七人の侍跡地に
前回は横溝正史の『白と黒』に出てくる団地がどこかを金田一ばりに推理したわけだが、その時大きな手がかりになったのが近くに映画スタジオがある、という描写だった。
金田一ばりに東宝スタジオのそばにある大蔵住宅であることを推理!(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT20092・コース番号:C73/写真番号:27/撮影年月日2009/04/28(平21)に加筆) |
実はこの大蔵住宅が建っている場所は、建設が始まる前にある有名な日本映画のロケ地になったことがある。その映画とは、かの黒澤明監督『七人の侍』だ。
撮影は1953年。大蔵住宅が建つのはその6年後だ。前回記事中の1957年の航空写真を見るとここらへん一帯は畑と田んぼ。おそらく撮影所から近かったためにここが選ばれたのだろう。
撮影所御用達・神代団地
撮影所の近くであるがゆえに映像作品に頻繁に登場する団地といえば、神代団地だ。これもこの東宝スタジオの近所。大蔵住宅とは逆の北側、京王線つつじヶ丘駅の南にある。
この団地が舞台となっていることでもっとも有名(っていっても団地趣味の人以外はあまり知らないだろうけど)なのは、1971年の日活ロマンポルノ『団地妻』シリーズ第1作目『団地妻 昼下りの情事』である。その他にも『ウルトラマン』『太陽にほえろ!』『高校教師』など多くの作品にこの神代団地は登場する。いずれも1970年代の作品で、作中における団地のイメージは『白と黒』と異なり「平凡な市民」といった感じだ。わずか10年弱で急速に団地のイメージが変化したことがうかがえて興味深い。
ともあれ、現在も現役かくしゃくとしたこの団地の姿は、映像の中のものとだいぶ趣が異なる。最も印象的なのはその緑の多さだ。
神代団地が完成したのは1965年。大蔵住宅もそうだし、多くの団地に共通していえることなのだが、建設当時より現在の方が緑が濃い。建設時に植えられた木々が数十年で大きく育ったのだ。大きな面積を持ち建蔽率が低い団地ならではである。団地に存在感を持って「たっている」のは棟だけではないのだ。
団地って「インフラ」なんだなあ
さて、この神代団地に特徴的なのは、敷地の中に川が走っていることだ。
航空写真で見るとこんな。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT20092・コース番号:C75/写真番号:23/撮影年月日:2009/04/28(平21)に加筆) |
大蔵住宅も敷地の真ん中を崖線が走っていたが、この神代団地の場合は川をまたいで団地が建てられたのではなく、団地の中を通るように川の流れが変更されたのだ。団地建設前の航空写真を見てみよう。
1961年の様子。後に神代団地が建つ場所は田んぼで、野川はその南側を蛇行していて敷地の中を走っていない。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・KT611YZ・コース番号:1/写真番号:140/撮影年月日:1961/03/24(昭36)に加筆) |
野川という川はけっこうな暴れ川で、戦後たびたびこのあたりを水浸しにした問題児だった。そこでちょうど神代団地が建設された頃に流路をまっすぐにして氾濫を防ぐ工事が行われ、今にいたる。
ちょうど団地が完成した1965年の同じ範囲を見てみると、団地の中に河川の流路変更を行っている真っ最中!(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・KT657Y・コース番号:C4A/写真番号:12/撮影年月日:1965/10/28(昭40)に加筆) |
川の流れを変えるという工事は、流域の地権者と交渉しなければならないたいへんな仕事だ。しかし団地ならば広い面積をいっきに処理できる。おそらく団地として整備されるタイミングで、合わせて効率よく流路が決定されたのではないだろうか。公的な性格を持ち、面で開発される団地ならではだ。
大量のグリーンを温存し、河川の流路変更に貢献し、そして映画の撮影場所にも利用される。団地って「インフラ」なんだなあ、とあらためて実感した次第だ。
あと、神代団地名物の藤棚と一体になった、上り階段がない両サイド滑り台。
<著者プロフィール>
大山顕
1972年生まれ。フォトグラファー・ライター。主な著書に『団地の見究』『工場萌え』『ジャンクション』。一般的に「悪い景観」とされるものが好物。デイリーポータルZで隔週金曜日に連載中。へんなイベント主催多数。Twitter: @sohsai
イラスト: 安海