第4の「防壁団地」があった!

「団地マニア」などと名乗っていても、まだまだ知らないことはたくさんある。第5回の記事で「防火壁の白髭東アパート」「防音壁の川口芝園団地」「防波堤の軍艦島集合住宅」を「日本3大防壁団地」と称したが、なんと4つめがあったのだ。それは千葉県千葉市美浜区にある高須第一団地の高層棟である。

堂々たる高層の団地。縦ラインを強調したデザインにぐっとくる。

このように高層が並ぶ。6つ合わせて750mほどだ。確かに壁だ!

防火、防音、防波、ときてこの団地は何から守るのかというと、砂なのだ。「防砂壁団地」なのだという。

画面左に海岸があって、そこからの砂をこの高層団地が止めるというのだが…

確かに上の写真を見ると、いかにも壁だ。航空写真で見てもこの近辺ではこの6棟だけが高層だけで、何かの意図を感じる。しかも最寄り駅は京葉線の「稲毛海岸」だ。しかし、だ。海、けっこう遠いよ?

海まで2kmほど離れている。しかもここから海岸までみっしり「団地の海」で、砂なんか飛んでこなそう(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT20092・コース番号:C24/写真番号:29/撮影年月日:2009/04/23(平21)に加筆)

一見砂なんか飛んでこなそうだ。しかし、この団地が建設された1973年の周辺の状況は今とは全然違う。その頃の航空写真を見てみよう。

ちょうど高須第一団地ができた年の写真。すごい!海まで何もない!(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・KT736Y・コース番号:C7/写真番号:7/撮影年月日:1973/12/23(昭48)に加筆)

千葉のこのあたりは、1960年代からものすごい勢いで埋め立て地が広がっていった場所だ。この団地があるエリアはその最初期のひとつで、当時はこのようにそりゃあ砂飛んでくるよなー、って感じだったのだ。

いやー、さんざんこの団地は見てたがまさか防砂壁だとは思わなかった。不覚。ともあれ、防砂壁としては役目を終えたこの高層団地、そう思ってみると早期退職を果たし悠々自適の熟年といった風情をただよわせている。気がする。

で、だ。上の写真「これ気になる」と描き入れた部分。実はここに、海に向かってどんどん埋め立て地が伸びていった当時のことをしのばせるものがある。この写真だとよく分からないが、実はここに船がいるのだ!

「水面」の因縁!

防砂壁団地の場所もまだ海だった時代、ここに船が係留されていた(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・MKT704X・コース番号:C8A/写真番号:2/撮影年月日:1970/05/22(昭459)に加筆)

上と同じエリアの22年後、1992年の様子。まわりは完全に陸地になってしまったが、なんと船が残っている!(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT911X・コース番号:C6/写真番号:4/撮影年月日:1992/01/28(平4)に加筆)

この船は昭和19年に海防艦「志賀」として建造されたもので、その後海上保安庁巡視船「こじま」として活躍していたものを千葉市が払い下げを受けて改装し公民館として利用した。その名も「海洋公民館」。で、そのまわりがどんどん埋め立てられちゃったので、この船のまわりにだけ「海」を残し1998年までこの姿で存在していた。そう、残念なことに今はもう無い。ぼくは高校生の頃友人がこの近くに住んでいて、何回もこの近くを通っていたのにちゃんと見たことがなかった。返す返すも無念。「千葉市海洋公民館+こじま」で検索すると当時の姿を見ることができる。

ご覧の通り現在は草ぼうぼうの空き地。見たかったなあ、こじま。

埋め立て地が海に向かって伸びて行き、防砂壁団地がその役目を終えるのと平行して、船が内陸に取り残された。その跡地だ。上の写真を見ると隣の団地がまるで戦艦のようだ。

で、面白いのは、この空き地がなにになるのかというと…

なんと、プールになるのだという!

失われた水面が、みたびプールとして復活するのだ。なんという因縁。すてきだ。プール完成のあかつきには、ぜひ小っちゃくていいので「こじま」を模した船を浮かべてお祝いしてほしい。

このバス停の名前末永く残ってほしいなー。

<著者プロフィール>
大山顕
1972年生まれ。フォトグラファー・ライター。主な著書に『団地の見究』『工場萌え』『ジャンクション』。一般的に「悪い景観」とされるものが好物。デイリーポータルZで隔週金曜日に連載中。へんなイベント主催多数。Twitter: @sohsai

イラスト: 安海