「予防歯科の真髄は歯周病予防である」と語り、日本の現状の予防歯科に対し警鐘を鳴らしている、大岡歯科医院代表の大岡洋(おおおか・ひろし)医師。予防歯科の本質的な概念が日本人の中に浸透していかないのには、さまざまな社会背景があると言う大岡氏に、日本の「予防歯科の今」について詳しく話をうかがいました。
成人の約8割が歯周病
近年よく耳にするようになった予防歯科という言葉。しかし、大岡氏は、言葉だけが独り歩きしていて本質的な概念が浸透していないと話します。
大岡氏「予防歯科と聞いてまず思い浮かべるのは虫歯予防ではないでしょうか。歯科の先生でさえも、その認識で止まっていることが多いのが実状です。でも本来は、また本質的には、予防といったら歯周病予防に目を向けてほしいのです。それができて初めて虫歯予防にもつながってくるのです」。
大岡氏はさらに驚きの事実も話してくださいました。
「歯周病は、高齢者の病気だと思っていないでしょうか。それは大きな間違いです。厚生労働省の調査によると、なんと、成人の約8割が歯周病にかかっており、小学生の約4割が歯周病の前段階である歯肉炎にかかっているという結果が出ています。(※厚生労働省 平成23年歯科疾患実態調査より)
また、あまり知られていませんが、歯周病は2001年にギネスブックに認定されています。『全世界で最も患者が多い病気は歯周病である。地球上を見渡しても、この病気に冒されていない人間は数えるほどしかいない』と書かれています。歯周病は、それくらい全世界にはびこる病気なのです」。
大岡氏「成人の8割が歯周病にかかっているといわれているにも関わらず、多くの人が、自分は絶対に残りの2割だと信じている。それはなぜか。症状がないからです。
歯周病は、20年30年というかなり長い時間をかけて進行する病気です。やっかいなのが、その間、症状として気づきづらいこと。なぜなら、末期になるまで明らかな症状が出ないのです。したがって、30、40代になって初めて、深刻な症状が出て気づく人が多いのです。
私の医院でも『3日前から急に歯肉が腫れている』と訴えて来院する患者さんがいらっしゃいます。患者さんとしては、『それまでは正常だったけれども、3日前に歯周病菌が急に何かをし始めたのだろう』というイメージを抱くようです。しかし、実際はそうではありません。もっとずっと前から歯周病の基礎はでき上がっていて、たまたま3日前に免疫力と感染力のバランスが崩れて症状が出てきたというだけなのです」。
予防歯科=虫歯予防では不十分
なぜ日本人は、歯周病や歯周病予防に対する知識や意識が低いのでしょうか。その要因の1つが、日本の教育現場にあると大岡氏は言います。
大岡氏「小・中学校では、歯垢(しこう)を染め出して歯磨きの仕方を指導します。これは、指導要領の中にも入っている、虫歯予防のためのカリキュラムのためです。時間的な問題などさまざまな理由があるのだとは思いますが、小・中学校で教えてもらえるのはそこまでで、歯周病予防についてはあまり触れていないのです。
多くの保健担当の先生も、歯周病予防にまではまだ目が向いていないと思います。今の予防歯科の教育は、残念ながら虫歯予防で止まってしまっているのです」。
乳歯や生え変わり直後の永久歯はまだカルシウムの沈着が不十分で虫歯になりやすい構造にあるため、学童期での虫歯予防対策は重要であることは間違いありません。もちろん、虫歯予防教育の成果もあり、今、子どもたちの虫歯は激減しているそうです。
小さな子どもに6~7本の虫歯があると、極端な話、ネグレクトを含めた虐待を疑われるほどだと大岡氏は言います。しかし一方で、歯周病が増えている現実が。
大岡氏「歯科検診も、虫歯の有無ばかりに焦点が当てられ過ぎて、歯周病に関しては、よほど重篤ではない限りチェックされません。それ故に、『学校でお墨付きをもらったから自分の歯は健康だ! 自信がある!』というお子さんが結構多いのです。
しかし、そのような過信が『歯磨きをしなくても病気にならない』という勘違いにつながり、多くの人が『口の中を清潔にする』という習慣をおろそかにしてしまう。その結果、知らず知らずのうちに30代、40代で歯周病になってしまっているのです。
実際に、虫歯はないけれど歯周病がひどいという人をよく見かけるようになりました。予防歯科=虫歯予防では不十分なのです」。
日本の医療制度が裏目に出る
日本には、国民皆保険制度があります。たとえ病気になっても、誰もが安く気軽に治療が受けられます。この制度に対する評価は高く、世界に誇れるものですが、この制度に守られているが故に、日本人の中に予防歯科の意識が上がってこないという現実もあるのではないかと大岡氏。
大岡氏「虫歯になったら治療すればいい。いつでも誰でも気軽に治療が受けられるから予防よりも治療に目がいきがちなのが日本人の特徴です」。
また一方で、歯科医の間でも本質的な予防歯科に対する意識が高まってこない要因に、日本の診療報酬制度があるそうです。
大岡氏「現在の診療報酬制度は、予防ではなく治療に対する報酬が原則です。そのため、保険診療をベースとした歯科医院で経営を第一に考えれば、治療の数、つまり患者さんの数をこなす方が経営的に安定するわけで、予防歯科に重点を置いて治療の数を減らす必要もなければ、そのメリットもないと考えることになります。
このように、日本のシステム的にも、日本人の歯科に対する意識が治療から予防にシフトしにくく、歯周病予防に意識が傾かない現状があるのではないかと思うのです」。
歯周病は、歯がある限り誰にでも起こり得ます。でも、なかなか症状が出ないため気づきにくい。気づいたときには末期の状態になっている可能性が。そんな歯周病の怖さを十分に理解し、早い時期から歯周病に対する予防の意識を持つことが、いつまでも健康な歯を持ち続けるためには重要です。
取材協力: 大岡洋(おおおか・ひろし)
大岡歯科医院代表
1997年、東京歯科大学卒業。2002年、ハーバード大学歯学部・公衆衛生学部大学院(予防歯科学専攻)修了。日本人歯科医師として初めて予防歯科で理学修士(Master of Science)を取得。帰国後、2003年に大岡歯科医院の3代目として代表に就任。同年より東京歯科大学非常勤講師(歯科補綴学)として後進の指導にも従事。国際歯科学士会(ICD)理事。著書『「歯みがき」するから歯は抜ける』(現代書林)。