普段、ICカード乗車券を使っていると、近距離で紙のきっぷを使う機会は少ない。きっぷといえばどんなイメージだろうか。「薄い色の紙に駅名や日付、料金が印刷されている」というイメージかもしれない。惜しい。きっぷの紙の表面には色が付いていない。文字や線がびっしりと印刷されている。これを地紋という。
きっぷを拡大して見てみよう。JR東日本の近距離きっぷは、幾何学模様の中に「JR」と「E」の文字が印刷されている。長距離きっぷも色は異なるけれど、同じ模様と文字だ。光にかざすと、「JR」のロゴマークが大きく反射する。
東京メトロはロゴマークが大きく描かれていてわかりやすい。都営地下鉄は東京都のマークの他に「東」「京」「都」の漢字を図案化した柄が入っている。
京王電鉄と小田急電鉄は同じ柄で向きが違う。じつは、関東の大手私鉄をはじめ、私鉄各社で同じ地紋を採用している会社が多い。「てつどう」と「PJR」の文字が入っている。きっぷ収集家は「PJR地紋」と呼んでいるようだ。
なぜ同じ柄かというと、同じ用紙メーカーから仕入れているからである。用紙の柄を共通化すれば大量生産できる。きっぷの用紙代が安くなるというわけだ。かつて東武鉄道は社章が入ったオリジナル地紋の用紙を使っていたけれど、最近はPJR地紋を使っている。
ところで、「PJR」とはどんな意味だろう。きっぷ用紙を印刷している会社、山口証券印刷の公式サイトによると、「PJR」は「PRIVATE JAPAN RAILWAYの略」とのこと。直訳すると「私有、日本、鉄道」だ。つまり私鉄という意味になる。
用紙を共通化してコストを下げるなら、JRも東京メトロも都営地下鉄も同じ地紋を使えばいいのに……と思う。しかし、PJR地紋の意味を考えると、かつて国鉄だったJRグループでは使いにくい。都営地下鉄も私鉄ではなく公営事業だ。東京メトロは日本民営鉄道協会に加入しているけれど、大株主は日本国(財務大臣名義)と東京都で、株式を公開するまでは私鉄とはいえない。
きっぷの裏面は茶色または黒だ。この色は磁性体の色だ。きっぷはロール紙の状態で券売機にセットされ、きっぷの販売時に磁性体部分へ行先や日付、料金などの情報が書き込まれる。きっぷの表面は感熱紙になっていて、熱転写プリンターや家庭用ファクスと同じしくみで印刷される。最近のJRの長距離きっぷは、裏面にも注意書きが印刷されている。これは磁性体を塗った後で、あらかじめ印刷している。
JRの長距離きっぷの用紙は王子製紙グループが開発した「2色マルス券」だ。マルスはみどりの窓口の発券システムの名前だ。この用紙も感熱紙だけど、黒と赤に変化する成分を含んでいる。用紙に熱を与える「サーマルヘッド」という部分で、熱エネルギーや濃度を変化させると、黒だけではなく赤色も出せる。
ただし、現在は2色印刷機能を運用していないようだ。JRのきっぷは広範囲で発券できるし、マルスも全国規模で展開しており、端末数も多い。すべての機械が2色印刷に対応しないと使いづらい。ではなぜ先行して「2色マルス券」を使っているかというと、2色印刷以外にいくつもの偽造防止技術が採用されているからだ。詳細は非公開とのことだが、2色印刷は機能のひとつにすぎない。
ICカード乗車券の普及によって、かつては誰もが知っていた紙のきっぷの地紋も、いまやトリビアといえそうだ。