年明けから始まる本格的な受験シーズンを前に、南海電鉄が11月7日から「学文路駅入場券」を販売する。「学文の路に入る」という縁起をかつぎ、受験のお守りとして人気がある。地名の由来は付近の学文路天満宮から。学問の神様、菅原道真公を祀っているそうで、きっぷは学文路天満宮で祈祷済み。御利益がありそうだ。
同様の縁起きっぷはJR四国の学駅や紀州鉄道の学門駅にもある。学文路駅も含めて、これら3駅は無人駅だから、本来は入場券がなくてもプラットホームに入れる。だから入場券は実用ではなく、縁起きっぷのためだけに販売されている。
学駅の名は地名に由来する。地名の由来は駅舎に掲示されていて、「この土地の了慶寺という寺に学徳の高い名僧がいて、たくさんの人が学問を習いに来たという故事がある」とのこと。販売場所はJR四国各駅。通信販売も実施する。通年販売となっていて、年末からの受験シーズンは東京・神田の書泉グランデでも買える。年始には学駅でも臨時発売されている。
学門駅は文字通り県立高校の門があったから。それを「学問」にかけて、入学だけではなく、学業全般のお守りとして販売されている。販売場所は隣の有人駅、紀伊御坊駅だ。受験シーズンのピークは年明けから3月頃だけど、推薦入試なども含めると、時期は広範囲にわたる。「入学」の縁起きっぷは通年販売できる商品といえそうだ。
こうした「受験祈願きっぷ」のルーツはJR四国の学駅だ。国鉄時代から誰ともなく流行り始めた。当初はごく普通の硬券入場券をお守りや記念に買う人がいて、後に「5枚でご(5)入学」として話題になった。現在は5枚セットでお守り袋付きの商品がある。
普通の入場券が「入学」に結び付いた理由は、当時の硬券きっぷのデザインにあった。硬券のきっぷはおとな用・こども用の区別がなかった。こども用として販売する場合は、きっぷの右側を斜めに切り落とす。切り落とされた紙片は駅に控えとして残る。
そこで、「どんなきっぷをこども用として売ったか」をわかりやすくするため、紙片側にもきっぷの種類を印刷した。乗車券の場合は区間、入場券の場合は上に「入」の字、下に駅名という様式だ。学駅の場合、上に「入」で、下に「学」が入る。意図せずに様式に従っただけだけど、これをタテ読みすると「入学」になる。これが入学記念、あるいは入学祈願のお守りに転じた。
現在も受験縁起きっぷは特別なデザインではなく、昔ながらの硬券きっぷのデザインを残している。その理由は、まさしく券片の右側のタテ読み部分を残すためである。
入場券の本来の役割は「キセル防止」
そもそも入場券とは何か。本来の使い方は「列車に乗らない人が改札口に入るため」、つまり、駅の入場料の控えだ。旅立つ人をホームまで見送ったり、あるいは出迎えたりするために使う。原則としてホームまでの入場が認められ、停車中の列車内には入れない。実際には入場券を持っている人が車内まで見送ったり、荷物を運んであげたりする人がいるけれど、本当はダメ。もっとも、厳しく取り締まる事例は少ない。
大きな駅になると地域を分断してしまうため、駅の反対側に向かうための通路として駅に入る人もいる。そんな人のために「定期入場券」も販売されている。最近は改札内にある店舗、いわゆる「エキナカ」も魅力的で、ショッピングのために入場券を買って駅に入る人もいるようだ。
しかし、入場券が誕生した理由は、見送りや出迎えの人の便宜を図るためや、駅の施設を利用する人のためではない。もちろん記念きっぷで稼ぐためでもない。じつは不正乗車防止のためだった。
初めて入場券を販売した鉄道会社は山陽鉄道だ。後に国に買収されて山陽本線となる路線の前身である。食堂車や寝台車、有料急行列車の元祖としても知られる会社だ。当時は列車に乗る人だけがきっぷを持っていた。見送りや出迎えの人はきっぷは不要。それをいいことに、きっぷを持たずに列車に乗る「タダ乗り」が横行した。見送る人のふりをして列車に乗り、出迎える人のふりをして列車を降りる。駅で怪しい人を見かけても、出迎えや見送りだと言われたら逃れられる。
そこで、山陽鉄道は1897(明治30)年に「プラットホーム入場券」を発売した。入場券がなければ駅構内には立ち入れない。駅名が記載されているから、入場券で列車に乗っても、降りた駅でその駅の入場券を持っていないから、タダ乗りしたとすぐわかる。このアイデアを官営鉄道も採用し、全国的に広まっていったというわけだ。