。いまや和式の車両は貴重な存在となった。JR東日本の「リゾートエクスプレスゆう」「宴」「華」、三陸鉄道の「さんりくはまかぜ」、大井川鐵道の和式客車が現役だ。JR北海道のキハ183系お座敷改造車は4両中2両が廃車。JR北海道では臨時列車が減っており、残り2両も稼働の機会が少ない。
住宅の畳離れも進む中、実際には鉄道車両の畳離れのほうが進んでしまったようだ。しかし、全日本畳産業振興会によると、畳に使われるい草はCO2を吸収する効果があり、香り成分にはバニリンやフェトンなどリラックス効果があるという。吸湿性、求音性にも優れているそうで、畳の良さを見直す人も増えているらしい。
JR九州のクルーズトレイン「ななつ星 in 九州」をはじめ、5月1日から運行開始するJR東日本「TRAIN SUITE 四季島」、6月デビュー予定のJR西日本「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」の車内はいずれも洋室となっている。和室の旅館は外国人観光客にも好評のようだから、いつかは畳敷きの和室を採用したクルーズトレインも登場してほしい。