これまで、富山でのアクティブな情報を連載してきた。しかし侮ることなかれ。北陸に位置する古都・富山にはありとあらゆる文化的な一面もあるということを忘れてはいけない。
体験ツアーで疲労の残る体に鞭を打ちながらも、アキレス腱の痛みにしかめっ面の取材班。来るものは拒まずの精神で向かった先は、富山県随一のアート&クラフトの土地、高岡市金屋町。この地は1609年、加賀藩の初代藩主・前田利長が高岡城を築城。この町を開き繁栄を図るため、1611年(慶長16)に金森弥右衛門ほか7名の鋳物師を礪波郡西部金屋村(現・高岡市戸出西部金屋)から今の金屋町に移住させ、高岡銅器産業の中心となった町なのだ。そのため、市街地には今でも飛騨・高山のような古い街並みが残っている。
そんな歴史の香り高きこの町に、今、多くのアーティストたちが集まっている。そして「金屋町金属工芸工房 かんか」こそ、その中心となる工房なのだ。2012年9月のオープン以来、富山県に住む若手の金属工芸作家たちが中心となり、ショップとギャラリーを兼ねた工房をオープンさせた。そのメンバーは、工房の代表でもある槻間秀人氏。現在のメンバーは、20代、30代を中心とした金工作家ほか15名。それぞれ独創的かつ個性のある作品を展示している。
そこには、これぞ職人魂という力の入った作品が並ぶ。どれも手に取って、思わず購入してしまいたくなる衝動に駆られてしまう。金属の無機質さの中に、人の手が加わることで生まれる柔らかさが何とも魅力的なのだ。
厚かましい取材班は、どうしてもその作品ができるまでを見たくて仕方がない。そのとき、ちょうど若手作家の平戸香菜さんが工房に立ち寄ったのだ。早速、実際に制作している過程を見たいと懇願すると、何でも翌日出荷する作品を仕上げなければいけないというタイミングではないか! 願ったりかなったり、彼女の返事もろくに待たず、さっさとその後ろにくっついて撮影してしまったのだ。
無機質の中の柔軟性、美しさと力強さの共存。「かんか」とは坩堝を意味するが、金屋町の「かんか」にはその名のとおり若き作家たちの情熱が渦巻いていたのだった。
さて、「かんか」を後にした取材班が次に目指したのは、同じ通りにある「大寺幸八郎商店」。幕末動乱の時期に創業し、今でも美人女将が店を守る金屋町のアート&クラフトを販売する老舗商店だ。
ここには、「ところ狭し」とアーティストたちの力作が並んでいた。それらの作品は、すべて購入することができるのだが、その独創性とアイデアに目を奪われてしまうことは間違いない。
また、幕末当時より代々受け継がれてきた茶室も拝見する許可をいただき、その風情にどっぷりと浸ることができたのだ。
厚かましくもアイスコーヒーなどご馳走になり、次は腹ごしらえ。狙うは新しいおもてなし料理として売り出し中の高岡市名物「高岡昆布飯」。高岡の昆布飯を名乗るためには、何でも五カ条に当てはまらないといけないのだとか。
1.高岡産コシヒカリを使っていること
2.昆布を使っていること
3.複数の品数で構成されていること
4.地産地消にこだわっていること
5.価格が税抜きで1,500円以内
これらの条件をクリアして、腹をすかせた我々がたどり着いた店。それは19HITOYASUMI(一休) 戸出店だ。
昆布だしで炊いたご飯と仕上げに素揚げした昆布をトッピング。更に県内産のポークと甘辛の照り焼きソースの相性が良く、シャキシャキしたサラダと一緒にいただく。ふくよかな甘味のある昆布ご飯はいくらでも腹に納まってしまう激ウマグルメだ。勿論、空腹の我々が、無言のままものの5分程度で完食したのは言うまでもない……。
すっかり腹ごしらえもすみ、爪楊枝をシーシー言いながらくつろぎたいのは山々なのだが、いかんせん富山県は広大なのだ。襲ってくる満腹感と睡魔の攻撃をよそに、取材班は一路、朝日町に向かう。この地には、ヒスイ海岸と呼ばれるスポットがあり、何でも新潟県糸魚川から海流に乗り、余計な部分が削ぎ落とされた質の高いヒスイの原石が海岸へと流れ着く、というのだ。早速、その朝日町にある「まいぶんKAN」を目指す。ここにはその海岸で採取されたヒスイがある。
「まいぶんKAN」、その正式名称を朝日町埋蔵文化財施設といい、この地域で出土したものを常設している。取材班が到着すると、女性の学芸員さんが忙しそうに事務処理をしていた。もちろんアポ入れはしてあるのだが、何だか声をかけて手を止めてしまうのも申し訳ない。柄にもなくモジモジしていると、なんと向こうから声をかけてきてくれたのだ!
このようなヒスイの原石が、海岸には無数に落ちているのだ。この話を聞きながら、取材班の脳裏には「一攫千金」の言葉が浮かぶ。しかし、考えることは誰もが一緒。海岸には「ヒスイハンター」なる人々が、よく採取に現れているのだそうだ。もちろん、我々だってこの宝石をゲットしたい。東京へ戻り意中の彼女に届ければ、必ず落とせるはずだ、とばかりに雨が降りしきる海岸を目指し、これまでにないアクセルワークで向かったのだった。
ヒスイ海岸。それは、白い砂浜の海岸ではなかった。一面が石に覆われた、独特の個性的な海辺。そして、無数に転がる石の中に、我らが目指す秘宝、ヒスイの原石が眠るのだ。取材班の仲良しトリオ、それから約1時間、口をきくこともなしに、必死の形相で石を拾っては捨てる作業を繰り返していた……。
残念ながら、我々は今回、ヒスイの原石に巡り合うことはなかった。決して川口浩探検隊を意識しているのではないのだが、いつの日か必ず、その原石を採取することを誓い、この日の取材を終えることにしたのだった。
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