今回ご紹介する作品は2008年上半期、韓国で最も多くの観客動員数をあげ、大ヒットを記録した『チェイサー』。失踪した従業員女性を追う元刑事のデリヘル経営者が、いつの間にか連続猟奇殺人事件に巻き込まれ、容疑者の狂気に翻弄されるクライム・サスペンスです。思わずコブシをぎゅっと握りしめてしまうような緊迫感が片時も途切れない本作の予告編がこちら。
まず目に飛び込むのは真っ黒な画面。チャリチャリというちょっと不気味な金属音の直後、その正体が鍵の音であることに気づきます。一人の青年が扉を開け、豪奢な邸宅に
「どうぞ」
と女性を招き入れます。
一変して先ほどの女性がスリップ姿一枚で拘束されて横たわっているシーンが。痛々しげな金属音を立てて、重そうなバッグがドサッと投げ置かれます。きっと中身は……凶器。たやすく想像できてしまう、恐怖感を煽る不気味な導入シーンです。
「お前が消えても 誰も探さないさ」
振り上げた金槌が振り下ろされた瞬間、場面は街並を映します。
「うちの女の子が2人も逃げてしまって」と語るのは追う男、元刑事のデリヘル経営者、ジュンホ。この物語の主人公です。彼は自分の会社で勤める女性たちがお金を持ち逃げしたと踏んでいる様子。彼女たちに対する怒りが、彼女たちを捜し出すための原動力になり、物語は始まります。一方、追われる傷だらけの容疑者はヨンミン。ふてぶてしい姿が印象的です。
「殺したのか?」
という警察の問いに、「一人だけまだ生きてる」と呟く容疑者。ここで再び予告編の最初で拉致された女性を映し出しますが、彼女はまったく動きません………と思ったら、深く呼吸を一回。ああ!! 生きてた!! 良かった!! 思わず固唾を呑んでしまう、張り詰めた雰囲気にぐいぐい引き込まれていきます。ここで大々的に、こんな言葉が現れます。
韓国を震撼させた連続猟奇殺人事件を映画化
そうです。本作は2003年に実際に起きた2つの事件、特に韓国で21人もの被害者を出した韓国犯罪史上稀に見る連続猟奇殺人事件を基に制作されました。こんな事件が現実にあったんだ……このショッキングな事実に、観客は動揺しながらもいよいよ目が離せなくなっていまいます。
必死に逃げる容疑者と追う男、一斉に犯人逮捕に乗り出す警官たち。いくら自供しようが、一時的に身柄を拘束していようが、証拠がなければ逮捕も出来ません。
「釈放したら、女の命は?」 「もう死んでるよ」
必死なジュンホに対し、警察の心無い一言!! 携帯が鳴り響き、女性の泣き声交じりのメッセージが流れます。
「すごく怖くて もう耐えられない」
ここで『チェイサー』のタイトルが現れ、容疑者が不敵な笑いをこぼすところで予告編は終了!! んがー!! 容疑者が憎たらしくて仕方ありません!!
日本でオリジナルに作られたこの予告編。冒頭にもあったように、本作はハリウッドでのリメイクが決定しています。宣伝を行ったクロックワークスの担当の方によると「役者もノーネーム、監督もこれがデビュー作というマイナス要素はあるものの、内容には絶対の自信があったので、まず多くの日本人映画監督に映画をご覧いただき&コメントをいただきました。そこで応援くださる監督名をまず冒頭で出させてもらい、品質保証済みの作品であることを打ち出しました」とのこと。 さらに、韓国映画という枠を超えて世界からも注目されていることを伝えるため「ディカプリオによるリメイク」というテロップを頭に付け、そのあとに続く予告編に対して"韓国映画だから"といった偏見を持たずに観てもらえるようにと注意を払ったそうです。
また、「シネコンでも上映されることを考慮し、衝撃的な描写を避けつつも、 映画の持つヒリヒリする焦燥感、そして疾走感と圧倒的なパワーを少しでも感じてもらえるよう、意識して構成を組んでいきました。」とおっしゃるその作品自体の強さは、予告編だけでも確かに感じることが出来ます。
さて「映倫」という言葉を皆さんはご存知だと思いますが、これは「映画倫理規程」あるいは「映倫管理委員会」の略称。日本国内で上映される映画の殆どは、この映倫管理委員会の検閲を通ります。 日本で公開される映画には、現在
- なし (全年齢)
- PG-12 (12歳未満鑑賞制限)
- R-15 (15歳未満鑑賞禁止)
- R-18 (18歳未満鑑賞禁止)
といった規定があります。より多くの人に観てもらうために、配給されてきた作品は血の色の鮮やかさを落としたり、過激な描写をカットしたり……。あるいはモザイクをかけたりと様々な工夫や苦労が施されます。本作はオリジナル版はR18指定ですが、映倫からR15にするために作品に手を加えてしまうのは勿体無いので、なるべく手を加えずにR18のままで上映した方が良いと高く評価されたエピソードもあるほど。最終的には一部シーンで血の色の鮮やかさをトーンダウンし、R15での上映が決定したそうです。
さて、本編をご覧になると気づくかもしれませんが、実はこの作品、登場人物の背景が殆ど描かれていません。追う男であるジュンホが、元刑事で現デリヘル経営者なのは判っても、なぜ刑事を辞めるに至ったのか詳細は描かれていない。それと同様に、容疑者であるヨンミンも、今までどんな人生を歩んできたかが詳しくは語られていない。拉致・監禁されることになるデリヘル嬢のミジンも、なぜこの職業をしているのかはハッキリとは判らない。
映画でもそして小説でも、主人公そしてその他の登場人物たちに感情移入してもらうために、多くの作品ではその人物の背景を描くという手法をとっていますが、本作はそういった感情移入するための材料を排除しているのに、いつの間にか観客は被害者の気分で、あるいは追い手の気分で、ドップリと物語にのめり込んでしまっている…お見事としか言いようがありません。
本作で鮮烈な長編デビューを果たしたナ・ホンジン監督は、題材となった事件でも、捜査する人間たちの被害者への対応が当初軽んじられたこと、また迷走する捜査に憤りを感じたそうで、その怒りをそのまま作品に投影しています。本作を観ていても、容疑者を追い詰める警察の手際の悪さにイライラ…!! 彼が感じた"怒り"こそが、出演者の背景を描かずとも観客の心を掴んで離さないこの映画の強さの理由なのだと感じずにはいられません。
韓国では大ヒットを記録した本作、監督はもとより、追う男を演じたキム・ユンソク、容疑者を演じたハ・ジョンウ、そして被害者を演じたソ・ヨンヒ、3人なくしてこのヒットはありえないと断言できる鬼気迫る名演は必見です。
雇っていた女を追う男が一変、殺人鬼を追う男に、ヨンミンは女たちを追い、警察官は時として主人公を、時としてヨンミンを追う。マスコミは情報を追い、娘は母の姿を追い求める─。様々な"追跡者(チェイサー)"が交錯する本作、あなたもこの映画が内包する"強さ"を是非、チェイスしてください。
かつらの予告編★ジャッジ
内容バレバレ度 | ☆☆☆ |
---|---|
本編との共鳴度 | ☆☆☆☆ |
ヒリヒリ焦燥度 | ☆☆☆☆☆ |
『チェイサー』
元刑事のデリヘル経営者・ジュンホは、雇っている女たちが相次いで姿を消したことに「逃げ出したか!?」と怒り心頭で女たちの捜索を始める。そんな中、ある常連客に失踪の手掛かりを見出し格闘の末に身柄を確保するが、警官に連行された先で取り調べに対しその男は「女を殺した」と驚愕の自供をし始めるのだった─―
5月1日(金)よりシネマスクエアとうきゅう他全国ロードショー
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春錵かつら(はるにえ・かつら)
映画予告編評論家 / ライター
CMのデータ会社にて年間15,000本を超える東京キー5局で放送される全てのCMの編集業務に3年ほど携わる傍ら、映画のTVCMについてのコラムを某有名メールマガジンにて連載。2004年よりフリーライターとして映画評論や取材記事を主とした様々なテーマを執筆しながらも大手コンピュータ会社の映画コンテンツのディレクターを務めたのち、ライター業に専念、現在に至る