3月26日にTBS系列で放送されたドラマ『LEADERS II』は、トヨタ自動車がモチーフになっている。2014年に放送された前作『LEADERS リーダーズ』では、自動車の性能をアピールするため、名古屋~大阪間で急行列車と競争し、勝利する場面が描かれた。鉄道ファンとしては列車のほうに注目したい。ドラマのロケ地は大井川鐵道だったけれど、じつはこの列車、東京発大阪行で、後の寝台急行「銀河」だ。
急行列車と国産自動車が競争し、自動車が勝利する。これは実話にもとづいたエピソードだ。詳細はトヨタ自動車公式サイト「トヨタ自動車75年史」と、トヨタが運営する自動車ポータルサイト「GAZOO.com」で紹介されている。自動車は「SA型」といって、戦後初の乗用車だった。それまでの乗用車はトラック用のエンジンとシャーシに乗用車のボディを載せていた。しかしトヨタは小型車向けに1リッター4気筒のS型エンジンを完成させた。
当時、GHQは乗用車の生産を認めていなかったため、トヨタはSB型小型トラックを製造していた。1947年に乗用車生産が許可され、SA型小型自動車を発売する。愛称は「トヨペット」。四輪独立懸架、バックボーンフレーム構造を採用し、車体は流線型となった。この初代「トヨペット」SA型の性能をアピールするイベントが急行列車との競争だった。
1948(昭和23)年8月7日、名古屋駅4時37分発の急行列車と同時にSA型が走り出す。あらかじめ警察から制限速度を解除する許可を得て、悪路とガス欠に悩ませられながらも、全行程235kmを平均時速約60kmで走破した。大阪到着は4時間後の午前8時37分。急行列車の到着予定時刻は9時23分だから、46分も早く到着した。当時の鉄道距離は約194kmだったというから、遠回りの上に早着できたことになる。大勝利だった。
一方、悔しくも自動車に負けてしまった急行列車はどんな列車だったか。名古屋駅4時37分発とは、ずいぶん早い発車である。この列車は名古屋駅始発ではない。東京発大阪行の夜行急行列車で、列車番号は「11」だった。11列車は東京駅を前日の21時30分に出発し、品川・横浜・大船・小田原・熱海・沼津の順に停車。日付が変わって静岡・浜松・豊橋と停車し、名古屋駅は4時29分に到着する。4時37分に名古屋駅を発車した後、尾張一宮・岐阜・大垣・関ヶ原・米原・大津・京都と停車し、大阪駅到着は9時23分だった。
11列車は東京~大阪間を12時間近くかけて走った。そのラストスパートの部分でトヨタSA型と競争したわけだ。もちろん鉄道省側に競う意思はなく、ダイヤに忠実に走っただろう。使用された蒸気機関車は不明だけど、1948年といえばC62形の製造が開始された年で、8月7日までに4両が稼働していたらしい。当初は優等列車を担当したC59形と共通で運用されたというから、11列車の担当はC59形かC62形だったかもしれない。
11列車といえば、戦前は特急「燕」に当てられた栄光の番号だ。戦後、1947年に東京~大阪間の夜行列車として103列車が登場し、すぐに11列車に改番されている。日中の急行「燕」が1列車だったから、夜行列車の最上級といえる。この列車は上級客車も連結し、外国人観光客も多かった。トヨタSA型との競争に選ばれた理由も、外国へ向けたアピールという一面があったのだろう。12月には特別寝台車(後のA寝台車)も連結されている。
競争から1年後の1949年9月、11列車の列車番号は15列車に変更され、「銀河」という愛称が付いた。1等車・2等車のみ連結するという豪華列車だ。その後、1950年に運転区間が神戸駅へ延長され、1961年に寝台列車となった。1964年に食堂車が連結され、翌年には3等座席車が復活し、姫路駅まで延長された。1968年に「銀河」は2往復体制となって、1972年に2往復とも運行区間が東京~大阪間に戻された。1975年に1往復が臨時列車となり、1976年に20系客車化される。この頃がブルートレインブームの最盛期だ。
寝台急行「銀河」は1985年に14系客車となり、翌年に24系25形客車となった。それから22年後、2008年3月のダイヤ改正で廃止された。最後のダイヤでは、下り列車は東京駅23時0分発で、名古屋駅を通過し、大阪駅到着は7時18分となっていた。
競争相手だった「トヨペット」SA型は、1952年までに213台が製造された。急行列車に勝利して話題になったとはいえ、性能も、商業的にも成功とはいえなかったようだ。しかし、この経験を礎として「トヨペット・クラウン」が生まれ、国民車を作るという理想は「コロナ」「カローラ」へと続くことになる。
世界のトヨタへと導いた国産小型車はモータリゼーションの波を作り、その余波で寝台列車は消滅した。「トヨタは夜行列車に2度勝利した」といえそうだ。
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