日本でも、テレビなどで、欧州の難民危機が報道されるようになった。内戦状態で、米国とロシアが空爆を続けてきたシリアから400万人もの難民がトルコなど隣国に流入。しかも、国内に残る国民の半分は戦闘で住む家を失っている。その難民が、トルコ→ギリシャ→東欧諸国を経て、ドイツを目指し、「民族の大移動」中だ。海を渡る途中で溺死した少年の写真は、世界中にショックを与えた。
メディアでも、様々なエピソードが書かれているが、9月25日の毎日新聞の「金言」というコラムに、編集委員氏が書いた話には、心を打たれた。
パリ駐在中にインタビューした、アルメニア人の著名映画監督が、難民出身だったという話だ。トルコ内のアルメニア人弾圧で多くの犠牲者が出るに及び、4歳のとき、父が亡命を決意したという。「困窮からではなく、生命が脅かされての亡命だった」と語る。いまのシリアと同様だ。
以下、抜粋。
出国時、トルコ政府は身の回り品の携帯しか認めず、母はお金を小さな金塊に換え、一つひとつ布に巻いて服に縫いつけ、ボタンに見せた。これがフランスのマルセイユ港についた時の一家の全財産だった。
「入国事務所での光景は今も鮮明に覚えている」と言った。 一家の書類を精査する係官の持ったゴム印が宙で止まっている。それを不安げに見守る両親。印が押されると入国可。そうでないとトルコに戻される。「ゴム印が押されたとき、両親の安堵のため息が聞こえたと思った」とも。後に字が読めるようになって分かったが、印は「無国籍」とあった。
引用終わり
スイスにおける「金塊」とは
布に巻かれてボタンに見せた金塊。
金は「無国籍通貨」といわれる。
おカネなのだが、紙幣と異なり発行国がない。だから、発行国がギリシャみたいに破綻しても、価値は保たれる。その価値は国境を越え、世界的に認知されている。
中東のエピソードだが、砂漠で水がなくなり、通りかかったキャラバンの商人に水を求めたところ、代金を金で払ってくれれば、売ると言ったという話だ。
私はスイス銀行で長く勤務したが、スイスという国は、まさに難民の国だ。宗教迫害などで隣国を追われた多くの人たちが、着のみ着のまま、金貨だけを持ってスイスに逃げてきたという。チューリッヒでスイス銀行の同僚の家庭に夕食に招待されると、食後、おじいちゃんやおばあちゃんが、「これが、ご先祖がスイスに来たとき持っていた金貨だよ」と見せてくれることが、しばしばあった。今では「家宝」として、代々受け継がれ、もし万が一、家が傾くような「家庭内有事」が起こったときには、この金貨を換金して、当座を凌ぎなさい。それ以外に、この金貨を売り払うことはあいならぬ、という先祖の言い伝えがしっかり守られてきたという。
こういうエピソードが、日本の数十年後まで考えると、決して他人事とはいえない。アジアの中の日本という厳然たる事実を、私もヒシヒシと噛みしめている。
まずは、日本が国際協力の一環として、難民受け入れをすることになろう。そうなると、来日した難民から、今回紹介したようなエピソードがいろいろ流れてくると思う。
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著者プロフィール
●豊島逸夫
豊島逸夫事務所(2011年10月3日設立)代表。2011年9月末までワールド ゴールド カウンシル(WGC)日本代表を務めた。1948年東京生まれ。一橋大学経済学部卒(国際経済専攻)。 三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行後、スイス銀行にて国際金融業務に配属され外国為替貴金属ディーラーとなる。豊富な相場体験をもとに金の第一人者として素人にも分かりやすく独立系の立場からポジショントーク無しで金市場に限らず国際金融、マクロ経済動向についても説く。またツイッターでも情報発信している。
【連載】25歳のあなたへ。これからの貯”金”講座
25歳。仕事や私生活それぞれに悩み不安を抱える年齢ではないだろうか。そんな25歳のあなたへ、日本を代表するアナリスト・豊島逸夫とウーマノミクスの旗手・治部れんげがタッグを組んだ。経済と金融の最新動向をはじめ、キャリア・育児といった幅広い情報をお届けする特別連載。こちらから。