東京駅丸の内駅舎の保存・復原工事が進行しており、来年3月には外観を見られる予定だという。この駅舎を設計した建築家は辰野金吾氏で、1914(大正3)年に中央停車場として竣工された。
辰野氏は東京駅のほかにも、日本銀行本店や明治生命会社など、当時の大企業の建物を次々と手がけた。渋沢栄一氏ら、財界人の邸宅も設計したという。また、釜山停車場、南海鉄道難波停車場、阪堺軌道恵美須町停車場、万世橋停車場といった鉄道駅の建築にも関わった。
その中でも、彼の初めて手がけた鉄道駅が、南海電鉄の浜寺公園駅。彼の所属した辰野・片岡建築事務所の設計で1907(明治40)年に建築され、なんと100年以上を経たいまも現役で使われている。
浜寺公園駅は大阪府堺市にあり、難波駅からは南海本線の普通電車で28分ほど。都心に近いとはいえ、平日朝に難波方面の準急が3本停車する以外は普通しか停まらず、特急も急行も通過する。阪堺電軌軌道阪堺線との乗換駅ではあるが、大ターミナルというわけではない。そんな駅で、当時の大建築家がなぜ駅舎を設計したのだろうか。
浜寺公園駅は「リゾート開発のシンボル」だった
浜寺公園駅は、その名が示す通り浜寺公園への最寄り駅だ。
同公園は、1873(明治6)年に公園に指定された大阪で最も古い公園のひとつ。ここはもともと万葉集にも詠まれた美しい松林があり、1906(明治39)年には南海電鉄などが海水浴場を整備。東洋一の規模と評判になったという。南海電鉄は1907年に浜寺駅を浜寺公園駅と改称し、現代風にいえば「リゾート開発のシンボル」として駅舎を改築する計画を立てた。
当時、駅付近は公園や海水浴場を目当てに、夏だけで約100万人の利用者があったといわれる。また、上流階級の利用者も多く、別荘も建てられた。そこで南海電鉄は、当代きっての建築家だった辰野金吾氏率いる辰野・片岡建築事務所に、駅舎の設計を依頼したというわけだ。
設計にあたっては、従来の機能本位の駅ではなく、サロンとしての機能も持たせるため、高級感のある一等待合室もつくられた。外観は当時の迎賓館である「鹿鳴館」に通じる姿にしたといわれる。
辰野氏の建築は重厚な大型建築で知られており、個人宅以外でこのような木造建築を手がけた例は極めて珍しいといえるだろう。
浜寺公園駅は現在、「私鉄最古の駅舎」としても鉄道ファンに親しまれている。かつてあったという海水浴場は廃れてしまったが、いまでも同駅付近は、別荘地の歴史を受け継ぐ高級住宅街として知られる。そうした町の気品の維持に、高級感あふれる駅舎も大きく貢献しているようだ。