銚子電鉄の「ぬれ煎餅」、いすみ鉄道の列車をかたどった「もなか」など、鉄道を題材とした食品がたくさん販売されている。鉄道書籍の品ぞろえで有名な東京・神田の「書泉グランデ」、東京・秋葉原の「書泉ブックタワー」には鉄道食品コーナーがあって、秩父鉄道の「石炭あられ」やJR九州の観光列車型のボトルに入ったお酒も売られている。
東京スカイツリーのそばにも「元祖ローカル線本舗」があり、全国のローカル線が販売する鉄道食品がそろっている。鉄道博物館のショップも新幹線や蒸気機関車(SL)にちなんだお菓子がある。そういえば新幹線車両や小田急ロマンスカーの箱に入った駅弁もある。鉄道ファン向けアイテムとして、食品という分野は定着した感がある。
ところで、戦中・戦後の時刻表に「鉄道パン」なる商品を見つけた。鉄道食品のルーツかと思ったけれど、物資の乏しかった時代だし、国民にそんな余裕はなかっただろう。汽車の形をしているはずもない。どうやら、現代の鉄道食品のような楽しいものではなかったようだ。
前回も紹介した日本釀造協會雜誌の論文『「駅売弁当」の変遷(1)』の続編『「駅売弁当」の変遷(2)』(小田きく子著)によると、「鉄道パン」は第二次大戦末期の1944(昭和19)年4月に誕生したという。海藻と野菜が入ったパンとのことだ。なんだかヘルシーな印象だけど、物資不足で政府の食料統制下の頃である。小麦粉などの穀類が不足して、海藻や野菜を混ぜたと思われる。あんまり美味しそうな気がしない。
「鉄道パン」誕生のきっかけは食堂車の廃止だった。1940(昭和15)年の米穀統制令によって飲食店の米飯提供が禁止され、和食の食堂車を廃止。洋食のみの食堂車も1944(昭和19)年4月、全面的に廃止された。しかし、長距離列車では旅客の食事確保も必要だ。そこで、「五目弁当」(40銭)と「鉄道パン」(10銭)の販売が始まった。販売元は日本食堂だった。これを車内販売のルーツとする文献も多い。だが前回も紹介したように、1897(明治30)年に関西鉄道が列車内に売店を開いていた記録があるから、正しくは「客席巡回販売」のルーツとなるだろう。
「鉄道パン」は2005年の鉄道フェスティバルで復刻販売された。当時の販売元、日本食堂の継承会社「日本レストランエンタプライズ」が出典販売したのだ。価格は200円。当時の紙包みを再現し、全粒粉入りのコッペパンだった。水分が少なく、かなり固かった印象がある。ただし、海藻や野菜を練り込んだようには見えなかったから、レシピまで再現されたわけではなさそうだ。
ちなみに、「海藻パン」を検索してみたら、各地のパン屋さんなどで販売されている。写真はどれも美味しそうで、「鉄道パン」とは隔世の感があるようだ。
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