本連載の第118回では「これをやるとデジタル化は失敗する」と題し、業務をデジタル化する際に「やってはいけないこと」をお話しました。今回はデジタル化を本気で進めるなら、その先に目指すべき姿は何か、ということについてお伝えします。
自民党総裁選の報道が熱を帯びています。候補の河野太郎行政改革担当相が行政のデジタル化推進を訴えるなど、デジタル化が国家の発展に欠かせないものとして広く認識されるようになっています。それは民間も同じことで、企業が発展する上でもデジタル化が必須という雰囲気が醸成されています。むしろ、これからの社会においてデジタル化は企業の「目標」というより「前提」になったと言っても過言ではありません。
そのことに気が付いた経営者の中にはデジタル化を本気で進めなければ、と焦りを感じているという方が多くいますが、現場の社員との温度感に差があるところもまだまだあるようです。このような職場では、経営者から業務のデジタル化を推進するよう現場に指示を出してもなかなか思ったとおりには進みません。
その原因として考えられるのは、経営者と社員の間にデジタル化を達成した際の「あるべき姿」について共通認識がないことが挙げられます。一般的に、業務のデジタル化を指示された社員は「自分が携わっている、紙を使った業務の中でデジタル化できるものはないだろうか」と考えます。そして、部署内あるいは社内でアイディアを持ち寄って「この業務ならデジタル化できる」「この業務はちょっと難しい」という議論を経て、デジタル化の施策を考えます。
これは「できそうなところからデジタル化する」というアプローチです。一見すると何の問題もなさそうですが、これには落とし穴があります。それは部分最適の罠で、チェスや将棋、オセロなどのボードゲームにおいて一部の攻防に集中するあまり、盤全体の把握を怠って負けてしまうのと同じことです。
例えば業務のデジタル化を進めた結果、対象業務のプロセスに「紙の資料を使ったタスク」と「デジタル化したタスク」が複雑に入り混じってしまうということが考えられます。そうすると「デジタルデータの印刷」と「紙の資料のスキャンによるデジタル化」という手間が余分に増えてしまいます。また、デジタル化によるリアルタイムでの進捗管理が不完全なものになったり、デジタルと紙、双方の資料保管が求められたりして、却って業務が煩雑になってしまいます。これでは何のためにデジタル化を進めているのか分かりません。
部分最適に起因するこうした問題を防ぐためにも「できそうなところからデジタル化する」のではなくて、「あるべき姿」をしっかりと定義して関係者間で共通のイメージを持っておくことが重要です。
そして本気でデジタル化に取り組むのであれば、全社員が全くオフィスに出社しない「フルリモートワーク」でも仕事が回るような状態を「あるべき姿」として定義してはいかがでしょうか。というのも全社員フルリモートワークの状態では、ほぼ全ての業務がデジタルの世界だけで完結しないと仕事が回らないからです。
今時FAXを個人で所有している人は少ないでしょうし、プリンターを持っているという方も少数派でしょう。職場の同僚と物理的に離れている以上、紙の資料を前提とした業務は不可能ではないかもしれませんが業務効率が劇的に下がることは容易に想像がつきます。
そこでフルリモートワークでも支障なく仕事が回る状態を目指して業務をデジタル化すれば、デジタルと紙のツギハギのような業務が出来上がってしまうことは避けられますし、関係者間でも目指す姿のイメージを共有し易いのではないでしょうか。
なお、フルリモートワークでも仕事が回る状態を目指すことと、実際にフルリモートワークを実現するかどうかは別問題です。前者はあくまでも業務をデジタル化する際の指針として使用するものですが、後者は実際に体制として実現するという違いがあります。働き方を実際にフルリモートワークに変えた方がよいかどうかは企業の文化や組織風土、体制などによって異なります。
フルリモートワークを目指してデジタル化することは、目指す姿を共有することとツギハギだらけのデジタル化を抑止する効果を得られますが、それに加えて万が一の大規模災害やパンデミックなどの非常時に素早くフルリモートワークに切り替えられるというメリットもあります。ご自身の職場でも検討してみてはいかがでしょうか。