まるで白昼・青山北町アパート
さて、本連載「東京団地ミステリー」も今回で最終回。まだまだ紹介したい団地はたくさんあるのだが、締めくくりとして東京都心のものを見てもらおう。青山北町アパートだ。
これまで紹介してきたもののほとんどは郊外の物件だった。また、ふつう団地というと都心に建っているものではないというイメージだ。なのでこんな東京都心ど真ん中にこんな絵に描いたような団地があると、ちょっとびっくりするだろう。ちなみにブルックスブラザーズが入っているビルも「UR北青山三丁目第二市街地住宅」という団地だ。
これだけ周辺の街並みとのギャップがはげしい団地も珍しい。付近にお勤めの方などはここを散歩がてらの通り道として使っているようだ。げんにこの取材の時もこの近辺に事務所を構えている知り合いに遭遇した。彼らとこの住民にとってはこの光景は当たり前かもしれないが、そうでない人間にとってはまるで白昼夢でも見ているかのような気分にさせられるものだ。
近くの団地に行ってみよう!
航空写真で見ても、この周辺とのギャップ。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT20092・コース番号:C61/写真番号:20/撮影年月日: 2009/04/27(平21)に加筆) |
団地って同じ形の棟がぎっしり建っているイメージだが、実は広場の面積がかなり広い。これは全国どの団地でもいえる。団地の本質は「規格化」だが、それを都心でも郊外でも一律に当てはめた結果、ぜいたくな空間が都心部に温存された。郊外だとそのぜいたくさを実感することは難しいが、このように都心にあるとよくわかる。異空間にさまよい込んだ感じを受けるのは、棟やその古び具合ではなく建物が建っていない空地(くうち)の広さによってであり、そこに生い茂る緑のせいだ。上の航空写真を見ると、そのことがよくわかる。敷地を北西から南東に貫くメインの通りなど、表参道に匹敵する広さだ。
団地が建つずっと前、1936年の航空写真。ここは明治以来学校だった。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・B7・コース番号:C3/写真番号:77/撮影年月日:1936/06/11(昭11)に加筆) |
青山北町アパートが建つ前のここはなんだったのかというと、師範学校や旧制中学校などがある文教地区だった。空襲により焼け野原になった後、何度か集合住宅が建て替えられて今にいたる。現在の青山北町アパートの建設が始まったのは1957年。やはりポイントは学校の敷地が保存されているという点だ。上の航空写真を見ると、ほぼまるまるそのまま団地になっていることが分かる。そしてくだんの「団地表参道」ももとの学校時代の正門に通じるメインストリートが温存された結果だということが見て取れる。
このように団地とは「都市の文脈保存マシーン」なのである。光が丘のメインストリートが滑走路だったという話をはじめ、この連載でことあるごとに古い航空写真を持ち出したのは、団地が広い面積を持つが故にそれ以前の由来を引きずらざるを得ないことの面白さを示すためだった。また、防火壁団地・都営白鬚東アパートや防音壁団地・川口芝園団地、防砂壁団地・高洲第一団地など、大きいが故に別の機能を持たされる面白さというものもある。
第1回目にぼくは都市が歴史や地形・気象などといった人間にはどうしようもない「ままならなさ」に支配されているのがおもしろい、と書いた。場所とは時間のことで、空間に「ままならなさ」が積み重なって「場所」になる。どんな場所にも過去と事情があって、現在はそれを無視できない。そしてそれは団地に分かりやすくあらわれている、と。
最後にこの青山北町アパートをご紹介したのは、ぜひみなさんに東京という都市の面白さを見に団地へでかけてほしいからだ。勤め先のすぐそばのこんな都心にも、団地が実はある。住民の迷惑にならないように気をつけながら東京ミステリーを感じてほしい。それではみなさん、どこかの団地でまたお会いしましょう!
<著者プロフィール>
大山顕
1972年生まれ。フォトグラファー・ライター。主な著書に『団地の見究』『工場萌え』『ジャンクション』。一般的に「悪い景観」とされるものが好物。デイリーポータルZで隔週金曜日に連載中。へんなイベント主催多数。Twitter: @sohsai
イラスト: 安海