本作はアメリカ演劇界で最も高い権威を誇るトニー賞とピュリッツアー賞のW受賞という功績を得た大ヒット舞台劇の映画化です。原題でもある"ダウト"とは、 "疑惑"の意。有名なトランプゲームもあるほどです、いくら英語に疎い人でもピンと来る人は多いはず。 あるカトリック学校で厳格で冷徹な校長を務めるシスター・アロイシスは、ある日、新任教師であるシスター・ジェイムズが目撃した"ある出来事"を耳にし、信望の厚い神父に"疑惑"を抱きます。その"疑惑"がやがて徐々に大きくなっていき……おおっと、あらすじはここまで。早速予告編を観ていただきましょう。

冒頭のメリル・ストリープ演じるシスター・アロイシスが放つ一言

「この神聖な学校で ―― 許されない問題が起きています」

自分より年上に見えるシスターの質問も憮然と跳ね除けるこのシスター、結構なお偉いさんのようですが、実はこのカトリック学校の校長、シスター・アロイシスです。彼女の様子を見ていると、かなり厳しいみたいで生徒から恐れられているだけでなく、気さくな印象の神父からも同じく恐れられているようです……。

ここで神父の「時代は変わった 教会も変わるべきだ」という言葉で二人の位置が対照的なものになります。

生徒からも恐れられる校長先生

そして一転、いかにも世間知らずで清純そうなシスター・ジェイムズの「神父が生徒を呼び出して─」という台詞に続けて

"ある疑惑が……一滴の毒のように……心に広がってゆく"

シスター・アロイシスと神父の激しい応酬から、シスター・ジェイムズが困惑している様子が伺えます。そして更には

"真実か? 妄想か?"

と観客に疑問を投げかけて来ます。果たして、その"疑惑"は、真実なのか?妄想なのか?

予告編にも登場しましたが、本作のキャッチコピー「それは、人の心に落とされた"疑惑"という名の一滴の毒……」にもあるように、厳格で頑なな校長の耳に入ったその"疑惑"はまさに"一滴の毒"。たった一滴でありながら確実に関係する人々の心や関係を蝕んでゆきます。

この予告編はアメリカで作られたトレーラーのコピー部分を日本のオリジナルに変えたもの。アメリカ版では"そこには証拠もない。そこには目撃者もいない。"というニュアンスだったものを"ある疑惑が…一滴の毒のように…心に広がってゆく"というコピーに変更したそうです。

また、通常でも日本語字幕は「意訳」はされているのですが、この予告では、シスター・アロイシスが、より自分の確信に基づいた「疑惑のモンスター」になっているようにと意識して訳がつけられました。

中でも特徴的なのが、最後の

「私には見えます。私にだけは見えるのです」

という言葉。

「この言葉は単に訳すと"私は、なされるべきことをやるだけ。聞く耳を持ちなさい、そうすれば過ちがわかるはずです"というニュアンスですが、より彼女の固執を強調するために意訳しています」と語るのは、この映画を配給したディズニーの担当者。確かにちょっとしたニュアンスで受け取る側の意識は全く変わるもの。字幕の方がシスター・アロイシスの恐ろしさが伺えます。

"妄執"という言葉が"迷った心で、物事に深く執着すること(大辞林)"なら、彼女のそれは "迷いのない執着"。まあ、狂信的ではありますが。

また、原題の「Doubt」は、日本で出ている翻訳本や昨年文学座で公演が行われた時の舞台のタイトルは「ダウト─疑いをめぐる寓話」となっていますが、今作では『ダウト~あるカトリック学校で~』と変えられています。これには以下のような意図があるのだそうです。

「『ダウト』という原題は、シンプルで分かりやすい言葉ですが、逆に言うとそこから発想されることを補填してあげないと、そこで止まってしまいます。映画では、コピーにもあるように "神聖なはずのカトリック学校で何が起こったのか?"というのがこの映画のポイント。「ミステリー」的な要素を加味したいと思い、"疑惑"をめぐるストーリーが、"あるカトリック学校で"繰り広げられる、ということをタイトルに入れ込んでいます」。

一つの作品が私たちの目に届くまでには、そうした様々な工夫や仕掛けが施され、より作品を楽しむためのエッセンスや、時として映画に入り込むための基本的な概念という大きな役割をも担うわけです。

さて、本編ですが、主要人物は

  • 新しい時代の息吹を感じさせる新進的な神父
  • 古い価値観を重んじる厳格な校長
  • そして純真な新米教師

という聖職者3人。

メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマンといえば、どちらもアカデミー受賞経験のある名優中の名優。二人が繰り広げる白熱した激論を観る者は、息を呑まずにはいられません。

そして注目したいのが、残りの一人、純真無垢な新任教師シスター・ジェイムズを演じたエイミー・アダムス。『魔法にかけられて』でキラキラふわふわの能天気なお姫様を好演し日本で一躍知名度を上げた彼女ですが、全く毛色の違うシリアスな本作でも、見事に2人の名優と渡り合っていて、先日行われたアカデミー賞の助演女優賞にノミネートされるのも納得! 純真で頼りなげな若きシスターを熱演し、対峙する二人の真偽をくっきりと浮き彫りにします。

『魔法にかけられて』のジゼルを知っている人ならきっと驚く別人っぷりです

彼女の演じるシスター・ジェイムズの存在というのは、いわば観客である私たちそのもの。観客は彼女と同じ立ち位置で、神父や校長の信念を信じたり疑ったりと揺れ動きます。 なんと、この主要人物である3人とも、先日のアカデミー賞にノミネートされたのですから、この見事な緊迫のアンサンブルは必見です。

予告編のラストで"ダウト"の"ウ"の文字がくるりと回転しますが、これは本作が最後の最後まで、あるいは観る人によっても真実は何なのかが異なる非常にスリリングな映画で、観ている間も何度も何が真実なのかひっくり返るので、ポスター同様「ウ」をひっくり返すのを踏襲したそうです!

この象徴的な"ウ"の文字を思い浮かべ、二転三転する濃密な信念の戦いの渦に、身を委ねてください!

3月7日より全国ロードショー。


STORY

『ダウト~あるカトリック学校で~』 1964年、ニューヨーク・ブロンクスに佇むカトリック系教会学校の校長、シスター・アロイシス(メリル・ストリープ)は市民からの信頼も厚い神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)の下、信心深く厳格な日々を過ごしている。ある日、純真な新米教師、シスター・ジェイムズ(エイミー・アダムス)の目撃談を聞き、人気者の神父に小さな"疑惑"を抱き始める……


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かつらの予告編★ジャッジ

内容バレバレ度 ☆☆☆
本編との共鳴度 ☆☆☆
ハラハラ緊迫度 ☆☆☆☆

春錵かつら(はるにえ・かつら)

映画予告編評論家 / ライター

CMのデータ会社にて年間15,000本を超える東京キー5局で放送される全てのCMの編集業務に3年ほど携わる傍ら、映画のTVCMについてのコラムを某有名メールマガジンにて連載。2004年よりフリーライターとして映画評論や取材記事を主とした様々なテーマを執筆しながらも大手コンピュータ会社の映画コンテンツのディレクターを務めたのち、ライター業に専念、現在に至る