JR阪和線は、天王寺駅と和歌山駅を結ぶ61.3kmの複線電化路線だ。他に鳳駅と東羽衣駅を結ぶ支線があり、こちらは「羽衣線」と呼ばれている。阪和線の本体は、大阪と和歌山を結ぶだけでなく、関西空港アクセスや、紀伊半島と大阪中心部を結ぶ役割の一部を担っている。看板列車は関空特急「はるか」と紀伊半島方面の特急「くろしお」だ。「くろしお」は289系導入にともない、10月30日限りで初代振り子電車381系が引退する。
阪和線の海側には南海電鉄南海本線が並行しており、関空アクセスや阪和間でライバル関係にある。南海電鉄の関空特急「ラピート」は、アニメやLCC、映画『スター・ウォーズ』とタイアップした特別仕様が話題になっている。難波~和歌山市間の特急「サザン」も2011年から新型車両が導入された。
ところで、近畿圏の鉄道はライバル関係が多い。阪神間はJR西日本・阪急・阪神が並行し、京阪間はJR西日本・阪急・京阪が並行する。阪急電鉄と阪神電気鉄道は経営統合され、もともと京阪だった路線が阪急京都線になるなど、単純な競争相手ではなく、複雑な事情も絡み合う。鉄道趣味的には、これが近畿圏の鉄道史の面白さだ。
そして阪神間・京阪間と同じように、阪和間のライバル関係も複雑で面白い。なんとびっくり、南海本線と阪和線が同じ会社によって運行された時期もある。単なるライバルというだけではなく、兄弟だった時期があるという。おもな理由は阪和線の成り立ちだ。
阪和線も南海本線も南海鉄道だった
阪和間の最初の鉄道は1903(明治36)年、南海鉄道によって難波~和歌山市間が開通した。現在の南海電鉄南海本線だ。一方、阪和線はそれに遅れること26年、1929(昭和4)年に阪和電気鉄道によって天王寺~和泉府中間が開業する。現在の「羽衣線」も同時に開業した。その1年後に和歌山まで通じて全線開業となった。
阪和電気鉄道の出資には京阪電気鉄道が関わっていた。京阪はなかなかの野心家だ。阪急・阪神の競争を見て、こうなるまいと京阪間に新京阪線を建設した。次に、南海鉄道の独占だった阪和間に注目したというわけだ。これに鉄道省も後押しした。鉄道省は南海鉄道の買収に失敗した上に、財政難で阪和間の鉄道建設計画が宙に浮いていた。鉄道省から阪和電気鉄道への免許の条件は、紀勢本線との直通運転と、将来の国家買収の可能性を否定しないことだったという。
阪和電気鉄道は南海本線に対してスピードで勝負するため、農村地帯で直線的に線路を敷いた。しかし、これが経営難のきっかけとなった。南海本線は海沿いの町を結んでいたため、集客力があった。しかし、当時の阪和電気鉄道沿線は人が少なく、区間内の乗客が少なかった。経営難に陥った阪和電気鉄道は1940年、なんとライバルの南海鉄道に買収されてしまう。阪和線はこのとき、「南海山手線」となった。南海本線と南海山手線。別々の会社であればライバルだけど、同じ会社となれば複々線になったようなもの。南海鉄道は山手線を阪和間の急行線として活用した。
だが、1938年に陸上交通事業調整法が制定されていた。国家戦略によって鉄道やバス会社を整理統合するための法律だった。この法律の下、1944年に南海山手線は国有化された。南海鉄道自体も関西急行鉄道が合併し、近畿日本鉄道となった。いわゆる戦時合併だ。
戦後の1947年、近畿日本鉄道は南海鉄道の路線を南海電気鉄道へ分離譲渡する。しかし南海山手線は国有化されたまま南海電鉄には戻らず、そのまま国鉄の路線となり、JR西日本に継承された。こうして、南海本線と阪和線は再びライバル関係になった。
まとめると、南海本線と阪和線は、1940年から1944年までの約4年間、南海鉄道という同じ会社の路線だった。その後、南海本線と阪和線のライバル関係は復活する。関西空港が開業すると、関空アクセス路線としても、南海電鉄とJR西日本はライバル関係となった。ただし、両社はりんくうタウン~関西空港間では線路を共用している。ライバルと意識しつつ、協調するところもあるわけだ。線路に感情があるとしたら、阪和線と南海本線はお互いにどんな気持ちなんだろう?